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エストニアの旧ソ連施設~旅の記憶

2022-04-26 | 旅行
おはようございます。

ロシアのウクライナ侵攻が始まってから・・・
たびたび想い出すエストニアへの旅・・・
画像は、どこへしまいこんだのか・・・行方不明。

どころが、先ほど、偶然、見つけたのです!
どうぞ、おつきあいくださいませ。



母と二人で出かけたバルト海への旅は、
フィンランドのヘルシンキとエストニアのタリンを中心に周り、
天候にも恵まれた、楽しい旅でした。

その中でも、とりわけ印象的だったのが、
首都タリン郊外へと出かけた現地ツアーです。



ロンドンに留学中の日本人女子2人、同じくロンドンからの男の子に、
アメリカ人の女の子・・・そして当時アラフィフのわたしと母。
ガイド兼ドライバーは、男前な可愛い26歳の女性・・・

総勢6人が、ワゴンでドライブした、楽しい一日でした。

美しい自然を眺め、古城を散策し、ランチは船長さんのお宅で舌鼓。
泥炭の湿原では、ベリーをつまみ・・・
あの緑の世界は、今でも忘れられません。


(旧ソ連軍施設の近くの入り江にて)


そして、忘れられないことの、もうひとつが・・・
ランチの後に案内された、旧ソ連の施設跡でした。

エストニアのあるバルト海は、
ソ連軍の重要な拠点で、施設が点在していたのだとか。



ドライバー女性(以下、仮名キャロル)は
最初、淡々と、ソ連時代の話をしてくれました。

キャロルのお母さんの子どもの頃は、夜は、外に出られなかった、
いつもサーチライトで照らされていた・・・
誰も、余計なことは言えなかった・・・

そのうちに、彼女は涙を浮かべ・・・
ものすごい勢いで、まくしたてはじめたのです。



すると、それまで、寡黙だった、ロンドン男子が言いました。
「僕のルーツはエストニア。
おばあさんからソ連時代の話は聴いている」と。

キャロルは、パッと目を輝かせ、もう、そうなると、
エストニアの二人は、ときに怒りで顔を真っ赤にしながら、
ソ連批判が止りません・・・




ああ~、我が拙い語学力では、とてもとても聴き取れません・・・

それでも、とにかく、エストニアの人たちがソ連を嫌悪し、
独立してもなお、怒りと哀しみで、いっぱいなのだということ。
そのことは、わたしでも、よくわかりました。

同じ頃(2010年代)旅したポーランド、リトアニア、ラトビア・・・
どこへ行っても、「ナチスはひどかった」と、どなたも口を揃えると、
必ず続けて言うのです。

「でも、(ソ連の)KGBは、もっとひどかった」と。





そういえば・・・

ウクライナ侵攻の直前に、読み終えたリュドミラ・ウリツカヤ
『緑の天幕』(新潮クレストブック)。↑
スターリンの死からソ連崩壊までを描く大河小説です。

その中に、学校で同級生から敬遠される少女がいました。 

彼女は言うのです。
「わたしのパパはKGBの幹部だけれど、
担当は国外対策で、国内対策じゃないのに・・・」と。

旧ソ連の時代、KGBは国民からも恐れられていたことがわかります。

プーチン大統領は、そのKGB出身です。
・・・何をかいはんや?



エストニアを旅したのは、2013年9月。
その翌年2014年、2月にはロシアのクリミア併合が行われ・・・
(2014年5月のロシアへの旅→「ロシアの小説と旅の記憶と」)

私自身も、暢気でした。
あのとき、個人も含め、世界が、もっと危機感を持っていたら・・・
今のウクライナの悲劇は違っていたかもしれません。



長く行方不明だった、本日の画像は、
PCの「2013道東」と題されたファイルから見つかりました。

同じような時期に旅したエストニアと道東の画像が、
混ざってしまっていたのです・・・

「道東の旅」と題したのは、道産子の友人を訪ねたからで・・・
そのとき、知床へも足を延ばし、観光船にも乗りました。
実は、その船の名前を確かめたくて、ファイルを開いてみたのです。

今、毎日聞く船の名前ではありませんでしたが・・・



(こんな落書きをした旧ソ連兵。普通の若者だったはず・・・
でも、ひとたび戦いが始まると・・・)


ウクライナ侵攻に、知床の観光船の事故・・・
辛く悲しい報道が続いています・・・

平和な国に生きていたとしても、明日のことはわからないから・・・
命ある限り、精一杯、生きていかねばなりませんね。
さぁ、わたしも、家事に精を出すとしましょう・・・

本日も、おつきあいいただき、どうもありがとうございました。

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