日本寺は檀林寺で日本寺から
一里塚二里塚三里塚四里塚五里塚があります。
三里塚は御料牧場としても知られています。
檀林寺は仏教の学問所、
檀家を持たないお寺です。
多古米と云う銘柄米が江戸時代からあります。
土地が肥沃だ、と云うことだけでは
多古米は生まれなかったでしょう。
小江戸と云われる佐原に近いこと、
美味しい米の味を知っている文化があったのでしょう。
美味しい米を作ろうとする
意欲がなければ、作れません。
それも多古と云う農村地帯全体の意欲が
文化としてあったのでしょう。
十数年前の冷夏といわれた年、
全国的には米の収穫量が6~7割だった年、
多古は平年並みの収穫量だった。
昭和期に大和芋を
多古町の名産品に育て上げている。
私は日本寺が仏教の学問所、
檀林寺の存在が大きかったのではないか、と
推測します。
私は無財の七施を
「人の歓びに係る・・・」と言い換えることで
見えてきたものがあります。
一冊の本を丸ごと書き写すことで
分かったことが沢山あります。
書き写す作業そのものが
瞑想に近い状態になる、という気がします。