政府が示していた(医療費が高額となった際に患者負担を抑える)「高額療養費制度」の負担上限額を2年間かけて3段階で引き上げる案について、石破茂首相は2月28日の衆院予算委員会で、一部を見直す方針を表明したと新聞各紙が報じています。
具体的には、25年8月の最初の引き上げは原案通り実施するが、26、27年度に予定する2段階目以降の引き上げについては再検討を行う由。高額療養費制度は、大きなリスクから家計を守る「最後の砦」となる制度だけに、慎重な対応が求められているところです。
ここで、「おさらい」ですが、そもそも「高額療養費制度」とはどのような制度なのか。日本の公的医療保険制度では、患者は窓口でかかった医療費の3割を自己負担するのが原則です。しかし、これには年齢に応じた軽減策が講じられており、75歳以上の負担額は1割(現役並み所得者3割、一定所得以上2割)、70~74歳は2割(現役並み所得者3割)、義務教育就学前は2割とされています。
しかし、入院や手術、投薬などで医療費が高額になれば、この1~3割でも負担は相当のもの。そこで負担が過重にならないように、自己負担額に天井(限度額)を設ける「高額療養費制度」が安全弁として備えられているわけです。
さて、その限度額ですが、「1カ月の窓口負担」が限度額を超えた場合に超えた額が給付されることになっており、その金額は年齢(70歳以上・未満)と所得で決まっています。ざっくり言ってしまえば、70歳未満で、例えば年収約370万~約770万円の人の限度額は月額で8万100円ちょっと。年収約1160万円を超えるお金持ちでも、月額25万2600円ちょっとに抑えられる仕組みです。
これを多いと見るか、少ないと見るかは人それぞれでしょうが、月額8万円なら年間100万円といったところ。保険料が高額な医療保険に入っていなくても、「病院への支払いで生活できない」…というほどでもないでしょう。
厚生労働省のまとめでは、令和5年度の国民医療費は、概算で47兆3000億円と、前の年度から1兆3000億円増加し、3年連続で過去最高を更新しているとのこと。これを、(赤ちゃんからお年寄りまで)国民1人当たりに直せば(医療費は)38万円と、前の年度より1万2000円増えていることになり、どこかで歯止めをかけなければ(世界に冠たる)国民皆保険がいよいよ維持できなくなるという状況なのかもしれません。
さて、国民医療費をめぐるこうした厳しい状況に関し、2月21日の「集英社オンライン」に医療政策学者でUCLA助教授の津川友介氏が、『国民の負担を増やす前に厚労省がやるべき、2~7兆円もの医療費を削減できる3つの医療改革とは』と題する論評を上げているので、参考までにその概要を残しておきたいと思います。
政府の令和7年度当初予算編成に当たり、高額療養費制度の自己負担の上限の引き上げが案として浮上したことに国民から非難の声が上がっている。私(←津川氏)自身、現状における高額療養費の自己負担の上限の引き上げは悪手であり、やるべきではないと考えていると、氏はこの論評の冒頭に綴っています。
そもそも公的医療保険は、①予測困難な健康上の問題で、②健康上の問題が起きたときに高額の医療費がかかる、という2つのリスクを減らすことが目的のはず。この原則から考えれば「高額療養費制度」こそ日本の健康保険制度の根幹であり、それを弱体化させることは、医療費が払えずに治療をあきらめる人や、医療費の支払いのために自己破産して生活保護になってしまう家庭を増やす可能性があるということです。
もしも医療費の増加を抑制したいのであれば、高額療養費制度の対象となっているような(生死に面している)重症患者に負担を強いるのではなく、まず先に外来を受診しているような軽症患者さんに、不要不急の医療を控えてもらうべきだと氏は言います。
まずは、医療のムダを減らすことで、国民の健康を犠牲にすることなく医療費削減を達成すること。つまり、国民の健康を改善、増進しない(もしくはその効果の小さい)医療サービスを減らすことで、国民の健康に悪影響をおよぼすことなく医療費の伸びを抑制すべきだというのが氏の見解です。
例えば、薬局やドラッグストアなどで医師の処方箋なしで直接購入できる「OTC類似薬」を健康保険の対象から外すだけで、3200億円~1兆円の医療費削減効果があると氏は説明しています。風邪薬・湿布・胃腸薬・ビタミン剤・うがい薬・目薬・漢方薬などがその代表例。日本総合研究所の試算では、OTC類似薬は医療費全体の2.3%を占め、関連する医療費は約1兆円に達している由。湿布薬だけでも年間54億回処方されており、その医療費は1300億円に達するということです。
それ以外にも、そもそも健康上のメリットがない「無価値医療」を健康保険の対象から外す必要があると氏は話しています。その医療費削減効果は、9500億円~1.2兆円に及ぶとの試算もあるとのこと。代表的な例としては、風邪に対する抗菌薬治療など。風邪(急性上気道炎)はウイルス感染であり、そもそも総合感冒薬には風邪のウイルスを倒す力や、回復を早める効果はありません。風邪による辛い症状を改善するという「対症療法」としての有効性に関しても、エビデンスはないということです。
また、日本ではしばしば議論になる、重度の認知症患者(←認知症が原因で経口摂取が難しくなった患者)に対する「胃ろう造設」もそのひとつだと氏は続けます。一般に、重度の認知症患者に対する医療の目的は、延命ではなく「生活の質(Quality of life)の向上」のはず。氏によれば、胃ろう造設は生活の質を改善させないだけでなく(介助による経口摂取と比べて)誤嚥性肺炎のリスクも減らないので、欧米では推奨されていないということです。
これらは一例に過ぎないが、関連するいくつかの改革を進めれば、最大7.3兆円の医療の無駄を削減できると氏は試算しています。
因みに、健康保険組合連合会が公表している「高額レセプト上位の概要」によれば、2023年度1年間で、1か月当たり医療費が1000万円以上となった高額レセプトは2156件あり、前年度に比べて364件・20.3%の増加し「過去最高」を更新している由。新薬の保険適用が進んだことなどにより上位1-14位までは脊髄性筋萎縮症患者で占められ、それぞれ「1か月に1億7000万円」程度の超高額レセプトも発生しているということです。
あまり高額に目がくらみそうですが、そうした中でも、改革はまずは「足下」からということなのでしょう。確かに、齢90を超える私の母親などを見ていても、かかりつけの病院からはビタミン剤だの睡眠導入剤だの目薬だの、毎日お腹が一杯になるほどの薬が処方され、本人も「飲みきれない」とぼやいています。さらに、毎回主治医に「あちらが痛い」「こちらが痺れる」と訴えるものだから、湿布薬も孫に分けてあげる程残っている状況です。
これはおそらく、日本中で起こっていることなのでしょう。国民医療の増加を抑制するには、国民の健康に深刻な影響を与える高額療養費制度の改悪を検討するより先に、やるべきことがあるはずだと話す津川氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。