何のために生まれたかと聞かれても、自分の意思で生まれてくるわけではないので。では何のために生きるのか。多くの人は自分の子供を育てるためにと。考えてみれば、愛するために夢見るために生きる。これは、よいところを言い当てている。こうあらねばならないだろう。この反対の方向はけっして好いことにはならないからである。話は飛ぶが、国(国家)の大元(原理原則)を決めるものに憲法があるが、今の憲法が理想主義的でありすぎるという意見がある。だから、いけないとか、割り引いたものにせよとか言うのは、この点を考えてみては・・・。理想に向かう国家という共同体、そして個々の国民、それは好ましいものなのではないか。
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