はなしのひろば

興味のある話題、健康、積極的に投稿します。

定義の枠をはみ出るときにこそ

2023年02月12日 16時26分53秒 | Weblog
なかなか学者になったというわけにはいかない。世の、えらいと思う人こそ(勝手にそう思う人のこと)自分の都合に合わない事象があったら、無視したり抑え込もうとしたりで、始末に負えないとはこのこと。
 なかなか、親身になって困った人の相談に乗ることはできそうでできないものだ。通り一遍の解決策を教えて事足りとしたりで。
自分はそのようにはならないと思いたい。定義に合わない部分の解決策を発見したいと、そこに労を惜しまないと。そのようになりたいと思う。
 世の先生方、そこまでできる人は意外と少ないものだと思う。(学者は自己の仮設の反例の出現を歓迎するという。そうであってこそ学問は発展する。)
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人生は自分の思い付きだけでは

2023年01月21日 17時18分54秒 | Weblog
自分が思いつく理由付けだけでは人生説明ができるわけではないという。
 生まれるにしてもどの環境に生まれるか性別かなど生まれてみないとわからない。育つ環境にしてもいろんな縁(条件)が重なって起こる。自分の意志や努力とは違う要素である。

 ただどう生きるか、自分が目標持つか否かで、違いは出るであろう。波風受けて学ぶことはあろう。周囲の期待通りの方向から曲がることもあろう。裏切ったと誹られることだってあるだろう。しかし、事故や事件がある。誰が災害コロナ禍を予測しえたであろう。

 曲がるところに物語・新しい人生が生まれるともされる。いまは諦めるほかなくても未来はまた別の縁で編むまれていくものだからとあるお坊様はおっしゃっておられたことでした。
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あれができなかった人生

2022年12月24日 09時12分14秒 | Weblog
人生を振り返って、あれをやったと感慨にふける。あれをやらなかった「傷つけなかった、人の上に立とうとしなかった、差別しなかった、欲におぼれなかった、」人としての矜持を守り通す、どちらも良きかな。
 人生の価値値段は5厘という話がある。良いことから良くなかったことを差し引くとこの値段になるという。
あれもできた、しかしこれはできなかった。
これにはどう応えるか。やろうとしたがどうもできなかった。後悔も少し和らぐかもしれない。
荒波の人生乗り切るためと....やろうとしてできなかったことも、自分の味方になってくれるかもしれない。
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失ったものに執着するは

2022年10月10日 16時34分19秒 | Weblog
よく、店頭に並んでいる素敵な商品が目に留まり、今度買おうと思い行ったら、売れていた。残念...とあっさり諦めがついて、そしていつしか忘れ去る。
 似たようなことなのか、手に入れたものには意外と無頓着、失ったものはいつまでも記憶に残る。取り返しがつかないと狼狽えると。
これは人間のさが(性)なのかとある作家は言われる。それは「私」の骨格は私一人で組んだものではないからなどと言われる。

自分が得たもの、その時は気付かなくても、後になって結構自分は幸せなんだったんだと思い起こすことがある。
失ったと思っていても、時を経て、目が肥えてくると、傷が深いと思っていたものが、浅いものだったんだと。人生独り芝居の世界である。



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東北の夏の思い出はいつまでも

2022年08月07日 20時57分09秒 | Weblog
当時は東北周遊券と言うのがあり、今は青春18キップ、学生の頃夏休みに訪れたことがあった。ちょうど今の時期だ、夕暮れ時がその頃の感覚を呼び覚ましてくれる。花笠まつり三年振りに開かれたそうだが、夜にパレード見物した思い出がある。今は降雨災害で大変なことのようです。
地球温暖化が進んだのは本当のようです。
暑いと言っても夏の暑さ鉄道列車の草いきれ、列車で東北を巡る旅、その思い出はいつまでも心に残っている。

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コロナはレントゲン

2022年07月17日 15時06分52秒 | Weblog
ウイズコロナという、いつまでも収束しそうに見えない新型コロナ感染拡大。コロナ以前を思って自分はよい時間空間に生きていたのか?
実はその時もあまりよい時間空間ではなかったかのではないか。じゃあ一体何に元通りになってほしくないのかと。
 人との絆? 自分の健康観、人生観? でも気付くのは数。感染者数・顧客顧客減少の数? ワクチンが効くようになる日数?
コロナは今文明をレントゲンにかけている。

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世の中ついでに生きてる境地

2022年06月21日 21時45分08秒 | Weblog
ここまで自分を隔てて観察する。何のついでかはあまり重要ではないかもしれない。真剣勝負であったり、追い詰められたりすると結構必死なものである。
受験、競争社会、攻撃の対象になるなど(身に降る火の粉)、生き抜くのも命がけか、ついでに生きるなんて、烏滸がましいかもしれない。
ただ、思い詰めて、戻ってこれないようではいけない。
落ち込んでいるとき、絶望の淵に仮にいたとしても、このような軽さも必要なのではないかと思う。

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GWには思い出の場所で

2022年05月06日 17時56分20秒 | Weblog

ほんとによく晴れ晴天続き、少し遠出ということで、高速飛ばして大山蒜山高原へ。ドライブには蒜山連山を眺めながら。中学生の頃同じ景色を眺めながらキャンプファイヤーを囲んだ。

若い身体、火山灰土に真っ黒になりながら、蒜山連山縦走登山、家に帰った後は疲れたのだろう丸二日眠ったことでした。

今回は大山蒜山ハイウエーで大山のふもとまで行き、その壮大な姿、神として祭るにふさわしいと素直に感じました。


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過ぎ去ったあの頃に思いを馳せて

2022年03月30日 19時57分07秒 | Weblog
思春期の頃、名門第六高等学校が前身の県立A高等学校にあこがれていた。学区は違う越境入学で定員の5%に限られるという狭き門。第一志望が叶えられることなく振り分けられたのが第三志望校であった。通学も大変な遠くの高校にゆくことになった。
 長い月日が経って、第一志望校の傍を通ることがあった。
下見に行った頃のその古びた校舎も憧れの想いは輝いて見せたのである。今は校舎も新しくなっているようで、石垣の学校塀は積み増されて中も見えにくい。その学校に通い、町の商店主の気立ての良い娘と高校生活を過ごし、若い心で、将来を誓いむすばれる、そんな物語を思いながら・・・
しかし、高い塀の現実はその思いもはねつけるように、月日は過ぎ去ってしまった。



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懐かしのあの土手に登って

2022年01月15日 21時48分38秒 | Weblog
普段は車で通るので、徒歩で歩く道は違った風景が広がっている。あの河岸土手はなんと懐かしい佇まいに映るのだろう。深い低地に阻まれてすぐには辿れないのだが。冬の枯草に覆われて、美しく続いている(人が立ち入らない手つかずの綺麗)。幼いころに駆け上ったことはなかったかもしれない。いつか行きたいと思い、行かれずにいたのかもしれない。その堤防の袂まで来てみた。車は通行禁止になっている。でも、歩くことは出来よう。その土手に見た若い頃の思い出。
晴れた日にきっと登って見ようと思う。

# 後日、宅地造成で低地が埋め立てられていたので土手まで行けました。高い土手からの展望。深く茂った雑木の茂みは鳥たちの住処になって喧しい。住宅が立ち並ぶ一方河岸も運動グランドが造成されていました。
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キリストが厩で生まれたわけ

2021年12月12日 18時09分58秒 | Weblog
イエスキリスト救世主は馬屋(厩)で生まれたのは誰もが知っている。何故かまでは疑うことはなかった。偉い人は何故か厩その近くに生まれるものとも思い込んでいた。しかし、その時イエスの両親は旅の途中であった。

 当時ベツレヘムはロ-マの支配下、属州になる直前だった。オクタヴィアヌス初代ロ-マ皇帝の統治下、税金を取る台帳を作るため皆は本籍地に戻りなさいと命令があった。キリストの父ヨゼフも母親マリアが身重であったが仕方がないと旅を始めた。その途中で生まれたのがイエスであった。

ロ-マの世界支配の歴史がその背景にあった。クリスマスと言う神聖な雰囲気に馬小屋で救世主が生まれたのはベストセッティングを与えるもの
と今も思っている。
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自分が通った通学路は今

2021年11月26日 13時51分09秒 | Weblog
通勤路から脇道へそれ通ることは滅多にない。ふと自分が小学生のころ通学した道を通ってみたくなった。自動車でだ。

小学校はもとの場所にある。そこを起点にたどってみた。あの頃立派なお屋敷、子供の目、同級生だった子は今もお住まいか?
しかし、道はわからないくらい、家がたちならんでいる。分譲、分譲で次々と。しかし、道だけは狭い。車は進行できない。想い出の道は埋もれてしまった。
何十年たったこれが現実。
記憶は追い求めるものではなく、ただ、懐かしさがひきよせる。
もし、また行ってみたくなったら、徒歩で歩いて見ようとおもう。
歳をとって、リアルになった目も、幼い頃みた、子供の目と、引き比べることは出来るからである。

# 後日、徒歩でたどってみた。古い建物は建て替わってしかも密集していて当時の面影はない。ただ、古ぼけたままの公会堂、そして同級生の家族も住まっていた古いままの公営住宅はそのまま残っていた。思い出の中でその通学路は存在している。懐かしさとともに。
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顔はからだの魂であるとは

2021年10月10日 20時41分49秒 | Weblog
なかなか意味深な一言である。眼は口ほどにものを言うとか、顔は心の表面とかはまま聞くことではある。腹を探るというのは表情や言葉からその人の腹=魂を知ろうとする。なかなか心の深奥はわからなくてもちょっとした表情その変化、言葉の端々から推し量ることはできるのである。

この一言は顔は心の表面ではなくあくまで「からだの魂」なのだと(ヴィトゲンシュタイン)。魂も臓腑の底から湧き上がって来るものだという。

人は顔に責任を持たなければならないという。顔で分かるとはこのことか。

思い返すに、この顔にして何を語らんや、その人の魂を見ているのかもしれない。


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金がなくても生きてゆけるが

2021年09月04日 18時42分47秒 | Weblog
「金がなくても生きてゆけるが雪(水と自然)がなくては生きてゆけない。」アフガニスタンの人はこのようにゆうと言う。現地で長く医療と灌漑水路事業に携わり不幸にもタリバンのテロにより殉職された中村哲氏の言葉である。氏は支援と簒奪、復興と武力介入を組み込んだ外国機関の弊害を見据えておられた。
 イスラムの世界には利息と言う概念がないらしい、米国の20年の介入も敗北に終わった。中村氏は現地の人々の幸せは何かを選び取り実践していかれた。しかし、日本古来の灌漑技術を西洋思想とみなされタリバンの怒りを買い狙い殺された。日本人まだ息があるととどめを刺されたという。
中村氏の記された本に「たとい裏切られても裏切り返すことはしない・・そうした行為が人々の心に触れることができる」とある。米軍はアフガンから退避したがタリバンの口から日本人は退避しなくてよいといわせた。氏の遺志は現地に静かに根差しているかのようである。
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オンラインで果たしてどこまで

2021年07月24日 17時09分03秒 | Weblog
密を避ける、対面の会話は短くマスクやアクリル板で。新型コロナウイルス感染のリスクを下げることができ、特にオンラインでズ-ムとか活用すれば感染リスクは100%ないかもしれない。

とにかくオンラインにシフトせよなどと、うまくいくのか確信などないだろうにと思ってしまうのである。

「安全すぎることは心を遠のかしてしまう」

少なくとも接触し、触られるとか、小突かれるとか、如何ばかりかの交渉がなければ不安や不穏なもののやり取りが生まれてこないと識者は言う。人間きれいごとだけでは動かない。まみれること、身を晒すことがなければ「相手を支える力」もまた半減すると。

なるほど、しからばワクチン接種を早く完了しマスクして会ってみるのもよいことだろうに。



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