桃色鸚哥のため息

風の吹くまま、気の向くままに……

そういうわけで

2006年02月27日 | Weblog
 1週間弱、実家に世話になって自宅に戻ってきた。1週間分くらいの食料も買い込んだ。そうそう、1週間前と違ってそのくらいの買い物をする体力はなんとかあった。荷物持ちは娘だが。夕食も自分で作った。といったって、鍋だけど(笑)

 でもどうやったってまだまだお腹に力はひとつも入らないし、入れられないから、鍋も運べない。ペットボトルとか持ち歩かないようにって言われているから、買い物もパンくらいしか持てない。ま、次の土日になんとかなるだろう。

 娘はテニスサークルの最後の合宿に出かけたので、そうそう、キャベツやタマネギ、ジャガイモなどはヤツに頼みましょう、と思っていたら木曜の晩、夜中に帰ってきてひとこと「おれ、明日からスキーだから」

 チャンチャン! 肝心なときに役に立たない……

 仕方がないので、旅行用の小さい方のキャリーケースをころがして駅前のスーパーに行った。キャリーケースは、キャスターが4つついているから押せば動いてくれる。引きずらなくていいやつ。買い物用じゃないからちょっと恥ずかしかったけれど、何とか役に立った。この方が気楽でいいや、もう2度と買い物は頼まない事にした。

 そんなこんなで、もう退院してひと月ということになります。もう、ほとんど手術前と変わらない生活はできるようになりました。さすがに灯油タンクみたいなものは、まだ持ってはいませんが。お腹に響いて1段ずつしか降りられなかった階段も普通に下りられるし、少々のくしゃみや咳も大丈夫。お腹が突っ張って背中が伸ばせず老婆のように歩いていたのも、ちゃんと背筋を伸ばして歩くようにもなりました。

 もうしばらくは車での遠出や、温泉につかったりすることはできませんが、自転車に乗ることも車の運転もお酒もOKを医者からもらいましたし、病院へも特別何か起きない限りはもう来年でいい、ということになりました。ご心配をおかけいたしましたが、もう大丈夫です! 一応これにて闘病記は終了します。もし、今後どなたか子宮筋腫で悩まれることがありましたら、私の知っている限りのことはお話しますから、ご一報くださいませね。

 というわけで、皆様本当にありがとうございました!

術後9,10日目、そして退院

2006年02月26日 | Weblog
 9日目は、ちゃんと退院できるかどうかの検診日。朝、外来の始まる直前に超音波(エコー)でお腹の中を診てもらった。卵巣などに異常は認められず、前日に採った血液と尿の検査の結果は少し貧血があるが食事で補充すれば充分、ということで退院決定。家族のお迎えがあった方がいいでしょうということで、土曜日に。家族がいなければ、とっとと追い出されるか、都合がつくまで入院らしい(笑)

 1日をどう過ごすかというと、本を読むか、テレビを見るか、歩くか、寝るかしかない。というわけで、ナースもほとんど来なくなったし、本を読み、テレビを見、歩き、寝た。10日目も同じ。

 というわけで、この二日間の間に、ナースに訊けるだけのことを訊いて、退院に備える。先生の都合で、もう次の検診日まで先生自身には会えないし。シャワーも浴びたければ浴びていい、というので、また怖々シャワー室に。

 そして1月28日(土)、退院の日。昼食は出ることになっていたけれど、もう病院の食事は飽きた。ご飯じゃなくて、うどんとかスパゲッティとか麺類が食べたかった。なので、早めに帰ろうと、家族には10時頃来てもらった。

 朝食後すぐに、荷物の整理を始めた。といってもそんなに量があるわけじゃなし、すぐに終わり、あとは着替えるだけ。入院代を支払ってもらっている間に着替えて、ナースステーションに挨拶に行って終わり。はいてきたスカートがはけるかどうかが心配だった。体重はかなり減っていたのでサイズ的には余るはずだけど、保護と保温のために術後用の腹帯を巻いていたから。タイツの中に押し込んでOK。ずっとノーブラだったので、苦しいような気がしてノーブラのままにする。

 いや~、久々の娑婆だぜぃ! すっかり囚われの身だったもんね(笑)

 というわけで、とぼとぼと、背を丸めながら駐車場へ行き車に乗り込むが、ドアが閉められない。力も入らなければ身体を捻ることもできない。娘に開け閉めをしてもらいながら、途中で大型電機店に寄るというので行ってみるも、エスカレーターを上がって少し歩いただけで疲れてしまい、ベンチに座り込んで用が済むのを待ち、エレベーターで降りて車に。こりゃだめだ、筋肉があちこち萎えていることを痛感しました……。

 非常に疲れたことの理由のひとつとして、ヤツが運転したことというのがあったのだ。車の振動は、結構響くがそれは仕方がない、すべすべの道路なんかないし。そうじゃなくて、スピードの出し方、減速の仕方、曲り方などに問題があるのだ(なんだ、ほぼ全てじゃないかっ! ついでに言うなら音楽、しかもロックをガンガンかけることも……ウルサいんだってば)。

 実は、自宅から家までは歩いて5分ほどなのだが、ヤツの運転で駅に行くと私は酔ってしまうのだ……。妊娠しているときもそうだった。カーブとか曲がり角、身体は曲がる方へ傾くのに、大きなお腹だけは遠心力で反対の方に飛んで行こうとする。妊婦を乗せているのだから、といくら言ってもそれは直らなかったのだ。で、今回は、お腹は妊娠の時とは全く反対の状態だったのだが、要するにシートベルトができないせいもあり、腰が遠心力で振り回されるということだったわけ。手すりはしっかりつかんでいたんだけどねえ……。病人を乗せている、という感覚は起きないらしい……娘もあきれていた(笑)

 というわけで、これ以上買い物につきあうのは無理なので、家に戻り楽な服に着替えてしばし休憩。お昼は、要望が聞き入れられうどんに。胃が小さくなっているので、そんなに量は食べられなかったが、嬉しかったなあ。もうひと休憩して、ちゃんとドリップしたコーヒーを飲み、横になった。

 しばらくして、荷物を入れ替えて、今度は実家に。母から言い出してくれて、1週間ほど世話になることにした。ま、世話好きなひとり暮らしの年寄りの顔も立つし、娘も手伝ってくれると言うし。で、今度は娘の運転で出かける。ま、私ほどうまくはないが(笑)、誰かよりはずうっと、うんと、まったくもって、ましだからね! 

 無事に到着し、私はソファに転がって休み、母と娘は買い物に出かけた。そのうちヤツも自分の車で来て、ま、みんなで退院祝い!……なんだけどまだビールが飲めないので、つまんない(笑) 3人は、ビールの他にワインなどを飲み、私はまた休憩。テレビを見ていたら、食事を終えてみなリビングに集まっては来たのだけど……リビングの真ん中にはホットカーペットが敷いてあるんだけどね、テレビの前のそのど真ん中に誰かはまたごろんと転がり、即、いびき……。ああやだ。もうやだ。すごくやだ。

 隣の和室に布団を敷いてもらい、とっとと寝る! 

1月25日(水) 術後8日目

2006年02月24日 | Weblog
 抜鈎したところ(傷口)は、何も問題はないということでシャワーを浴びることになった。お風呂には当分入れない。寒いけれど仕方がない。それにしても、あ~、怖い。

 何かにゾッとするときに、体中になんだかいや~な感覚が走ることがあるでしょう? それよ、それ。しみたりしないだろうか、痛くなったりしないだろうか、傷口がぱっかり開いたりしないだろうかって、不安の固まり……。もうそんなに簡単には、開いたりしないことはわかっているし、ナースにも言われたけど、やっぱりねえ。タオルでこすらないでください、って、そんなこと怖くてできやしないわ(笑)

 というわけで、とにかく泡をいっぱい立てて、なでるように洗う、それだけでものすごく疲れた……。拭くときもタオルをあてるだけ。う~、ゾッとする。

 そんなこんなで、無事にシャワーも終了。と、同時にナースたちがほとんど来なくなった。検温も血圧測定も1日に3回だったのが1回くらいになった。う~ん、ちょっと寂しいかな(笑)

 とにかく、癒着しちゃいけないし便秘しちゃいけないので動いてくださいって言われるんだけど、まだお腹の中のケロイド状の剥離した部分があるのであんまり動かないでください、とも言われるの、いったいどうしたらいいのでしょう……。しょうがないので、やっぱり廊下を歩き回るしかない。午前に1回、午後に1回、うろつく(笑)

 腰の痛みは、ずいぶんと軽くなった。寝ている(横になる)状態が普段の生活よりずっと長いので、腰が痛くなっているということもある。筋肉痛もある。早く楽になりたい。

1月24日(火) 術後1週間

2006年02月23日 | Weblog
 術後1週間ということで、抜糸。正確には、ホッチキスの針で金属なので「抜鈎(ばっこう)」という。写真は、その針です。これが13センチくらいの切り口に15針。

 火曜日は手術の日なので、医師は午後に来た。リムーバー(抜鈎のためのハサミみたいな器具)でひとつずつはずしていくのだけれど、ちょうど注射のようなチクッという痛みがある。

 「ちょっとチクッとする」ということは前々から聞いていたので、私はどうやら取る前から痛そうな顔つきをしていたらしい(笑) 「まだ、何もしてないからそんな顔しなくていいよ」だって! 笑われてしまった……。で、思ったほどの痛みではなくて、普通に「ちくっ」と。

 あとはちょいと消毒して、終わり。普通に下着を着てよし、と言われたけれど、ちょっとねえ、おパンツの生地がすれるのなんだか嫌だなあ、と思っていたら、皆さん気にしてガーゼ1枚当てますってナースがガーゼくれました。

 これで、全てのものから解放された! 明日は、傷口に何も問題がなければシャワーを浴びて、「傷の所をよく洗ってください」とのこと。手術の時のままなので、血液などがこびりついているから、ということで、石鹸をしっかり泡立ててなでてくださいと。う~ん、怖いっ!

 そういえば、昨日のお昼の時に、来週から2週間の献立表というのがついてきた。おかずがAかBか選べるようになっている上に、朝食もパンかご飯か選べるようになっているのだ。え~? そんな話聞いてなかったぞ。しかも、ほぼ今週中には私は退院する予定だし……。

 先生に見せたら、「お、来週チゲなんてあるじゃない、いいよ、退院伸ばしても」だって。入院代、バカにはならないのだよ……(笑) でも献立表のとおりに出てこない日もあるらしい。医師やナースたちもここの食事を食べているので、基本的なメニューは同じらしい。楽しみにしていると、違うものが出てきたりするので「ちょっとインチキなんだよな」って先生、笑ってた。しょうがない。

 常食になって以来1日3食ご飯なので少し飽きもきていたし、もともと1日2食なので朝からしっかりご飯はちょっとキツいので、ナースに頼んで朝はパンにしてもらうことにした。明日は久々にパンだ!

1月23日(月)術後6日目

2006年02月22日 | Weblog
 入院してちょうど1週間。どうやら抗生物質の点滴も終わったようで、点滴の針を抜いてもらい、腕も楽になった。初めに刺されたところは腫れて痛みが出てきていたので、2日ほど前に位置を変えてあったのだけど、こちらもそろそろしんどくなっていたところだった。

 傷口に水がかからないようにすればシャワーを浴びていいというので、頭も洗った。術後初めてのシャワーだ。でもなんとなく怖い~! お腹にかからないようにするって事は、上半身は浴びることができないということなので濡らしたタオルで拭き、あとは腰にずっとシャワーをあてて温まりながら洗い、バスタオルで身体をくるんで頭を洗った。。

 部屋に戻ると、シーツや布団カバーなど全てが取り替えてあり、気持ちよさそう。せっかくなのでシーツの上にTの字状に敷いていたバスタオルも取り替える。

 それにしてもさすがにナースたちの手際はとてもよくて、なるほど~と思うことも多い。そして、人間考察としてもおもしろい。日勤、夜勤、外来の3パターンでローテーションになっているようで、夜勤のナースは、「交代する○○です!」って夕方必ず挨拶に来る。皆、一様に優しいけれど、美人組と元気組に別れるようだ。

 美人組の方がひときわ優しくて、少しポッチャリだけどかわいくてはきはきしてる人、女優の真中瞳に似ていて、もう少しソフトな感じかな、話し方もソフトな人、背が高くて井上和香に似ていてとても明るい人、って感じかな。元気組は、どう考えてもあなた昔、ヤンキーだったでしょ!と思えるちょいガラガラ声の一番の元気印の人(しょっちゅう叫びながら走り回っている、笑)、背も高くて体格もたくましいこちらも元気系の人、もうちょっとにっこりしてくれないかなあって思える人、等々様々。皆、たぶん四捨五入して30歳ってなところだろうなあ。

 ベテランのナースたち(40歳代かな)は、本当にお化粧もしていないかのようで、痛みのこと、傷のこと、これからの過ごし方など色々と教えてくれる。私の疑問などに即、的確な答えをしてくれる。って、当たり前の話かもしれないけれど、一事が万事不安な患者からみたら、優しいだけじゃね、と思ったのだった。

 帝王切開の時は、自分の事よりも赤ん坊の方が気になっていたから、ナースについても観察する余裕もなかったのだろう。当時よりは一応大人になっているし、今回は自分の事だけ考えていればよかったし、あれこれ見ることができたみたい。

 明日は抜糸の予定。

1月22日(日) 術後5日目

2006年02月20日 | Weblog
 外は雪景色だが、晴れていて青空が見えている。空気は冷たそうだが、すごく澄んでいるよう。窓を開けて深呼吸してみた。

 朝食は全粥、昼食から常食となった。おお、スープはザーサイとわかめのスープで、おかずはいきなり酢豚である! お肉はたっぷりだ。ご飯がちょっと多いみたいなので、次回から半分にしてもらう。でも、男性だと普通でも足りないかもねえ。書いたかどうか忘れたが、ここの病院食は、わりかしおいしい。

 腰の痛みは、昨日よりはよくなっているようだ。このまま日に日によくなってくれることを願う。お腹の方は、日一日と軽くなっていくのがわかる。明らかに昨日より今日の方が身体が楽だ。思い起こせば、帝王切開の時は、自分のことなど考えている暇はなかったもんなあ。育児に必至で、自分の身体の戻り具合なんて、あんまり気にかけていなかったようだ。ちっとも覚えていない……。

 午前中は雪かきをしてきたと、やつがやってきた。常食になりOKが出たので、コーヒーを買ってきてもらった。やっと飲める~! といっても自販機だけどね。でもちゃんと豆をひいてやってくれるヤツ! それでも1週間ぶりだからね、100円のでもおいしく感じました。(雪かきだけど……いいけどさ、金属の雪かきスコップで私の車に傷を付けたらしい……あたしゃまだひとつも傷つけてないのよ!! どーしてくれるのよぉぉぉ……)

 でね、やつがやたら大きなあくびを立て続けにして実にうるさいので、用事は特にないから帰って寝てくださいと言ったんだけど、帰ってもすることはないとか言っちゃって……帰ってくれた方が私が楽なんだよ~(泣) もの入れになっているベンチにごろんと横になった。ほどなくいびき……。だからさ~、ウルサイのよ。私が精神的に落ち着かないのよ~。ひとつ部屋で一緒に寝る気はないのよ~。ここは私の病室なのよ~……。(ちなみに、個室なので他の人はいません)

 このままの状態では本も読めないので、午後の運動タイムにすることにした。今日は点滴は、抗生物質だけなのであっという間に終わったし、ゴロゴロ転がさなくていい。運動とか言ったって、結局歩くことしかできないから、ひたすら歩く。階段はだめって言われているから、病室のある3階を行ったり来たり、新館の方まで行って手術室の前でUターンしてきて、自分の病室を通り越して反対の行き止まりまで行くという繰り返し。1周何メートルくらいかなあ、200メートルはないかも。

 3周くらいしたところで、母が私を探しに来た。病室へ行ってドアをあけて驚いたそうな(笑) ま、仕方ないね。しかし、母も母なのだ……。昨日38度の熱が出たって言うのだ。もう、いくらお天気がよくなったからって、あれだけ降れば地面は大変でしょうよ。もうトシなんだし無理してこなくていいって初めから言ってあるのに。今朝は熱がなかったからって……病室に来てひとしきりしゃべってから、あんたに移しちゃいけないってマスクする。20分も経ってからしてもね……。

 どなたさんも頼みますよ、あたしゃ体力も落ちてれば免疫力も落ちているのだから、人の心配してる場合ではないのよ。何かあっても私は病院にいるのだからどうにでもなるけど、母上様、あなたはひとり暮らしなんだからさ。

 なんか、疲れた。巧妙が辻を見て寝る。

1月21日(土) 術後4日目

2006年02月19日 | Weblog
 確かに痛み止めは効いた。夜中にトイレに起きたとき、痛みがないということがこんなに身体が楽なんだということがよくわかった。しかし。
 しかし、だ。咳をすればやっぱり痛いもんは痛いのだ! 出てしまったのだ、1発……。眠り薬にした方がよかったのか……。

 今日はお昼から雪になると、夕べの天気予報では言っていたが、目覚めればもう辺り一面真っ白で、雪はさらにどんどん降り積もっているのだった。思わず写真を撮った。

 食事は、朝は三分粥だったがレベルアップしていくことにして、昼は五分、夜は七分に。八割方食べられたかな。なんだか急に食べようという気持ちが沸いてきたみたい。まあ、ちゃんと食べないと出るものも出なくなってしまうしね。

 でも、どうも昨日の背中のチューブをはずしたあとの後遺症と寝たきりの後遺症で、恐ろしく腰が痛む。寝てばかりでも痛いのだが、起きて食事をするのが限界、起きていると痛くなってしまう。寝ても起きてもいられないので、また点滴をころがしながら歩く。うん、この方がましだな。

 それと、腸の中を食べたものやガスが移動するときに、脂汗が出るような痛みというか、そういう状況になる。これは経験したことのある人でないとわからないだろうが、便秘で出ない日が続いたあとの出る直前の苦しみといったところだろうか……わかんねぇだろーな~。筋腫を取った人はみな、このような状況になるらしく、医師やナースには話が通じたんだけど。

 とにかく、いきむことはできないので、ガスも出したくなったら出るまで待つ。出そうとすると力が入るからダメ。溜めておくこともダメなので、人がいようといまいとかまわず、だ(笑) でもそれこそ力が入らないので、他人様に聞こえるようなものは出ないのだ!

 それから、やっとテレビをみようかという気になった。活字やメールもなんだか見ると目が回るようで嫌だったのだが、それもどうやら大丈夫みたい。入院したら本読むぞ~!って数冊持ち込んでいたのだが、今日までちっとも読む気にならなかった。寝てるからって読めるもんでもないのだなあ。

 また夜が来て、咳が出るのが嫌なので、すぐ隣の薬局にのど飴など数点を買いに行ってもらったのだが……どうしてこう、私の欲しいものとはことごとく違うものを買ってくるのかねえ、あいつは!! ちゃんと説明したのになあ。頼んでもいないのに咳止めの液状の薬を買ってきた……あのさ、ここは病院でね、勝手に市販の薬など飲んじゃいかんでしょう? あ”~やだやだ。何年同じ家に住んでも理解できないものは理解できないんだな。私は、あなたの好みはわかっていますがね……入院してまでこんな思いはしたくなかったな。

1月20日(金) 術後3日目

2006年02月18日 | Weblog
 夕べ、咳が出ないようにとかなり苦労したのだが、ついに一発……お腹が痛いなんてもんじゃないっ! あ”~思い出しても痛いっ!!

 食べるものがかなり固形物に近づいたので、朝イチでトイレに! 今日の午後まではまだぶら下げていくものがあるので、やっかいだ。便意を感じたら早めにベッドから降りなくてはいけない。歩きも遅いし。

 夜中に背中のチューブの位置が微妙にずれたのか、長くさしているから周りに影響が出てきたのか、その位置から腰、腰の中から左太腿の神経痛のような状態になって、痛だるい。寝返りもつらくて、どっちを向いてもどこかが必ず痛い。すぐに痛くなるのでまた向きを変えるのだが、それでもまたすぐに痛くなってしまう。早く午後になれ!と時計とにらめっこだ。

 食事は、相変わらず量が食べられないので今日一日、三分粥で持ってきてもらう。三分粥といっても、毎回濃度が違うので、どういう基準なのか、ちと怪しんでしまった。ま、食べられないわけではないので、よしとしよう。

 午後1時半頃、医師が来て、やっと背中のチューブをはずす事になった。やった! チューブを外すということはカテーテルもはずされるわけだ。解放される! と思ったら、点滴も一晩中ではなくなって、昼間だけだということで、一気に全てのチューブから解放されることとなった。自由の身になるのだよ~!

 しかし……。背中のチューブを外したとたんに、血が噴き出したらしい。自分じゃみられなかったんだけどね。ぴゅ~っと出たらしい。急ぎ、圧迫して止血の処置。大きな絆創膏を貼られた。ま、ほどなくこれは止まるでしょう。

 それよりも、はずしたときのショックとでもいうのだろうか、神経痛のように思えていた背中から太腿にかけての神経が、思いっきり熱を持ったように感じられ、体中の血液が倍速で流れていくような、血圧が倍に上がったのではないか、と思えるような苦しさが押し寄せてきたのだ。

 まるで首を絞められているかのような苦しさが5分くらい続いたと思う。大汗をかいた。いったいどうなっているのか……。ナースが、体温と血圧を測りに来たけど、熱は7度5分ほど、血圧は至って正常だった。しばらくすると治まったので、ホッとしていたところに、髪を洗ってくれるというので、喜んで洗ってもらった。

 美容院みたいにして洗ってくれるんだけど、お腹を切った人はみんな嫌がるのに、ってナースに言われた。え~、だって、月曜に洗ったっきりだもの、洗いたいって思うでしょう? お腹を切ると仰向けに椅子が倒れて行く感覚がいや、って思う人が多いのですって。ふ~ん、そんなものかな。あたしゃ、ついでにお湯を持ってきてもらって、身体を自分で拭きましたわ。いや~、さっぱりしました。身も心も軽くなり、開放感のオンパレード!

 なかなか調子もよいので、午後の点滴を始めたけど、ころがしながら廊下を少し歩いた。動けるようになったら、多少なりとも歩かなくては。また癒着をしてしまうし、腸もどんどん動かさないとまだ油断はできないということで。

 夜になり、また咳の恐怖がやってきた。どうしたもんかのぉ。ナースステーションに行けば、痛み止めの座薬か、眠れないときの恐らく誘眠剤か何かを出してはもらえるのだが……。どうも睡眠薬系のものには抵抗があるので、痛み止めをもらった。就寝時間直前に入れたのだが、薬が効き出したのは1時間以上経ってからだ。

 やはり、乾燥がいけないのかと、濡れタオルをベッドの頭の所の柵にかけてみたり、小さいタオルを濡らしてマスクがわりに当ててみたりするも、効果はあまりないようで、困った。また、腰の痛みもかなりひどくて、湿布薬もだしてもらってあちこちに貼った。点滴に気を遣って肩もこっていたし、氷枕のせいで首も痛かったし。考えてみるとあちこち痛かったわけだ。
 
 はたして、寝られるのだろうか……。

闘病日記の途中ですが……

2006年02月18日 | Weblog
手術を受けてから、まるまるひと月過ぎました。
いろいろご心配をおかけしましたが、術後4週目の検診も順調ということで問題はないようです。血液検査などもありますが、結果はまた後日。

覚悟の手術でしたが、たった3日間の寝たきり状態で、すっかり脚が萎えてしまいました。脚力には自信があったのになあ。今後もっとトシをとって入院したら、どういうことになるのでしょう。

やはり筋肉はつけておくことに超したことはありませんな。萎えても元に戻るのは、筋肉のない人よりも早いと思います。ひと月経って、ずいぶんと脚の力は戻ってきましたが、まだまだヒールの高い靴を履く元気はありませんのだ。明日から1週間ほどは、あまりお天気もよくないようですが、やっぱり歩くしかないからねえ。寒くはないようなので、頑張ります。

術後ひと月目のご報告でした。

1月19日(木) 術後二日目

2006年02月17日 | Weblog
 夜中もずっとお腹は張り続けて、重湯も飲み始めたのでヘタすると浣腸されかねない。ずっと気になっていたが、ナースが起こしに来たときについに、プフフ!と出た(笑) いや~よかったよかった!! なにしろお腹を切っているからいきめない。なので、本当に自然にでるのを待つしかないのだ。これはこれで案外キツいものなのだよ。

 相変わらず起きて腰掛けるという動作には時間がかかる。まず身体を右向きにする。ゆっくりと脚をベッドの縁に移動させ、外におろす。右の肘を身体の下に押し込み、腕の力で身体を起こす。このときに左腕を支えに使ってしまうと、お腹が、切り口が痛むので使えない。起きるときは、カテーテルや点滴、背中のチューブを踏んだりつぶしたりしないように注意する。これだけで一苦労だ。起きると髪はボサボサ……そのまま結んじゃう。

 昨日1日、食事は取れなかったのでもう一度重湯から始める。身体を動かすと気分が悪かったのもどうやら治まり、お腹が空いたという感覚が戻ってきたようだったので、朝食の重湯はしっかりいただいた。

 医師が来て、今日取るはずだった背中のチューブ、まだ痛み止めの薬が残っているからもったいないので明日にしよう、でも歩いてトイレに行ってもいいよって言う。点滴と背中の痛み止めとオシッコの袋をぶら下げて、なんだけど……。でも重湯を飲み始めたら、ほどなく固形物も出てくるだろうに、この寝たきりではそれは困った話だって思っていたので、ちょっとホッとした。

 お昼には三分粥となり、おかずも里芋(きぬかつぎ)や、刻んだカリフラワーとトマトとつぶしたゆで卵のサラダ、なんていうのがついていて、少し食べた気はしたかな。ま、三分粥ったって、重湯に米粒が数えられるくらい泳いでいる、といった程度だったけど(笑)

 母と叔母が来てくれて、ちょうどその時ナースが立ってみましょうって手伝ってくれていたので、頑張って立ってみました。あ~身体が重い。目眩やふらつきはなかった。やっと世間に関われるようになった気がして、ちと嬉しかったな。ついでに病室の中をうろうろと歩いてみた。母たちが、歩けるようになってよかったって喜んでくれた。

 でも、動き始めたとたんにどうもお腹が、いえ、腸が怪しい気配を……。こりゃ、トイレに行かなくちゃ! というわけで、点滴、痛み止め、オシッコの袋をぶら下げ、部屋からでてトイレに行った。一応、ナースが入り口まで付き添ってくれて。あ~よかった、おむつなんかされなくて、と思いました(笑)

 夕食は、五分粥になったのだけど、おかずの魚の煮こごりの匂いが嫌で、お粥と刻んだホウレン草とシーチキンの和え物しか食べれなかった。明日の朝食を三分粥に戻してもらう。

 消灯時間になってしばらくすると、手術の時の後遺症(無理矢理管を入れたので少し傷ついているのだ)なのか、空気が乾燥しているからなのか、喉がいがらっぽくなって咳がしたくてしょうがない。咳が出るとどうなるのかわかりますか? お腹に激痛が走るのだ! コホ、で止まればいいけれど、そうはいかない。くしゃみは抑えられるが、咳は……。はたして眠れるか……。