おはようございます。
今朝は、「ふじのくに紀行」メインのお城めぐり、
横須賀城・登城記に、どうぞ、おつきあいくださいませ。
神奈川県民ですから、失礼ながら、
横須賀といえば、三浦半島の横須賀市・・・!
静岡県掛川市に「横須賀」があり、
ましてや「横須賀藩」が明治維新まで存在していたとは・・・!
横須賀城についても、
紹介されるまで、全然知りませんでした。
(西の丸から本丸方面を眺める)
・・・ということで、リア攻め、横須賀城登城へ。
この6キロほど東に高天神城があります。
戦国時代、この地は、東から攻める武田信玄と西からの徳川家康による
攻防が続く土地でした。
(天守台跡)
横須賀城は、天正6/1578年に
家康が高天神城攻めのため築かせた、いわば付城。
その後、天正9/1581年に高天神城が落城し、廃城となると
横須賀城が、この地の拠点となりました。
横須賀藩は、江戸時代を通じ、
築城主の大須賀氏をはじめとし、20代を数えています。
明治の廃城令により廃城となると、土地は民間に払い下げられました。
(卓偉くんも大喜びの立体模型)
「わざわざ切らなくて、いいんじゃね?、ってことになったんだね」と、
卓偉くん。
卓偉くんによると、
近くの天竜川の丸石を、そのまま石垣に使っていることは、
この城のオリジナリティの現れだろうとのことです。
石積みの方法も、理にかなっていると指摘されてもいました。
(階段部分に埋められた石は、当時のオリジナルかもとも・・・)
実際にみると、確かに丸っこい石が積み上げられているのは、
なんだか不思議な・・・印象としては柔らかい感じです。
そして、かつては、目の前が、すぐに海だったとか。
流通、運搬に便利な地でもあったわけです。
今は、海なんて、遠くにかすかに見えるだけでしたが・・・
さて、番組で、卓偉くんが見つけた、ヤブの中の見事な堀・・・
このまろやかな雰囲気からは一転の、あの山城感・・・!
わたしは、せっかく登城しながら、見ていないんですw
夫が先を急ぎましてね・・・
しかも、ヤツは、この城をスルーしようとしていたんです。
「え、そりゃないでしょ、卓偉くんの城wだよ!?」と、
わたしがブンブン騒いだので、登城できた次第・・・
ただし、ほんのちょこっとだけ、めちゃくちゃ急かされました。
・・・まったく、「100名城スタンプ」以外の城を
素通りするのは、やめてほしいもんです・・・(怒)
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横須賀場については、「掛川観光情報HP」や現地の案内板も
参考にまとめています。
本日も、おつきあいいただき、どうもありがとうございました。