12・5・21
数年前船橋市北本町に住んでいたことがある。
近くに長津公園があり洪水時の遊水池の役割がある。
毎朝のように公園を散歩していた。
あるとき、フト気になった。
「公園の何処かに何時も花は咲いている、途切れることがあるのだろうか?」
もとより花に関心がある訳ではない、花の名前は殆ど知らない。どんな花が咲いているのか、
写真を撮ってみようと思い立って、カメラを携えて散歩に出かけることにした。
見かけた花を全部撮って、ノートに貼る、
花に詳しい人にでも出会ったら花の名前を聞いてみよう、その程度の関心だった。
図鑑で調べるほどのことはなかった。
小学生用の白紙ノート60ページに3冊ほど溜まった。
北本町から鎌ヶ谷市に引っ越して、最近身の回りを整理していたらそのノートが出てきた。
驚いたことにハナビシソウが写っている。
俳句を詠み、花に詳しい女性にこのノートを見せて、分かる名前は書き込んでいる。
ところがハナビシソウを彼女は見ているのだが、名前は知らなかったらしい。
ボールペンでなぞっているので、きっと○○かもしれない、程度の会話を交わしているのだろう。
確たる名前が思い出せないのか、全く知らないのか花の名前を記入していない。
私もハナビシソウを既に数年前見かけて写真に撮っている。にも、関わらず全く覚えがない。
写真に撮るぐらいだからハナビシソウの名前は知らなくてもハナビシソウの存在ぐらいは知っていたはず、
だがそれさえも全く覚えがない。
見かけない花に集中するあまり、一つ一つの花には全く注意を注いでいない。
言い換えれば一つ一つの花には無頓着だった。
見かけない花と云うだけの選択肢で写真を撮る。
どういう花なのか、立ち止まって花を見つめ、観察していればこんなことはなかっただろう。