五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

熊本の大地震

2009-04-18 04:27:31 | 五高の歴史
新校舎の落成は明治22年7月で、落成早々の28日深夜には熊本地区は震度6,2と言う大地震に見舞われたが、この建物には聊かの亀裂も見出せなかったので、それ以後この建物の評価が高まり、世間の評判になり修学旅行を初めとする、結構な観光対象地になった。建築に掛かった費用は10万円、財源は県の地方税から8万円。旧藩主細川家から1万円。残りの1万円は県下の篤志家の寄付により賄われている。敷地面積51、300坪(168、000平方)、坪あたりの単価25銭、現在の単価であれば25万円余りか?全国五区の高等中学校では最大規模の広さを誇った。
に設置が決まったものである。
野村校長以下の学校関係者は新校舎に駆付け被害調査した。その結果聊かの被害も無かったことを確認している。

次に当時の資料から、校長及び文部大臣宛の報告を掲載する
明治22年7月29日校長への報告、起案者 余田 司馬人 
7月28日午後11時40分地大ニ震動直ニ駆付タル人名左ノ如シ 
肝属左右、町野一清、益永長平、林 惟喜、野村彦四郎、上野盾次、廣岡武七郎、笠井真、上野広八、中原淳蔵
余田司馬人(蒲原忠蔵、・高井信敦・、大場景定・・建築掛) 前田元敏、井上元吉、立山儀平次、瀬高準八 
以上拾八名
同時に文部大臣宛に校舎は無事と電報で報告している。
明治22年7月29日
    大臣へ地震の件報告電報(案)                 
    サクヤ ジュウイチジスギ  クマモトオホジシン  シチュウハハレツセシガショアリジンチク コウ ブジ