13・1・24
―想像する イメージする 軟酥の卵 Ⅱー
芸術新潮1月号に椎名由紀さんに聞く、と
題した白隠禅師の健康法が紹介されています。
自然発生的な朝の集いの仲間が
この記事を読んで昨日話題にしたようです。
軟酥の卵に例えたのは白隠禅師ではないようです。後々
卵だったりバターの塊に言い換えて伝えられているようです。
元々は軟酥の法と云うのが正解です。
私がイメージについて興味を持ったのは
「赤毛のアン」を度々読み返していたことによります。
会社を倒産させて何とか、何とか立ち直りたい、と
強烈に思っていました。
そのころ偶々赤毛のアンを読んだのです。
アンが生まれて10日目に母親が亡くなり、
追いかけるように父親もなくなる。
痩せっぽちで目が大きく顔は雀斑だらけ、
髪の毛は赤っちゃけて可愛くない。
着ているモノは誰かのお下がり、
壊れそうなバッグに入っているモノは
着古したパジャマだけ。
何にもない、可愛くもない女の子が
やがて周囲の人たちを幸せに、そして自分自身も幸せになる。
それに引き替え何もない、と云っても私の方が幾らかはマシ。
赤毛のアンの物語には
何か大事なことが語られているような気がしました。
アンが自由にできるのはイメージ、思いだけです。