依存症☆YUKI☆

依存症専門病院に入院→中間施設→結婚生活へ。日々のプログラムや感じた事を正直にゆっくり書いてます。

3年前の家出 1

2014-02-10 09:51:30 | 日記
3年前、家を飛び出したのは生きる為でした。


小さい頃に両親は離婚して
母親が姉、兄、うちを育てた。

昔からお酒が大好きな母親で子供だけ置いて呑みに行ってた。

時は流れて・・・

うちはバツイチで実家に戻って
最初の頃は働いてたけど続かなくて

引きこもったり働いたりを繰り返してた。

不眠症が酷くって精神科に行って
睡眠薬と麻酔薬をもらってた。

うちが実家に戻る何年か前に
母は定年退職してのんびりお酒呑んでTV見て過ごしてた。

持ち家が3つあって1つは自分達が住んで2つ貸してるぶんの家賃収入はあった。

でも足りない。

姉も兄も収入あるけど家には入れないし、夜ご飯とタバコは毎日用意するのが習慣になってた。

光熱費とか保険、税金、医療費…

毎月マイナス。

自分が生きてるだけでお金がかかる事が凄く嫌で
息をしてる自分が憎くて
何度も自殺をした。

手首切ったり、薬を沢山飲んだり、麻酔薬を飲んでフラフラ道路に飛び出したり、お腹を切ったり…

肺炎なったし、手首も後遺症が残ってる位だけど死ねなかった。

生きてる事が本気で辛かったけど、どこかで死にたくなかったんだと思う。

迷惑をかけない死に方もわからなくて
暫くは生きてる実感も無く
ただ布団の中で時間が過ぎるのを待ってた。

ご飯も2日に1回ゼリーを飲むだけ。

母もお酒の量がどんどん増えて
朝から寝るまでずっと呑んでる状態。

呑み友達も多い母だったのに
段々と人の悪口を言うようになって

毎日のように転んで大怪我をする母から皆離れていった。

人の忠告を全く聞かない
どんなに大怪我をしても病院に行かないで
傘を杖代わりにしてお酒を買いに行く母は異常だったと思う。

そんな母を自分が支えなきゃと思った。

話し相手になって、一緒にTVを見て、お酒も一緒に買いに行った。

寝てる時に母は何度か低血糖で意識障害をおこしたりしてたから

母が寝てる間も気が抜けなくて

薬を飲むのをやめて、寝ないで母の傍にいた。

そのうちに母はトイレにすら行けなくなって

姉は病院か施設にいれようと言ってた。

うちはそんな白状な事はできない。
自分の親なんだからって反対して

顔をあわせる度に姉と喧嘩してた。

エスカレートして本気で殺そうと思って首を絞めた事もあった。

毎日、怒鳴りあって
母の事を最優先して
寝ないで過ごして
お金を工面するのに必死で

毎日ギリギリの精神状態。

母が熟睡してる時に携帯のネトゲをしてて、
そこで知り合った人と電話をして何度も愚痴を聞いて貰ってた。

ある日、その人に狂ったように泣きながら死んでしまいたいと話したら

死んじゃう位なら逃げてくればいいと言われた。

もうそうするしかない
そうしなければ、また死を選んでしまうと思った。

電話を切って、そのまま荷造りして

母は気づいてうちの部屋にきて
何も言わずにタバコを吸った。

仕事で出張だと嘘をついて

バック7個を担いで高速バスに乗った。