五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

責任者駆けつける

2009-04-19 04:30:44 | 五高の歴史
政府の危機管理室の設置が決まったのは事件が起こるたびにニュースが踊った関係責任者はゴルフを続けたいたとか、官邸に駆けつけなかったとかの事が理由のようであったと記憶しているが、明治の世の人はもっと自分の担当しているところには責任と愛着を持っていたようである。第五高等中学校の校舎が完成したことは先に述べたが、明治22年7月28日の深夜に熊本地区に起きた大地震にはすぐ黒髪村の新校舎に責任者である野村校長以下の学校関係者はすぐに駆付け被害調査している、その結果聊かの被害も無かったことを確認している。
次に当時の資料から、校長及び文部大臣宛の報告文掲載する
明治22年7月29日校長への報告、起案者 余田 司馬人 
7月28日午後11時40分地大ニ震動直ニ駆付タル人名左ノ如シ 
肝属左右、町野一清、益永長平、林 惟喜、野村彦四郎、上野盾次、廣岡武七郎、笠井真、上野広八、中原淳蔵
余田司馬人(蒲原忠蔵、・高井信敦・、大場景定・・建築掛) 前田元敏、井上元吉、立山儀平次、瀬高準八 
以上拾八名
同時に文部大臣宛に校舎は無事と電報で報告している。
明治22年7月29日
    大臣へ自身の件報告電報(案)                 
昨夜11時過ぎ熊本大地震
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