刻塚-(NO-23)
「そうですか、それで公子は施設から居なくなったんですか。私がその年の夏にも里親として来て公子に来て貰おうと連絡したら、施設長が平野公子は小学校を卒業と同時に卒園したからって。私は親に引き取られて行ったと思って、行き先は訊かなかったんです。じゃあ、去年の五月に来た12人の中にいたんですか」。
主は猿渡を見ると女警部を見詰めていた。手島加奈はゆっくり頷いた。
「はい」そう言うと腰を上げた。そして黙ったまま出て行くと戻って来た。
「山田さん、後藤公子さんです」
誰もが口をあんぐりと空けたまま呆然と見詰めていた。
「お父さん、お父さん」公子はそう言いながら涙を流して山田政伸に抱き着いた。
「うんうん、そうかそうだったのか。公子か、良く来てくれた。どうして去年名乗ってくれなかった。あれからずっと心配していたんだよ」。
主はポロポロと涙を流し、力強く抱き締めた。まるで本当の親子の再会の様だった。
「山田さん、実は公子さんが養女に行った先の御両親が一昨年の八月に突然事故で亡くなりましてね、公子さん今は一人ぼっちなんです」。
「エッ・・・公子、それは本当なのか!」と、主は公子の肩に手を添えると胸から引き離した。公子は泣きながら頷いた。
「直ぐにでもここへ来たかった、でも来れなくて・・・」と、嗚咽する公子だった。
「公子さん、あの旅行で何があったか話してくれますね」猿渡はそっと訊いた。
泣きじゃくる公子は頷き、息を整えると顔を上げた。
「はい、去年の四月の末に私は大学のサークルの後輩と名所旧跡を歩くと言う企画をホームページに載せて募集しました。
そしたら、殺された四人が応募してきたんです。それで四月二十八日に長野駅で待ち合わせて、長野市内や須坂市を歩きました。
その日は須坂に泊まって、翌日の三十日は戸隠に行きました。そこで泊まった旅館で馬場さんと仁科さんに声を掛けられました。
話は盛り上がって私達も旅行の目的を話しました。そしたら、馬場さんが一日塚の話を始めたんです。そうじゃない一時塚よって、言おうと思いましたけど、盛り上がりに水を差すのも悪いと思って聞いてました。
そしたら、長野から参加した宮本さんが予定を変更して行こうと言い出したんです。話は直ぐにまとまって、誰も反対はしませんでした。
翌日の五月一日には馬場さんのマイクロバスで向かいました。そしたら助手席の仁科さんが、今日は赤田の民宿に泊まろうと言い出したんです。
中には別所に泊まりたいって言う子がいましたけど、テニスコートもあるしラケットも貸してくれるし、散策も出来て楽しいと言う話しに皆は賛成しました。
私一人反対する事も出来なくて、多数に従う事にしました。でも内心はお父さんや政男さんに会えるって楽しみでした。
でも、来てガッカリしました。お父さん私を覚えてくれてなかった。無理もないと思いました。最後に会ったのは12才でしたから」。
「いや、違うよ。私は公子だと思った、でも名字が違うから連れの女性に訊いたんだ。そしたら、先輩は昔から後藤公子さんだと言うもんでね。他人の空似かと思って声を掛けるのを止めたんだよ」
「お父さん、私言えば良かった・・・」と、また公子は泣き出した。
「済みません、それでその晩でした。皆で私の部屋に集まって別所温泉の事を調べていたら、馬場さん達が来たんです。そして、一日塚の祟りの話しと、社から大判が何枚も出土した事を訊かせたんです。売れば何百万もする、あの塚は何百年も人の手に触れてないから、まだ眠ってる筈だ。それに、六時以降は誰も近付かないから今から掘りに行こうって言い出したんです」。
「公子さん、どうして馬場はそんな事を知っていたんです」猿渡は訊いた。
「私も不思議に思って、どうしてそんな事まで知っているのか訊いたんです。だけど馬場さんと仁科さんは笑って話してくれませんでした」。
「それで全員で行ったの?・・・」
「いえ、私は一時塚の祟りの怖さは訊いて知ってましから。調べたい事があるからってごまかして、一人で部屋にいました。
他の子は欲しい物があるしお金になるならって、そっと裏口から出て行きました。
それで、二時間しても三時間しても帰って来なくて心配していたんです。
そしたら十二時を過ぎて帰って来ました。なんか皆して口裏を合わせた様に何も無かったって部屋に戻ってしまいました。同じ部屋だった北沢さんと野島さんに訊いたんですけど。話したがらなくてその晩は休みました」。
「そう、じゃあ何かあったのは確かなんだね」。
NO-23-43
「そうですか、それで公子は施設から居なくなったんですか。私がその年の夏にも里親として来て公子に来て貰おうと連絡したら、施設長が平野公子は小学校を卒業と同時に卒園したからって。私は親に引き取られて行ったと思って、行き先は訊かなかったんです。じゃあ、去年の五月に来た12人の中にいたんですか」。
主は猿渡を見ると女警部を見詰めていた。手島加奈はゆっくり頷いた。
「はい」そう言うと腰を上げた。そして黙ったまま出て行くと戻って来た。
「山田さん、後藤公子さんです」
誰もが口をあんぐりと空けたまま呆然と見詰めていた。
「お父さん、お父さん」公子はそう言いながら涙を流して山田政伸に抱き着いた。
「うんうん、そうかそうだったのか。公子か、良く来てくれた。どうして去年名乗ってくれなかった。あれからずっと心配していたんだよ」。
主はポロポロと涙を流し、力強く抱き締めた。まるで本当の親子の再会の様だった。
「山田さん、実は公子さんが養女に行った先の御両親が一昨年の八月に突然事故で亡くなりましてね、公子さん今は一人ぼっちなんです」。
「エッ・・・公子、それは本当なのか!」と、主は公子の肩に手を添えると胸から引き離した。公子は泣きながら頷いた。
「直ぐにでもここへ来たかった、でも来れなくて・・・」と、嗚咽する公子だった。
「公子さん、あの旅行で何があったか話してくれますね」猿渡はそっと訊いた。
泣きじゃくる公子は頷き、息を整えると顔を上げた。
「はい、去年の四月の末に私は大学のサークルの後輩と名所旧跡を歩くと言う企画をホームページに載せて募集しました。
そしたら、殺された四人が応募してきたんです。それで四月二十八日に長野駅で待ち合わせて、長野市内や須坂市を歩きました。
その日は須坂に泊まって、翌日の三十日は戸隠に行きました。そこで泊まった旅館で馬場さんと仁科さんに声を掛けられました。
話は盛り上がって私達も旅行の目的を話しました。そしたら、馬場さんが一日塚の話を始めたんです。そうじゃない一時塚よって、言おうと思いましたけど、盛り上がりに水を差すのも悪いと思って聞いてました。
そしたら、長野から参加した宮本さんが予定を変更して行こうと言い出したんです。話は直ぐにまとまって、誰も反対はしませんでした。
翌日の五月一日には馬場さんのマイクロバスで向かいました。そしたら助手席の仁科さんが、今日は赤田の民宿に泊まろうと言い出したんです。
中には別所に泊まりたいって言う子がいましたけど、テニスコートもあるしラケットも貸してくれるし、散策も出来て楽しいと言う話しに皆は賛成しました。
私一人反対する事も出来なくて、多数に従う事にしました。でも内心はお父さんや政男さんに会えるって楽しみでした。
でも、来てガッカリしました。お父さん私を覚えてくれてなかった。無理もないと思いました。最後に会ったのは12才でしたから」。
「いや、違うよ。私は公子だと思った、でも名字が違うから連れの女性に訊いたんだ。そしたら、先輩は昔から後藤公子さんだと言うもんでね。他人の空似かと思って声を掛けるのを止めたんだよ」
「お父さん、私言えば良かった・・・」と、また公子は泣き出した。
「済みません、それでその晩でした。皆で私の部屋に集まって別所温泉の事を調べていたら、馬場さん達が来たんです。そして、一日塚の祟りの話しと、社から大判が何枚も出土した事を訊かせたんです。売れば何百万もする、あの塚は何百年も人の手に触れてないから、まだ眠ってる筈だ。それに、六時以降は誰も近付かないから今から掘りに行こうって言い出したんです」。
「公子さん、どうして馬場はそんな事を知っていたんです」猿渡は訊いた。
「私も不思議に思って、どうしてそんな事まで知っているのか訊いたんです。だけど馬場さんと仁科さんは笑って話してくれませんでした」。
「それで全員で行ったの?・・・」
「いえ、私は一時塚の祟りの怖さは訊いて知ってましから。調べたい事があるからってごまかして、一人で部屋にいました。
他の子は欲しい物があるしお金になるならって、そっと裏口から出て行きました。
それで、二時間しても三時間しても帰って来なくて心配していたんです。
そしたら十二時を過ぎて帰って来ました。なんか皆して口裏を合わせた様に何も無かったって部屋に戻ってしまいました。同じ部屋だった北沢さんと野島さんに訊いたんですけど。話したがらなくてその晩は休みました」。
「そう、じゃあ何かあったのは確かなんだね」。
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