13・1・14
かなり乱暴なやり方で煎餅を作る、というか、
煎餅を焼き始めた。
家族は勿論、友人知人にも自作の煎餅を配る。
周囲からの意見を取り入れて、次なるステップへ進む。
私の想定した最初のころの様子です。
素直に人の意見を取り入れて
改良に改良を重ねて徐々に商品として成長する。
皆様の励ましのお蔭です。と云うのが私の想定でした。
食べてもらって、
美味しそうに食べているか、不満そうな食べ方をしているか、程度は
注意深く観察するが、特に
味について形についてアドバイスを求めるようなことはしない。
私の想定は呆気なく覆された。
加藤さんは「斯うした煎餅を作りたい、焼きたい」と
具体的なイメージが急速に固まってきた。
拘るのは醤油、幻の醤油を求めて醤油行脚、
ご主人の出身地の名古屋辺りに幻の醤油に出会う。
この頃だった、
大豆アレルギーの子供に
米を原料とした醤油の煎餅を焼いて、喜ばれている。
こうした特殊な注文に応じたのが縁で
二和病院の売店で販売するようになった。
商品としてデビューした、と云える。
足しげく通って、或いは有力者の口利きで、
やっと二和病院の売店で
扱ってもらうようになった、と云うのが私の想定だった。
湿度が高くなる4月~9月は煎餅にとっては不適な時期であり、
したがって煎餅は焼かない。売れるから作る、焼くといったことはしない。
ゴマを入れたら、とか甘くしたら、辛くしたら等々の参考意見は
無視をしている風でもないが、加藤さんが求めている参考意見とは程遠いらしい。
これまでが、加藤さんが煎餅を焼き始めて、現在までのザットした流れです。
明日は、
「売れる煎餅は作らない、売れない煎餅は作らない」
禅問答?を極めて我流に勝手に読み解くことにします。