MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2201 発達障害の子供が増えている理由(その1)

2022年07月07日 | 教育

 2005年に施行された「発達障害者支援法」は、それまで障害者福祉制度の枠外に置かれていた自閉症・アスペルガー症候群、LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動性障害)などの症状を「発達障害」と定義して、国や自治体がそれぞれの特性やライフステージに応じた支援を行うことを法律です。

 法律の施行により支援が制度化されるまでは、知的障害を伴わない発達障害を持つ人は、福祉行政の狭間に置かれ(言葉は悪いですが)ただの「変な奴」「変わった人」として支援の対象とはなっていませんでした。しかし、「自閉症」「アスペルガー」といった言葉の浸透とともに、学校などにおけるLD児等の教育の困難性当が様々に指摘・注目されるようになり、現場の声を受ける形で公的な支援が始まったということです。

 厚生労働省では発達障害を、「生まれつきみられる脳の働き方の違いにより、幼児のうちから行動面や情緒面に特徴がある状態」と位置付けており、「自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、学習障害、チック症、吃音など」も含むとしています。

 そもそも、発達障害は原因が明らかでないため、血液検査や脳波などの数値で診断されるものではなく(国際的な診断基準や知能検査などの尺度はあるにしても)最終的には医師が問診により診断するものです。したがって、診断にあたっては、性格の連続的なグラデーションの中で、どこまでを「個性」とするか、どこから先を「障害」と見るかといった曖昧な要素もあり、多くの困難性が伴うことは言うまでもありません。

 では、実際、発達障害と診断される人はどれほどいるのか。日本における調査としては、2012年に厚生労働省が公立小中学校で約5万人の児童・生徒を対象に実施されたもの(「通常の学級に在籍する発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査」)が広く知られています。

 同調査によれば、発達障害児の割合は全体のおよそ6.5%。小学校1年生(当時)に限っては10人に1人程度(知的障害のある児童は除く)とされており、男子の方が女子よりも3倍程度多いとされています。そして、その約半数が、(他の児童とは別の)個別の指導計画の下での学習を余儀なくされているということでした。

 しかし、「10人に1人の割合」と言えば相当のもの。40人のクラスで4人が発達障害者として認識され、そのうちの2人が個別指導の下で教育を受けているとすれば、もはやどういう子供が「健常」で、どういう態度が「普通」なのかよくわからないといった声があっても不思議ではありません。

 知られているようであまり知られていない、こうした発達障害(児)の状況に関し、6月3日の埼玉新聞に、埼玉大学大学院准教授の佐藤雅浩(さとう・まさひろ)氏が「発達障害の流行について」(経済コラム「研究者の眼」)と題する論考を寄せています。

 文部科学省によれば、2017年の時点で「通級」(軽度の障害がある児童生徒を、一般の児童生徒とは別の特別な教育課程によって指導する制度)による指導を受けている小中学生の数は10万人を超えており、10年前から2倍以上に増えている。そして、その増加分の多くはADHDや学習障害、自閉症など、日本で「発達障害」と総称される特性を持つとされた児童が占めていると氏はこの論考に綴っています。

 2005年に施行された発達障害者支援法では、発達障害のある人々が円滑な社会生活を送れるよう、障害を早期に「発見」し支援を行うことなどを目的として制定された。前世紀まで、生活上の困難を感じていた「発達障害者」が、この法律やその後の諸施策によって少しでも生き辛さを軽減できたならこれほど素晴らしいことはないと氏は言います。

 しかし、この「発達障害」の概念に対しては、多くの専門家から疑問の声が上がっているというのが、この論考において氏の指摘するところです。その論旨は様々だが、診断基準のあいまいさや誤診・過剰診断の弊害、診断された人々の自己肯定感の低下などが強く懸念されている。営利目的の「発達障害ビジネス」に対して警鐘を鳴らす専門家もいるということです。

 こうした状況は、総じて過去の「神経衰弱」や「ノイローゼ」そして「うつ病」の時代と大きく変わっていない。病名が作られ、それが社会に浸透し、診断される人々が増え、論争が巻き起こるというプロセスの繰り返しだと氏は指摘しています。

 「発達障害」の場合は、「子ども」が主要な対象となっている点がこれまでの「流行」とは異なる。しかし、子どもの「障害」を気にするのは主として大人なのだから、やはり構図は似通っているというのが氏の認識です。現代社会の大人たちは、なぜこれほどまでに自他の(そして自分の子供の)心や脳の問題を「発見」したがるのか。そこに問題の根幹があるような気がしてならないと、佐藤氏はこの論考に記しています。

 「コミュ障」という言葉に示されるように「コミュニケーション力」がこれまでになく重要視されているこの時代、それは(おそらく)「良い人生とは何か」「望ましい一生とは何か」といった人生観の問題と、密接に関係しているのでしょう。

 「障害」の診断は、(子供たちの個性や性格が)これから生きていくのにどれだけの障害になるかというその一点で下される。発達障害の増加は、社会から期待される人間像と切り離して考えることが難しい、現代人の宿痾なのかもしれないとこの論考を結ぶ佐藤氏の指摘を、私も大変興味深く読んだところです。

 



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1 コメント

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東洋経済の連載記事 (The catcher in the lie)
2022-07-10 01:15:15
以下の記事がご参考になれば。
https://toyokeizai.net/articles/-/535848
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