五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

第3代校長嘉納治五郎の赴任

2009-04-25 05:30:34 | 五高の歴史
森文相が凶刃に倒れて次の文部大臣には旧幕府の軍艦奉行であった榎本武揚が就任した。そして第五高等中学校の校長には二代目として平山太郎が任命された。平山校長の業績は先日述べた開校式の行事を行ったことが上げられるが、在任中に死去してしまった。続いて3代目校長に任命されたのが世に知られている講道館の創始者嘉納治五郎である。嘉納治五郎は柔道家と言うより教育家であり明治24年秋に赴任した時は、若干31歳の校長であった。資料によれば熊本には奥さんは連れず単身の赴任であった。来校に当たってのエピソードは鉄の柄のついたこうもり傘を引きずり出校したので出迎えた教職員、生徒を驚かせたと言うエピソードがある。嘉納校長が野村彦四郎や秋月胤永等によって育まれてきた剛毅木訥の龍南精神を五高カラーとして定着させたといえる。この剛毅木訥の龍南精神はその後の五高生に多大の影響を与えた。嘉納治五郎、秋月胤永の生活は厳格であったが暇を見ては生徒の相談にも応じたと言う。しかし嘉納校長は26年3月には文部省参事官として転出してしまった。なお昨年の9月に該ブログで野村彦四郎、平山太郎、嘉納治五郎については校長物語として掲載していますので参考にしてください