五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

五高の創設

2009-04-16 05:55:32 | 五高の歴史
今日から改めて五高の成立から眺め直して見たい。明治政府は日本の将来の柱石になるべき人材を育成するための教育制度「中学校令」を明治19年公布した。この中学校令により第五高等中学校(五高の前身)は設置された。明治20年10月に古城の県警察署跡地に仮住まいして第五高等中学校は開校された。敷地を飽託郡黒髪村の龍南の地に確保し21年2月より文部省の直轄工事として文部技官山口半六・久留正道の設計・監督の下に校舎の建築に入った。1年半の歳月を要して、この熊本における最初の煉瓦造りのクイーン・アン様式の建物は翌年8月に完成し黒髪村へ移転した。初代の文部大臣森有礼は明治19年発足した第一高等中学校の校長であった野村彦四郎を、あえて熊本の第五高等中学校の校長として送り込んだことは森文相の日本の教育に対する並々ならぬ意気込みが窺える。明治22年は全国一斉に市・町・村制が施行された年で、それまでの熊本区が熊本市に改正された。この中学校令により、今までの中学は尋常中学として残っていくことになった。高等中学校は文部省が直接管理とし、全国を5区に分け各区にナンバースクールを配置した。五高設置については九州各県で特に長崎・福岡とは激しい誘致合戦を行ったが、森有礼の英断により、熊本県に設置が決まったものである。