はなしのひろば

興味のある話題、健康、積極的に投稿します。

百年に一度の災害

2021年05月15日 15時00分10秒 | Weblog
ちょうど百年前のスペイン風邪のパンデミック以来の新型コロナ禍だ。誰もが不安を抱え、怯え、困窮する毎日。

地震や津波そして原発事故。こんどはウイルスという目に見えない生き物が相手である。国のありよう社会や人のあり様が一度は感染対策という門を通過しなければならない。未知のものに手こずる、逃避したくなる、でも立ち向かわなければならない、負ければ死だってある。
人との結びつきが接触回避という根本のところでブロックされる。政府や科学者の英断がある国とない国。

 長い戦いに勝つには個の部分では自分に感染した体内が主戦場。健康で免疫力のあるからだ。高齢でそれがかなわぬ者、病を得て叶わぬ者、感染に無知で脆弱な者、何らかの助けは医療、医療従事者、薬ワクチン、国や社会の支援ということであろうが。
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記憶を持たない民族に未来はあるのかということ

2021年02月23日 21時31分27秒 | Weblog
誰にどの民族に向けられた言葉であろうか。政治の世界で繰り返される事実を曲げ批判を躱し政権維持を計る手法に記憶を消し去り忘れてもらうというのがあるがそれを指しているか。

ならば、身近なところで繰り返されているではないか。国民は為政者に歩調を合わせて忘却になれてしまう。現状維持でよい、二流三流の世界ではあるのだが。

否、もっと大きな歴史に刻まれるようなこと。それは国民は忘れるはずはない。民族の歴史として記憶に刻まれるからである。敗戦の記憶。語り継がれる。

ところが、国の指導者が記憶に蓋をするようなこと。社会主義?には似て非なるが目的のために敢えて蓋をするような。民族第一主義的な中華思想。全力集中などと言い他で捨て駒を出す様な(一人は万人の為になっていない)。コロナの原因は国外にあると国を挙げて忘却。コロナ克服の優位性を誇示するような。すでにこの国では孔子を捨てその原動力には武力が政権を生むかの如き毛沢東主義の信奉がある(イデオロギー的価値は失われるとみられるが)。

ただ、良識ある国民で民族であるならば自らに向けられた教訓としてこれを噛み締めなければならないところだろう。


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コロナ禍で考えること

2021年01月18日 22時00分37秒 | Weblog
コロナ禍で今までの日常が奪われたと思う人は多いと思う。ただその日常が手放しでよかったかというと、怠惰、厳しい現実という日常、夢多くはないという毎日、とけっして全面肯定でないようなのである。

ステイホ-ムで毎日の自分を見つめる機会が増え、ただコロナ禍で生活そのものを失い生に絶望された人もいた、厳しい現実。

自分は人生とは自分の死を知るのが目的のように思ってもいた。だが、毎日が自分の気付かない多くの事柄で成り立ちコロナ禍でそれに気づいた。
人はただ生き延びるためにのみ生きるのではない。生き延びるのも大変なのだが。どんな生をどのように生きるのか。そこに生の熱量がかかっているという。もちろんそうした意味付けを拒む生き方もあるのだけれども。

筆者は前者を支持したい。

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フィールドワークが必要なわけ

2020年11月21日 10時09分41秒 | Weblog
学校で本から知識は学べるかもしれない。もちろん先生の印象的な講義があればなおのこと。しかし、本当に分かったというにはなお遠い。否、疎覚えともなり薄っぺらな理解になるのかもしれない。

歳とともに、物事の深い理解が経験・体験を通じて実現することに気が付く。

素晴らしい講義、は探求の切っ掛けになろう。関連した職業であればより近いポジションを得られるであろう。

筆者は会社法の第一人者の講義・受講がきっかけで、爾来改正が繰り返された会社法にも遅れずにキャッチアップしてきた。それを生かせる職業でもあり役員退職金規定の意味など、或いは退職金そのものが持つ意味が経験によりようやく分かりかけてきたか。

「役員退職金」は中小企業を守り・救う。本だけからはその意義がなかなか分からないことであった。
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ゆりかごのうたから思うこと

2020年10月17日 13時24分44秒 | Weblog
ゆりかごのうたをカナリヤがうたうよ・・びわのみがゆれるよ・・木ネズミ(りす)がゆするよ・・きいろい月がかかるよ、北原白秋の詩による。これは黄色、幸せを呼ぶ色に統一してあるという。揺籃期。誰もが過ごす時期。その時期が多くの人にとって幸せに満ちたものであれかし。黄色で色づけしたいものである。

戦争が終わってつらい時期が過ぎ、戦後民主主義のゆりかごで育っていった多くの人々。これは幸せな時期かと思う。経済的な一定の豊かさと精神的豊かさを得てみれば。いかに、自由と平和がありがたいものかだ。

ところで揺籃期を戦禍のなかで過ごす人々もいるだろう。砲弾の炸裂する轟音のなかでは命も物も心も傷つけられてしまう。生きることさえままならぬ。

そうならないように、何を守らなければならないのか。戦争する勇ましさがもてはやされた時代もあったのである。それに追随しているうちに気が付けば国民の自由が失われてしまっていた。深い反省の歴史が横たわっている。

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秋の物悲しさは

2020年10月13日 19時45分59秒 | Weblog
秋が深まれば、ふと季節のせいでもあるのか、寂しさに包まれることがあるものだ。喜怒哀楽の心の一番奥にはさみしさがあるという。だって、人は一人でこのこの世に生まれ、一人でこの世を去るものだから。永遠の真理。

寂しがり屋の人ならば、人一倍寂しがる人生になるのだろうか。心豊かに教養深く生きる人は寂しさに距離を保てるのだろうか。

ところが、老いを迎え「うまれてきたってことからしてさみしい」が生きることが「全部ひっくるめて面白いと思えるようになる」人がいるという。

どんな人たちだろう。例の聞くところによる、ス-パ-老人、健康そのもの心身共に超然としている、もちろん100歳まで生きる。心も充実してと。肖りたいものである。

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じたばたしていい人生

2020年10月11日 21時38分48秒 | Weblog
人間万事塞翁が馬、負けるが勝ち、禍福は糾える縄の如し、人生・人間世界の機微をいいあてていることばだ。なかなか、強者に容易に勝ち負かすことなどできるものではない、自己の力は有限なものである。負けても勝ちを得ることだってあると思う。

ところで、まっすぐな川・道・人も曲がるところに物語が生まれるという。

何かにおいて、また誰にも好かれる優等生を貫く。それ自体なかなかできるものではないが。しかし、自分に嘘をついてまで歪むことはしなくていい。

優等生になれなくても、川も道も人もたまには蛇行したっていいと。



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知識と知恵は別物

2020年09月24日 20時48分50秒 | Weblog
これほど「知識」があふれているのに、これが「知恵」に結びつかない。今はそういう時代だという。確かにインターネットで知識が驚くほど身近になった。スマホですぐに検索できる。それで、安心してしまうのかもしれない。一度知識を得て武装したら人はそれ以上に世界に注意を払わなくなるという。

「知恵」とは逆に世界に飛び込みそれと語らう中で道を探し出すこと、今はこのバランスが壊れているという(人類学者ティム・インゴルド)。

知恵の欠乏。それは、驚くほど古代の人が知恵で人類の運命や歴史を切り拓いてきた。知識の量ははるかに今より少ないにも拘わらず。

ままよ、すべての創造的な仕事は世界に働きかけ真理・法則・道を発見してきた。科学の世界・学問の世界もっと広く政治・経済の世界もそうなのかもしれない。それを突き動かすものは人の真摯な探求心・熱意・良心と言ったものなのだと思う。



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空に吸われし十五の心

2020年08月29日 15時09分28秒 | Weblog
不来方の(盛岡の雅称)お城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心 石川啄木の句である。授業を抜け出して一人孤独に沈む。その自由さが明けっ広げさが心地よい。子供の心は意外と過去の後悔や未来の不安とでなく今あることにそそがれるという。十代の孤独な心を吸い込んでくれる大きなものが空だったということか。
 長く佇んで空の方を眺めることで、二十歳そこそこの頃、それは夕暮れ近く信州の西の空であったが、駅について民宿の迎えの車を待つながい時間であったが、茜色の雲を眺めて、孤独になって今を見つめたことがあった。それは自分はどこに行くのか将来の自分はどうなっているのかだったのかもしれない。若い心である。

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216億年想いを重ねて

2020年07月23日 11時36分09秒 | Weblog
216億年=五劫の長い期間、衆生・凡夫の救済を思い続け(思惟)た菩薩さまが阿弥陀如来に生まれ変わったという五劫思惟阿弥陀如来仏。216億年とは地球の年齢よりもはるかに長い宇宙年齢138億年よりながい時間である。そのお像が奈良の五劫院にある。
そのお姿はなんとアフロヘア。
成就するまでの思惟続ける長い長い時間のうちに髪が伸びてしまった。成就されホッとした優しいお姿。見るものをほっとさせるものがある。

さて凡夫だが。短い期間でも思いを重ね重ねて、真珠貝のように美しい真珠となることがあるだろうか。
誠実な生き方とは他人を気にするのでなくひたすら孤独のうちで磨かれるもの、だがそれは、必ずや他人の心に響く、他人の支えや救いになることだってあると孔子様は述べられている「子曰、徳不孤、必有隣」『論語』。





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コロナ禍が突き付けた試し

2020年06月07日 22時42分40秒 | Weblog
新型コロナウイルスのパンデミックが世界に広がり、今までの日常が通用しなくなった時に、人は立ち止まり気付くことが多々あったのではなかったか。
満員電車に揺られての出勤。同じ時刻に定時出勤。ステイホ-ム。人と直接接するのでなく、ソ-シャルディスタンスをとりながらの。いつもと違う日常がもとめられこれからも続くという。
テレワークでも十分用事を熟すことができる。わざわざ会社に出向くこともなくてだ。ちゃんと自分で管理して熟すだ。人の信用が前提でそれも難なくできている。
マスク着用は人に感染させる飛沫に注意し、大声を発するようなことのないような心遣いが求められる。短時間に済ませ、だらだらしなぃ。
これは仕事の効率化そのものだ。
実存を説く識者によれば、この感染症の試練は、人生幸福健康すべてに裸の自分が問われる契機になるという。最後まで大事であるのはその人がどんな人間であるかだけであるという。
例えばあるナチスの強制収容所の所長は隠れてユダヤの収容者の為にポケットマネーから薬を買って与えていた。他方最年長の囚人牢屋主が囚人仲間をぞっとする仕方で虐待していたというエピソード。
一種緊急で例外の事態に人間性が試されるコロナ禍がめぐってきている。考えてみてよいことなのかもしれない。


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なつかしさが詰まった消しゴム

2020年04月23日 16時12分31秒 | Weblog
何の気なしにどこでも売っている市販の消しゴムがスケッチしていて見当たらなくなって、多分古いものでかわりの消しゴムがあるだろうと思われる電話機付近を探していたら、ほこりにまみれた幼児用の消しゴムが出てきた。どこからやってきたか、などと思っていたら、その先に見覚えのある。これは自分が恐らく五十年は昔使っていた消しゴムだ。ほこりをきれいに洗い流して元の場所に収めた。
鉛筆使う児童生徒の自分がいた。使う自分の記憶はほとんどないが。自分が生きてきた証拠。
こみ上げる懐かしさとともに、あと自分は何年生きるか、もう、そんな年になったのかと。少年老い易く・・・
いやいや、今を、そして先を見つめて毎日生きようと、そんな思いに耽る昼下がりのひと時でありました。
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ウイルスが宇宙人を滅ぼした

2020年04月15日 19時32分43秒 | Weblog
映画「宇宙戦争」H・Gウェルズをスピルバーグ監督が作品化。地球人の血を吸って生きる宇宙人、巨大な歩くロボットで人間を捕獲して回る。そのリアルさには息をのむのであるが。
突如その巨大ロボットも宇宙人も体が動かなくなりやがて死滅していく。地球上には未知のウイルスがいて宇宙人に感染して滅ぼすストーリー。
今地球規模で新型コロナウイルスが猛威を振るい、人々を恐怖に陥れている。このウイルスは人類を絶滅などできない。人類には滅びることのないよう多様性をもちDNAは生殖により新しい組み合わせによりより多様性を保っているからである。
ウイルスとはやはり共存ということになろう。新薬により補強されこのウイルスもただの風邪の一つに過ぎなくなるその日は来るだろう。


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時代劇で不正を正す

2020年03月21日 19時04分55秒 | Weblog
「蛍草」菜々の剣、原作は葉室麟による長編歴史小説。テレビドラマ化されたもので見る。ストーリーも仇討のかたちで御前試合、直訴、藩内の不正を正すといったエンディング。16歳の菜々を17歳の清原果那が初々しく演じる。陥れられた父の仇がいわゆる権力者の腰巾着。これと癒着した旧態然の権力者が自ら改革することのむづかしさが伝わる。代替わりの若手藩主が直訴を受けて先代を乗り越えていくものだ。

プライド高く、女性が陥れられた者の救い手となる、アンデルセンの物語にも雪の女王に連れ去られた幼馴染のカイを救う女の子ゲルダの物語がある。胸のすく話。ぜひ、現代女性にこれを期待したいが。最後、菜々と奉公先の主人と結ばれる素敵な結末となっている。
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見えない恐怖との戦い

2020年03月08日 13時51分04秒 | Weblog
大陸発の新型コロナウイルス肺炎グローバル化ならぬ、これだけ旅行や商業貿易の往来が増えると水際で食い止めるのは難しい。かつて737年奈良時代遣唐使などでもたらされたとされる天然痘ウイルス、今でこそ地球上から消滅宣言されているが、感染力も高く致死率も高い100万人を越える死者がでて、当時の政権中枢藤原四兄弟も同時期に感染し同じ年に死亡している。
人類はワクチンで天然痘ウイルスを制圧した。筆者も子供の頃このワクチンの接種を受けている。
ウイルスも地球上の生き物、生きるために必死である。歴史上コレラ、スペイン風邪などの疫病は多くの死者がでて人口を減らすほどの規模のものが見られたのである。
今回の新型コロナウイルス。見えないが感染力も強く、その分死者も増え、容赦なく感染拡大している。これとも向き合い戦っていかねばならない。生きるために。
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