(゜Д゜≡゜Д゜)?
元カノ!?と同居??って??
ってパニックなった。
でも行くとこないから我慢するしかなくて
コッソリ入って部屋でちょー静かにしてた凹●
でもバレて元カノキレタw
Yくんがどれだけダメ男かを説明されたw
で
そこには泊まれなくなって
うち一人でビジネスホテルに泊まる事になった。
一人でボーっとしてたら
自分の状況がありえなすぎて面白くなっちゃった。
地元の友達とケラケラ笑いながら電話した。
薬をガブ飲みして寝た。
朝、Yくんが迎えにきて
元カノがお金も住むとこも無いなら市役所に相談したらって言ってた
と言われて
一緒に市役所に言った。
社会福祉科に案内されてお金も住むとこも無いって言ってみた。
最初は対応がスゲェ冷たくて
(´ι _` )アッソ
って感じで腹たった。
でも事情を話して、こっちに来た経緯を話してるうちに
また涙が止まらなくなった。
そしたら対応してくれた職員さんが
他の職員さんと相談して
すぐに戻ってきて
じゃあ行こうか
って言ってきた。
なんかわかんないけど何となく助かった気がして素直について行って
Yくんは家に置いてきたうちの荷物を取りに行って
うちは職員さん2人と車に乗った。
車の中では職員さんが優しく沢山お話してくれてた。
めっちゃ山の中に大きい建物がポツンとあった。
ホスピタルって書いてるから病院なのはわかったけど
何科かわかんない。
受付のおねーちゃんやたら可愛い。
先生に会おうって言われて
小さい部屋に職員さんも一緒に入った。
タヌキみたいなデカいおじさんの先生で
名札を見せて院長のTですって自己紹介してくれた。
職員さんが説明してくれて
院長が
泊まるとこ無いなら暫くここに泊まってけば?
って言ってきた。(↑この通りに言ったwww)
病院だとお金かかるからって断ったら
職員さんがどうにかするからって言ってくれて
行くとこ決まる迄って事で入院した。
そのまま閉鎖された部屋に案内されて
職員さんは帰ってった。
看護さんに持ってきた荷物の中に薬を入れてたからそれを飲みたいって言ったら
この病院は依存症専門病院だから
飲んだらダメだと説明された。
意味がわからなかった。
うちは依存症じゃないし
泊まりにきただけなのにっておもった。
Yくんが荷物を持ってきて面会にきてくれた。
少し話して帰ってった。
とりあえず横になって色々考えた。
なんでこんな事になったのか
どうしてうちはいつも不幸なのか
これからどうしたらいいのか
そもそもここって日本のどのへん?
とか(笑)
その日は睡眠薬を飲まなくても5時間も眠れた。
自分にとってこれだけ薬無しで眠れるって
奇跡に近いから鮮明に覚えてる。
朝、開放の病室に移された。
色々とびっくりしましたよ!!
まず病棟の中に喫煙室がある!
しかも制限無しで24時間吸いたい放題!
2人部屋で仕切りもカーテンも無い!
(大部屋も同様)
患者さんが普通に健康そうで元気な人ばっかり!
若くて綺麗な女の子多い!
皆パジャマじゃなくてオシャレしてるし!
売店ショボ!あんまり開かない!
洗濯物、自分で洗うの!?
まぁかなりショックをうけました。
短期で2つの精神科の病院に入院した事あったけど全く違う。
普通の精神科の患者さんって
会話が成り立たない事が多いし
明らかに薬で抑えられてるからおとなしい。
この病院の患者さんは基本的に断薬させられる。
精神疾患でも軽度じゃないと入院できないらしくて
世の中で一般的な生活をしてる人達と
かわらないよーに見える。
1番近くのコンビニまで農道を20分歩かなきゃ行けないし
銀行と郵便局と駅は40分山道を下らないと行けない。
それを皆サクサク行く(笑)
バスは日に2本。
どれだけ田舎なの!?ってまたまたびっくり。
最初の頃はお金も無いから
買い物も出来なくて色んな患者さんから色んな物貰った。
シャンプーとか洗剤とかお菓子とか。
3週間位して、市役所で対応してくれた職員さんがまた来た。
生活保護が決定して保護費を持ってきた。
入院が決まってすぐ手続きして審査しますって言ってた。
決定した事にかなりガッカリした。
どこかでこの人はしっかりしてるし
生活保護は受けさせられないって言ってほしいと思ってた。
この時点では
お金貰える感謝の気持ちはミクロ並しか無かった。
暫くして
対応してくれた職員さんがどれだけ大変な手続きをしてくれたのか
わかってからちょっとづつ感謝の気持ちは大きくなってった。
今、中間施設に移る為に
色んな人達が
今までに例が無い事もしてくれてる。
生きる為に頑張ってるうちを
一生懸命サポートしてくれる人達が
いっぱい居る。
地元でもそうしてくれた人達も居たかもしれないけど
うちは感じれなかった。
生まれてから初めて
人の助けの中で生かして貰えてると感じれた。
生きててはダメだったら
こんなに助けてくれないだろーなー
ってことは
うちは生きてて良いんだ!!
っておもった。
過去、うちはいつもベストの選択をしてきた。
だから生きてこられた。
後悔もある。
違う選択をしてれば
もっと良い結果になったんじゃないかと思う時もあるんだけど
違う選択してたら死んじゃってたかもなぁって思うと
まー結果オーライじゃねってなる。
こんなに奇跡的な繋がりで
自分が病気で治療をしなきゃ死と隣り合わせなんだ
ってやっとわかった。
主治医はこの3年前の事をよーく覚えててくれてる。
だから優先順位を間違えてもすぐ修正できる。
第一のものは第一に
うちは生きていく為に頑張ってます。
元カノ!?と同居??って??
ってパニックなった。
でも行くとこないから我慢するしかなくて
コッソリ入って部屋でちょー静かにしてた凹●
でもバレて元カノキレタw
Yくんがどれだけダメ男かを説明されたw
で
そこには泊まれなくなって
うち一人でビジネスホテルに泊まる事になった。
一人でボーっとしてたら
自分の状況がありえなすぎて面白くなっちゃった。
地元の友達とケラケラ笑いながら電話した。
薬をガブ飲みして寝た。
朝、Yくんが迎えにきて
元カノがお金も住むとこも無いなら市役所に相談したらって言ってた
と言われて
一緒に市役所に言った。
社会福祉科に案内されてお金も住むとこも無いって言ってみた。
最初は対応がスゲェ冷たくて
(´ι _` )アッソ
って感じで腹たった。
でも事情を話して、こっちに来た経緯を話してるうちに
また涙が止まらなくなった。
そしたら対応してくれた職員さんが
他の職員さんと相談して
すぐに戻ってきて
じゃあ行こうか
って言ってきた。
なんかわかんないけど何となく助かった気がして素直について行って
Yくんは家に置いてきたうちの荷物を取りに行って
うちは職員さん2人と車に乗った。
車の中では職員さんが優しく沢山お話してくれてた。
めっちゃ山の中に大きい建物がポツンとあった。
ホスピタルって書いてるから病院なのはわかったけど
何科かわかんない。
受付のおねーちゃんやたら可愛い。
先生に会おうって言われて
小さい部屋に職員さんも一緒に入った。
タヌキみたいなデカいおじさんの先生で
名札を見せて院長のTですって自己紹介してくれた。
職員さんが説明してくれて
院長が
泊まるとこ無いなら暫くここに泊まってけば?
って言ってきた。(↑この通りに言ったwww)
病院だとお金かかるからって断ったら
職員さんがどうにかするからって言ってくれて
行くとこ決まる迄って事で入院した。
そのまま閉鎖された部屋に案内されて
職員さんは帰ってった。
看護さんに持ってきた荷物の中に薬を入れてたからそれを飲みたいって言ったら
この病院は依存症専門病院だから
飲んだらダメだと説明された。
意味がわからなかった。
うちは依存症じゃないし
泊まりにきただけなのにっておもった。
Yくんが荷物を持ってきて面会にきてくれた。
少し話して帰ってった。
とりあえず横になって色々考えた。
なんでこんな事になったのか
どうしてうちはいつも不幸なのか
これからどうしたらいいのか
そもそもここって日本のどのへん?
とか(笑)
その日は睡眠薬を飲まなくても5時間も眠れた。
自分にとってこれだけ薬無しで眠れるって
奇跡に近いから鮮明に覚えてる。
朝、開放の病室に移された。
色々とびっくりしましたよ!!
まず病棟の中に喫煙室がある!
しかも制限無しで24時間吸いたい放題!
2人部屋で仕切りもカーテンも無い!
(大部屋も同様)
患者さんが普通に健康そうで元気な人ばっかり!
若くて綺麗な女の子多い!
皆パジャマじゃなくてオシャレしてるし!
売店ショボ!あんまり開かない!
洗濯物、自分で洗うの!?
まぁかなりショックをうけました。
短期で2つの精神科の病院に入院した事あったけど全く違う。
普通の精神科の患者さんって
会話が成り立たない事が多いし
明らかに薬で抑えられてるからおとなしい。
この病院の患者さんは基本的に断薬させられる。
精神疾患でも軽度じゃないと入院できないらしくて
世の中で一般的な生活をしてる人達と
かわらないよーに見える。
1番近くのコンビニまで農道を20分歩かなきゃ行けないし
銀行と郵便局と駅は40分山道を下らないと行けない。
それを皆サクサク行く(笑)
バスは日に2本。
どれだけ田舎なの!?ってまたまたびっくり。
最初の頃はお金も無いから
買い物も出来なくて色んな患者さんから色んな物貰った。
シャンプーとか洗剤とかお菓子とか。
3週間位して、市役所で対応してくれた職員さんがまた来た。
生活保護が決定して保護費を持ってきた。
入院が決まってすぐ手続きして審査しますって言ってた。
決定した事にかなりガッカリした。
どこかでこの人はしっかりしてるし
生活保護は受けさせられないって言ってほしいと思ってた。
この時点では
お金貰える感謝の気持ちはミクロ並しか無かった。
暫くして
対応してくれた職員さんがどれだけ大変な手続きをしてくれたのか
わかってからちょっとづつ感謝の気持ちは大きくなってった。
今、中間施設に移る為に
色んな人達が
今までに例が無い事もしてくれてる。
生きる為に頑張ってるうちを
一生懸命サポートしてくれる人達が
いっぱい居る。
地元でもそうしてくれた人達も居たかもしれないけど
うちは感じれなかった。
生まれてから初めて
人の助けの中で生かして貰えてると感じれた。
生きててはダメだったら
こんなに助けてくれないだろーなー
ってことは
うちは生きてて良いんだ!!
っておもった。
過去、うちはいつもベストの選択をしてきた。
だから生きてこられた。
後悔もある。
違う選択をしてれば
もっと良い結果になったんじゃないかと思う時もあるんだけど
違う選択してたら死んじゃってたかもなぁって思うと
まー結果オーライじゃねってなる。
こんなに奇跡的な繋がりで
自分が病気で治療をしなきゃ死と隣り合わせなんだ
ってやっとわかった。
主治医はこの3年前の事をよーく覚えててくれてる。
だから優先順位を間違えてもすぐ修正できる。
第一のものは第一に
うちは生きていく為に頑張ってます。