ももはな日記 ~南フランスでの子育て~

ボンジュール☆
ますますオテンバ娘に成長。
日本から遠く離れたここ南フランスで子育てをしています♪

病院での生活

2011年08月15日 | 出産
出産した直後、しばらく、お腹から出てきた我が子を2時間ほど抱き続け、
その後、そのままベットで病室へと運ばれました。

まだ、へその緒を切った直後の我が子を胸の中で抱く。。。というのは、病院の方針で、
「母子が一緒にいる」事を重要視した「カンガルーケア」が取り入れられていました。
なので、いくら私が出産で疲れきっていても、
助産士さんが「はい!」と赤ん坊を私の胸に置いていきました。

この「カンガルーケア」は、母と子がスキンシップをする事により、
赤ん坊の免疫力をつけて、なおかつ、精神的にも安定を図る…と、メリットが多く、
病院の概念上、ここで出産したすべて母親が2時間ほど、赤ん坊と一緒にいます。

ラ・シオタ病院のマタニティの世界は、私の印象では、「すごい…」の一言で、
ハッキリ言って、圧倒されました。

ラ・シオタ病院は、3年ほど前から大規模拡張工事を行っていて、
分娩室は、新しいピカピカの部屋でしたが、
運ばれた病室は、個室だったものの、まだ古い棟の部屋でした。

日本人がこの病院で出産したのは、私で何人目なのかな…?

なんと!2日後、
次々と私の部屋を訪れる助産士さんが「あなたの他に日本人が運ばれて出産したよ!」と
教えてくれて、偶然、病室が隣の隣の隣で、
こんなプロバンス地方の小さな港町のマタニティの病院で、自分が出産するのと
同じ時期に、他にも日本人の女性が出産して、お会いできるとは思ってもいませんでした。

夫と一緒に彼女の病室へ行き、いろいろ自己紹介や名刺交換をして、
「どうぞよろしくね」と挨拶。
彼女の旦那さんもフランス人で、彼女たちの生まれたお子さんも「女の子」でした。


さて、
生まれて一度も「入院」をした事がなかった病院での生活。
まさか、自分に「出産」する機会が訪れるとは思っていなかったので、
すべてが初めてでした。

一番、辛かった事。
それは、「母乳」が出なかった事。

出産して1日目。
疲れていようが眠たかろうが、容赦なく、生まれた我が子が泣くので、
助産士に教えられたように、
母乳を与える格好をするものの、肝心の「母乳」の量が、
スズメの涙より少なく、完全にノックアウトさせられました。

お腹が空いて、ワンワン泣く娘に母乳が与えられず、
崖っぷちに立たされた気分を味わいました。

2日目。
まだ、母乳を充分与える事ができず、夜中ずっと起きていて寝ていない私に、
次々とお祝いを持ってくる来客者の「母乳が出ないんだったら、哺乳瓶に変えたら?」という
無責任な一言で、気が滅入り、悲しくて、夫と仲良くしている友人家族に、泣きつきました。

夫は、「どうして、僕に黙って、勝手に病室を訪れるんだ?!」と怒り狂いました。

私は、「母乳が出ない」事で自分を否定された気分になり、涙がポロポロ出ました。

そんな中、実家の母に国際電話しました。
「母乳が出なくても、出るようになるから、心配しないで。がんばって!」と、
励ます母親の声を聴いて、いくら自分が母親になっても、実家の母が必要だと、実感しました。

娘に、自分のおっぱいをくわえさせ、夜中、フラフラしながら、ひたすら母乳を与え続けた結果、
やっと3日目から、母乳が泉のように湧き、我が子に「お乳」を与える事が出来ました。

母乳を飲み始めると、泣き止み、満腹になった赤ん坊は、ぐっすり眠り、
私も休む事が出来て、3日目からすごく気分が楽になり、入院生活も落ち着きました。

怒り狂った夫が、「来訪者立入厳禁」と皆に通達したので、
3日目からは、誰も病室を訪れる者がなくなり、
静かな時が過ごせるようになりました。

病院での生活では、「授乳」以外にも、「沐浴」の仕方も助産士に細かく教わり、
お家で自分だけで出来るようトレーニングを受けました。

小児科医や助産士と、こんなに触れ合うこともなく、「母親になる」って、
本当に大変だと、日々感じます。

マタニティの専門用語も、フランス語での説明で、チンプンカンプンでした。。。

でも、すべてが学べる、今まで味わった事のない世界―。
夫や素晴らしい病院スタッフに手伝ってもらいながら、無事、5日目退院しました。

病院の朝昼夕の食事が美味しくなかったので、夫が作って持って来てくれたお弁当を食べたり、
病室のベットやシャワーなどのサイズが大きくて、困った事等。。。いい思い出です。

出産を取り上げられなかった担当医も、何度か病室に来て、
「まさか!こんな事になるとは!」と。
「2人目は、必ず、私が…!!」と付け加えて言ってました。




ぐっすり寝ている…。いつもキティと一緒☆



むうぅ~!!お腹空いてきた!!! ママァ、おっぱい!


私、出産しました☆

2011年08月03日 | 出産
しばらく、ブログが更新できませんでした。

実は、私、出産したのです!!!!!

時は、先月24日の日曜日。
その日の朝、いつもどおり朝ごはんを食べようと8時過ぎに起きたのですが、
なんだか、下腹部が重くて痛くて、ジッとしていられない。

いつもなら、キッチンでプチデジュネ(朝ごはん)の紅茶やらパンをトーストするのですが、
とにかくお腹が痛くて、トイレにこもりっきり。
立ってられない。

たまたま日曜日だったので、まだ寝ていた夫も起きて来て、
いつもと違う動きをしている私の異変に気づき、
心配し始めました。

トイレとキッチンを行ったり来たりで、自分でも「これは、おかしい」と思い、
もしかしたら、これが陣痛?なのかも。。。と、
鈍感な私でも耐え難い痛みがやって来たのです。

夫は、シャワーをあび、髭をそり、その後、お風呂にお湯をはり始めました。
彼は、インターネットで、「陣痛の痛みを和らげる」方法を調べたので、
こんな変な行動に出ていて、
陣痛の波がどんどん敏速で激しい痛みに変わって行く中、私は、何も手がつけられず、
「お風呂なんて、のんびり入ってられない!」と、
どこまでも変わった夫の言動に、気が遠くなっていました。

破水があったら、お風呂は入れないんだってば…と言いたかったのですが、
陣痛の痛みで、説明する気力はゼロ。


夫も私も、「どれが陣痛」なのか?さっぱり。
初心者カップルなので、病院に行くタイミングをつかみきれず、
血が混じったトイレの便器の水を見て(おしるし発見!)、
私は夫に「病院に行かないとダメだ」と伝えました。
タクシーで行くつもりでしたが、日曜日だったため、夫の両親が1階に居たので、
「ちょっと、病院まで連れて行ってもらえないか、訊いて来る」と夫が下に降りていき、
その間、急いで、私は、出掛ける準備をして、荷物のチェックをしました。


病院に到着したのは、9時半。

案の定、日曜日だったので、受付のシャッターはすべて降りて、病院は閑散としていました。
夫が緊急用の受付に行って、指示をもらい、マタニティの階に行きました。

いつもなら、マタニティの受付も妊婦さん待合空間も、人でいっぱいなのに、
日曜日だったため、受付もどこもシーンとしていて、誰もいなくて、なんだか心細く、
なんで、よりによって、日曜日に陣痛が来たのか?と、
悲しくなりました。涙


夫が、インターホンで中にいるスタッフさんを呼び、出入り厳禁の奥の部屋に移動し、
いろいろと血圧、採血などする部屋の診察台で、しばらく休みました。

風が強く、いつもながらの良い天気で、診察台で休んでいる間、窓から見える青空を眺めていました。
これまた日曜日のため、ラ・シオタ病院の改築工事もお休みで、
風の音だけが聞こえるとても静かな午前中でした。


さて、何時間か経ったあと、いよいよ分娩室に移動。
慌てて家を出てきたので、出産中にかける音楽CDも用意していたのに忘れてしまい、
あれもこれも、やはり完璧な準備とはいかず、しかも、
よりによって!!日曜日なので、私の担当医は、週末のバカンス中!!!大泣。

あぁ、せっかく、ここまで担当医と仲良くなれて、
私の赤ちゃんをとり上げてもらう予定だったのに!!!!!

すべてが予定狂いで、とにかく、肝心な出産時に担当医に会えない残念な気持ちで、
悲しかったです。
でも、そんな事言ったって、私の赤ちゃんは今日、この日曜日に生まれたいのだから、
仕方がない。

夫も、まさか出産時に担当医に取り上げてもらえないとは考えておらず、とても残念な様子。
でも、ずっと、私の傍で陣痛の波が来るたび、私の手を握ってくれて、本当に心強かった。

しばらくして、
私は、無痛分娩で出産をすると同意書にサインをしたので、麻酔科医の先生が来ました。

背骨の間の神経に麻酔をかける準備が整い、麻酔が効き始めると、
あんなに激しく苦しい陣痛が徐々に消え、
まるで空を飛ぶかのような軽い感覚に下半身がなっていきました。

日本では、自然分娩をするのが当たり前なので、
この無痛分娩を選択する機会に恵まれ、とても良かったです。


子宮口が8cmから9cmとなり、もうすぐ「力む」事が出来る!と、助産士さんに言われました。
病院にかけついた時から、ずっと私の世話をしてくれた助産士さんが、
夫と同じく私の傍にいてくれて、
忘れた音楽CDの代わりになるような病院内にあるCDを持ってきてくれたり、
日本人だからか?いろいろ私の事について尋ねたり、とても親切にしてくれました。
常に笑顔で、心細くなった私をずっと励ましてくれました。
「私、ブログを書いているんです」と、このブログの事を紹介し、「あなたのことも書きますね」と言うと、
「楽しみにしてる!」と、すごく喜んでくれました。

さて、
子宮口が10cmになったので、いよいよ力みを試みてみる事にしました。

担当の先生が不在なので、日直の先生がやってきました。
白髪の大柄で穏やかな男性の先生で、夫が「サンタクロースみたいな先生だ」と言うとおり、
本当にサンタクロースが白衣を着ているようでした。

さぁ、行くよ!!プッセー!!!!!(日本語訳:力んで!!!)

一生懸命、蓄えていたエネルギーをすべて使うかのように、力んで力んで、
息を吸って、吐いて、また、力んで…。

こんな体験、生きていた中で、最も在り得ない大きな力仕事で、汗がダクダク出てきました。

赤ちゃんの頭が出てきた!!!と、
夫とドクター・サンタクロースが言い、助産士さんが、「もうひと踏ん張り!」と励ましてくれました。

麻酔がかかっている分、感覚がなく、力んでもほとんど痛みらしい痛みを感じず、
ただ、とにかく、力む事に集中しました。

ドクター・サンタが、「うん、あれを使おう」と、助産士に指示し、赤ん坊の頭に最新型の吸盤をつけ、
回転させながら、上手に引っ張り、ついに!!!赤ちゃんが出てきました☆

力んで20分ほどで、終了。
助産士さんが、「スーパー・ビエン・アクッシェ」(日本語訳:ものすごい安産)と褒めて、
抱きしめてくれました。

夫は、やっぱり涙目になっていて、赤ん坊と同じように今にも喜びで泣き出しそうでした。

お腹から出てきた私の赤ちゃんは、まだ羊水に絡まっていて、へその緒もしっかりついていて、
2~3秒後、「オギャー!!!」と声を張り上げて泣きました。
夫は、「へその緒が切れない」と言っていたので、助産士さんが、切りました。
今回、初めて「へその緒」というものを間近でみました。

私は、この度の出産で、
「こんな貴重な経験ができる人生が私に与えられたなんて」と、いまだ、実感が湧かないところがあります。
TVや本や人の話で、頭で考えるだけの未知な経験だったものが、ようやく、実体験でき、感無量です。



7月24日、日曜日。
午後4時35分、体重3,120gのとっても可愛い女の赤ちゃんを出産しました☆



私たちのもとへ、ようこそ!!