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岡山新報デジタル【慰安婦問題の元凶】

2022-09-22 10:22:40 | 日記
【慰安婦問題の元凶】

🔴吉田清治15
朝鮮人慰安婦の強制連行証言2



朝日新聞・しんぶん赤旗などで自身の「戦争犯罪」の告白を展開。韓国にも赴き、講演と謝罪を繰り返した。このような告白、謝罪を行った吉田は当時「勇気あるただ一人の告白者」とされていた。[誰によって?]だが、秦郁彦によって済州島での「慰安婦狩り」に疑問が出されることになる。



●吉田証言における連行人数の細かな異同
・1992年1月23日、朝日新聞で吉田は連行した朝鮮人女性は950人と証言。
・1992年1月26日、赤旗で吉田は連行した女性は1000人以上と証言。
・1992年3月13日と3月16日、秦郁彦のインタビューで吉田は「女子挺身隊の名目で慰安婦を調達した。計950人と記憶しているが、部下は2000人といっている」と答えた。
・1992年5月24日、朝日新聞で「男女6000人を強制連行した」と吉田は発言。
・1992年8月8日、ニューヨーク・タイムズは吉田は2000人の朝鮮人女性の「狩り」をしたと報道。
・1992年8月12日、毎日新聞は吉田が1000人徴用したと報道。
・1992年8月15日、読売新聞は吉田は100人の朝鮮人を海南島へ連行したと報道。
・1992年11月14日、赤旗は吉田が最低950人、多くて3000人の朝鮮人女性の強制連行をしたと報道。
・1997年3月31日、朝日新聞は吉田証言の真偽は確認できないと報道。



朝日新聞は、1982年(昭和57年)9月2日、1992年(平成4年)1月23日、同年5月24日に吉田証言を詳しく伝え、これらの記事は2014年(平成26年)5月の段階においても訂正記事を出していなかったが、同年8月5日になって「事実関係の誤りがあった」「裏付け取材が不十分だった」などとして、吉田の関連記事を撤回した。

#吉田清治15


岡山新報デジタル【今日は何の日】

2022-09-22 07:47:49 | 日記
⭕国際ビーチクリーンアップデー(9月22日 記念日)

アメリカ・サンフランシスコに本部のある「海洋自然保護センター」が1985年(昭和60年)から実施。

この日に近い週末に、世界各地で一斉に海岸のごみを拾い集め、その数量・種類などを調べることによって、海洋でのゴミの発生元や、地球環境への影響を調査している。

日本では「クリーンアップ全国事務局」(Japan Environmental Action Network:JEAN)が主宰し、1990年(平成2年)から毎年春・秋の2回、「海岸クリーンアップキャンペーン」を実施している。



このキャンペーンは、アメリカのNGO団体である「オーシャン・コンサーバンシー」(Ocean Conservancy:OC)が主宰で始まったごみ拾いキャンペーン活動である。世界と一つにつながっている海のごみ問題を解決するために、身近なところで誰もが簡単に参加できる「はじめの一歩」として実施され、毎年100ヵ国前後の国と地域が参加している。



岡山新報デジタル【慰安婦問題の元凶】

2022-09-21 10:33:16 | 日記
【慰安婦問題の元凶】



🔴吉田清治14
●朝鮮人慰安婦の強制連行証言

1977年(昭和52年)に、『朝鮮人慰安婦と日本人 元下関労報動員部長の手記』を新人物往来社から出版。そこでは主に自己の朝鮮半島での出張時の体験談が中心で、慰安婦については触れているものの、強制連行ではなく、話をつけて中継ぎする話になっていた。



1982年(昭和57年)頃から、慰安婦の強制連行を講演し始める。東京地方裁判所における在樺コリアンの樺太残留者帰還請求訴訟では、済州島での朝鮮人奴隷狩りの証人として出廷・証言した。なお、このとき、被告の日本政府代理人は反対尋問をしなかった。

1983年(昭和58年)に、済州島で200人の女性を拉致したと証言する『私の戦争犯罪』を上梓。いわゆる従軍慰安婦問題の発端となったともいわれ、1989年(昭和64/平成元年)には韓国語版も出版された。



1983年(昭和58年)11月10日には朝日新聞が「ひと」欄で吉田清治を「朝鮮人を強制連行した謝罪碑を韓国に建てる吉田清治さん」と紹介した。同年12月23日に天安市に私費で建てた謝罪碑の除幕式に出席するために訪韓し、サハリン残留韓国人の遺家族であるとされる人物の前で土下座した。歴史家の家永三郎も『戦争責任』(岩波書店、1985年)で吉田の著作を賞賛した。

#吉田清治14


岡山新報デジタル【今日は何の日】

2022-09-21 08:01:48 | 日記
⭕国際平和デー(9月21日 記念日)

コスタリカの発案により1981年(昭和56年)の国連総会で制定。国際デーの一つ。英語表記は「International Day of Peace」。

当初は国連総会の通常会期の開催日である9月第3火曜日だったが、2002年(平成14年)からは9月21日に固定された。2002年から、この日は「世界の停戦と非暴力の日」として実施され、この日一日は敵対行為を停止するよう全ての国・全ての人々に呼び掛けている。この日は「平和の日」(Peace Day)、「世界平和デー」または「世界平和の日」(World Peace Day)とも言う。

毎年この日には、アメリカ・ニューヨークの国連本部ビルにある「平和の鐘」が鳴らされる。この鐘は、1954年(昭和29年)当時の国連加盟国60ヵ国の各国の代表や子ども達から集められた硬貨で鋳造され、世界の平和と人類の福祉向上のために活動する公益財団法人・日本国際連合協会から国連に寄贈されたものである。鐘には「世界絶対平和万歳」と鋳込まれており、国連における平和の象徴とされている。



また、毎年テーマが決められ、世界各地で記念式典やシンポジウム、学生の交流会など、この日を祝う記念イベントが実施される。平和教育プログラムの一貫として折り鶴作りを行ったという報告も見られる。


岡山新報デジタル【今日は何の日】

2022-09-19 07:41:53 | 日記
⭕九十九島の日(9月19日 記念日)
長崎県佐世保市が1999年(平成11年)に制定。

日付は「く(9)じゅうく(19)しま」(九十九島)と読む語呂合わせから。「世界で最も美しい湾クラブ」に加盟する九十九島は大小208の島々からなる風光明媚な景勝地。九十九島の魅力を国内のみならず海外に向けてその魅力を発信していくことが目的。

記念日は2019年(令和元年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。この日を中心として、水族館・遊覧船・飲食店などの複合施設「九十九島パールシーリゾート」で「九十九島の祭典」が開催される。



九十九島について
九十九島(くじゅうくしま)は、長崎県の佐世保市と平戸市にかけての北松浦半島西岸に連なるリアス式海岸の群島である。1955年(昭和30年)に全域が「西海国立公園」に指定され、「日本百景」にも選定されている。

島の総数は公式には208とされる。その殆どは無人島や岩礁で、人が住む有人島は黒島と高島、それに本土から橋で行き来できる前島と鼕泊(とうどまり)島の4つである。九十九島パールシーリゾートから遊覧船「パールクィーン」が出航している他、シーカヤックやヨットなどのマリンスポーツも盛んである。

江戸時代、平戸藩主・松浦静山が、秋田県の象潟九十九島(きさかた くじゅうくしま)に倣い名付けたとされる。また、測量に訪れた伊能忠敬は、「七十に 近き春にぞ あひの浦 九十九島を いきの松原」(70歳に近い春を相浦で迎えたが、九十九島のように99歳まで生きたいものだ)と狂歌を残している。