8月17日、先に閉幕した東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の高橋治之元理事が、スポンサー選考の際に衣料メーカーのAOKIホールディングスから賄賂を受け取った疑いがあるとして、関係者とともに逮捕されました。
この事件に関しては、今年の7月、高橋氏の世田谷区の自宅をはじめ、高橋氏が顧問を勤めた大手広告代理店電通の本社やAOKIの創業者・青木拡憲前会長宅などに、東京地検が幾度となく家宅捜索に入っていました。
それにしても、捜査に入る特捜の様子を伝えるテレビの画面などを見て驚かされたのは、都内世田谷区にあるとされる容疑者の自宅の立派なことと、自家用車と思われるドイツの超高級車マイバッハに乗って運転手付きで出かける姿です。
逮捕された高橋容疑者は(高給で名高い)電通の専務理事だったということですが、サラリーマンの生活とは到底思えないリッチさに、「こういう(フィクサーみたいな)人って本当にいるんだ…」と改めて感心(?)させられた次第です。
聞けば、高橋容疑者の父に当たる義治氏は、物資が不足していた戦後のまもない時代に輸入商として財をなし、テレビ朝日の設立にも関わった実業家とのこと。弟の治則氏はバブル期にリゾート開発会社「イ・アイ・イ・インターナショナル」で手広く事業を起こすも経営破綻し、背任罪に問われ逮捕された人物と伝えられています。
高橋容疑者自身も幼稚舎から入学した生粋の慶應ボーイで、電通の平社員だった頃から運転手付きのジャガーで出社していたとのこと。さらに、アメリカに赴任していた際には、自分専用のプライベートルームを米・NYの高級ホテル内に持っていたという伝説を持つ人物だそうです。
現在も、自宅にはベンツが4台あり、エプロンをつけたお手伝いさんやお抱えの運転手も常駐。自身が経営する六本木アークヒルズにある高級ステーキ店で、菅前首相などの政界の大物や旧知の記者などを招きよく会食をしていたとも伝えられています。
さすがは電通。「懐が深い」というか、社員や役員に(かなり)自由にやらせていたんだなとは思いますが、コンプライアンスという観点に立てば、(「みなし公務員」として公金を取り扱う以上)組織委員会が「脇が甘い」との誹りを受けるのも、それはそれで致し方がないことでしょう。
テレビの画像を見ながらそんなことを考えていた折、2019年8月6日の東洋経済ONLINEに掲載されていた、『日本型リア充の研究』(自由国民社)の著者で、若者論など幅広い言論活動を展開する古谷経衡氏へのインタビュー記事『日本人よ、真のリア充」とは土地持ちの階級だ』を思い出したので、参考までに(少しだけ)その内容に触れておきたいと思います。
古谷氏はこの記事において、我々が暮らす今の日本において、真の「リア充」とはどんな人たちを指すのかと読者に問いかけています。
彼氏や彼女がいて、毎日が楽しい人たち? 有名大学卒の外資系エリートビジネスマン? それとも異性にもてるイケメンか? 実は、これらは全部当たっていない。日本における真の「リア充」とは、大都市圏の土地持ちとその子孫のたちのこと。例えイケメンだろうと外資系エリートだろうと、(無産階級の子弟であれば)結局は「残念な人」にすぎないと古谷氏は話しています。
現在の日本で、無理をせず、そして自由に、心配事もなく楽しく暮らしているのは、(少し引いて見れば)大都市圏の土地が安かった時代に土地を買った人たちとその子孫たちである。「日本型リア充」は土地を媒介にした特権階級であり、土地を持たない者との格差は絶望的に大きいというのが、この記事における古谷氏の見解です。
この日本でも、「格差」の存在がよく話題に上るようになった。しかし、その多くが「若者と高齢者」など、世代年齢の離れた者同士の格差であり、若者の間にある深刻な格差について言及されることは少ないと氏は言います。
日本における「最高の勝者」は、大都市圏の地価が低かった時代に土地を買った人やそうした人を親に持つ人。高度成長を遂げた日本において、地方出身者や資産を持たない層は、そこに広がるスターラインの違いを到底乗り越えることはできないというのが氏の見解です。
もちろん、こうした違いは、精神面・行動面にも如実に表れる。特に、真の意味での「日本型リア充」の特徴は、行動がつねに衝動的で刹那的であることだと氏は言います。
常識的な人間はつねにリスクを考えて行動するので、新しい環境に足を踏み入れるときや知らない人に会うときは緊張するし、慎重に行動する。ところが、世の中にはこうした「新規探索傾向」がやたら強く、自分の考えや行動を顧みることをしない(できない)人が一定数存在するということです。
例えば、ハロウィーンで渋谷に集まり、その場のノリで自動車を横転させて喜んでいるような人たち。氏は彼らを「非内省の人」と呼んでいるとしています。
そして、大都市圏の土地相続人であり、なおかつ(この)非内省型パーソナリティを有する人が、「日本型リア充」として社会に君臨している現実がある。非内省型であっても、特に「日本型リア充」は土地という財産があるので、(「あそこの坊ちゃんならまあ仕方がない」と)問題にならないことが多かったからだろうと氏は説明しています。
例えば、著名人では、名門政治家の家に生まれたというだけで莫大な資産を相続した鳩山由紀夫氏。彼の刹那的な言動で日本は大混乱したが、彼は一切反省していない。自己点検すらする様子はなく、それどころか「鳩山イニシアチブ」との造語を作って大学等で講演を行っているということです。
また、鳩山氏よりも多くの財産を親から相続していると思われるのが、元総理大臣の麻生太郎氏。何回もの失言に及んだ氏は「失言王」とも言われているが、(失言で政治家を辞めることになってもまったく生活には困らないので)深く考えることなく失言を繰り返していると氏は話しています。
さて、鳩山氏や麻生氏、そして今回収賄の容疑で逮捕された高橋容疑者が「日本型リア充」で、なおかつ「そういう人」かどうかはよく分かりませんが、確かにこれまでの人生において、彼らが自分の好きなように動けるような環境にあったことは恐らく間違いないでしょう。
なので、一日一日を額に汗して暮らす人々の感性や倫理観は、そういう人たちにはなかなか理解してもらえない。道を踏み外さないよう、毎日を慎重に暮らしているのが小市民というもの。それを解ってくれと言っても、所詮無理なことなのかもしれません。
(「ひがみ」と言われればそれまでですが)例え金品の授受などがあったとしても、気持ちの中に「悪いことをした」という反省の気持ちが全く浮かばない人というのは(たぶん)きっといるのだろうなと、テレビに映る高橋容疑者の姿を目にして改めて感じたところです。
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