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城めぐり・榎下城へ~目のない薬師様

2020-11-23 | おでかけ
「秋の我慢の三連休」・・・
コロナ禍、三密を避けるため、
城めぐりは、近場へ車で出かけ、リア攻めをしました。

横浜市緑区の榎下城趾は、現在、久保山舊城寺ながら
そこかしこに城の遺構が残ります。
お寺のお名前からして、「舊(旧)い城の寺」ですもんね。



たとえば・・・

境内を囲むように、土塁が残り・・・↓
墓地と主郭とのあいだは空堀らしだったらしく・・・
「山田右京之進」の石碑あたりは小高く、どうやら櫓台・・・



この石碑↓は、昭和10(1935)年に、横浜貿易新報社(現・神奈川新聞社)
主催の投票で選ばれた景勝地の記念だそうで・・・
肝心の山田右京之進については、わからずじまい。

築城主は上杉憲清と伝えられているものの、それすら定かではなく・・・
西股総生氏は、「扇谷上杉氏に使え、後に武蔵松山城主となった
上田氏の被官に山田氏がある」ので、その一族かと示唆されていました。




さて、こちらは、弘法大師様の真言宗のお寺です。
ありがたくて、早速「般若心経」を唱え、お参りをいたしした。

ご本堂の横には、薬師堂・・・

奉られているのは「無眼薬師如来」、お目のない御薬師様です。
眼病に苦しむ民に、眼を与えられたため、このお姿なのだとか・・・
眼の病や障害に御利益があるとのことで・・・


(石碑の脇から下を見下ろす)


普段は厨子の中に安置されているそうですが、
12年に1度、寅年の年にご開帳・・・お姿を拝むことが出来ます。
ただし、それ以外の時に見てしまうと、眼が悪くなるそうで・・・(!)

今日はお姿は見えないよね、と不安に駆られながらw・・・
早速、お参りさせていただきました。(↑ご開帳は12年に1度だから~っ)
アタクシときたら、強度近視のくせに、眼を酷使してばかりですからね~


(薬師堂)


お寺の開山が慶長年間(1596-1614) ・・・
山田右京進も、上杉憲清も、それ以前の人々で・・・
長い長い時の向こうにいますが・・・

ずっと、人の営みが、この地にあったことは確かです・・・


(本堂側から山門を眺める。この間に虎口があったらしい。冒頭画像が山門)


城めぐり・・・
いつもながら、アタクシは城遺構そのものよりも・・・
どんな人がここにいたのだろう、と、妄想三昧でございました。


◆参考:西股総生ほか『神奈川中世城郭図鑑』戎光祥出版
そのほか、舊城寺内の説明板から本日の記事をまとめました。
間違いや勘違いは、素人の備忘録という事で、お許し下さいませ。

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