13・1・21
― 真似る 書き写す 6 -
天風師の教えに意識明瞭、があります。
普段、意識を不明瞭に過ごしている、とは思えませんでした。
クラクションが鳴ればその方に注意を向ける。
電車が近づいてきたから少し下がって待とう。
その程度に注意力があるから身を守れる。
考え事をしていると、知った顔に気が付かないことはある。
うっかり仕舞い込んで分からなくなった、置き忘れてきた、
意識不明瞭と云っても、その程度のことだろう、と思っていた。
「かぼちゃだったら描けそう…」
八百屋の店先に、スーパーの棚にかぼちゃはよく見かけている。
見かけているが、目に映ったに過ぎない。
形状がどうなっているか、どのような色なのか、
そんなことは如何でもよいこと
だから敢えて注意を振り向けない。
「かぼちゃだったら描けそう…」と云われて
真似をしてかぼちゃを描いた。
特に絵など描ける訳がない、と
頑なに思い込んでいた背景があったから、
かぼちゃが描けた歓びを味わうと同時に
かぼちゃに注意深くなる。
茄子や胡瓜にも今迄より、いくらかでも注意を振り向ける。
絵を描く、絵を描いたという背景があるから、
大袈裟に言えば絵という視点で茄子も胡瓜も注意深く見る。
養護老人施設に入居するお年寄りに毎月ハガキを7,8通書く
ネタ本として水原秋桜子の俳句小歳時記を活用していた。
季語としてもかぼちゃの説明文、例句に一通り目を通す。
「カンボジア原産と考えられていたのでこの名が付いた。
関西ではなんきん、多分中国の南京を経てきたからであろう」
「とらわるる ことなく南瓜 蔓伸ばす」(本宮鼎三)
意識明瞭というより、書き写すことで関心が、或いは興味が芽生え
結果として意識明瞭につながる。興味が湧き、観察する。