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七 カッター来る 明治28年を以て端艇会の成立を見た本校には、翌29年の早春、新艇の進水式も行われ、30年の春には、第二回の端艇会が挙行競られた。然るに30年、本校は佐世保鎮守府より、日清戦争の戦利品たる十余艘を官公私立の学校に譲与すべき由を聞き、鎮遠号艦載のカッター二艘を譲受けた。その経緯はこうである。本校長は6月12日付を以て該鎮守府長官宛。次のような照会を為した。十四橈バーデ 一艘(長33尺幅8尺5寸) 八橈ギグ 一艘(長30尺幅6尺五寸)・・・右貴府収容端艇本校生徒操艇術練習之為め備置度候に付御差支無之候は、御譲与相成度此段及御照会候也、正確に記せば、 バーザの方は長さ34尺4寸、幅8尺4寸、深さ4尺8寸、積量一千立方尺強、オレゴン・パイン製、ギグの方は長さ31尺、幅6尺10寸、深さ3尺2寸、(積量不明)テイク材製であった。バーデの方は帆その他調整する必要があったけれども、その製式等不明に付、廻航の為佐世保に滞留中の生徒富田定寿、吉田久太郎両人へ指図を乞う旨の依頼状を出し、7月末までに佐世保町字濱町海岸通り船繋留場に於いて修理を施し、前者には「旅順」、後者には「大連」と命名、
8月2日、一旦百貫港に廻送の上、3日百貫港を発し、4日無事江津湖に安着した。廻漕の際には、握飯2箱、菓子類4箱、梨及び鶏卵数十個、賽丹数袋、飲料水10余瓶、照前灯4個、蝋燭数斤等を備へ、本校生徒16名名の外、元本校生徒1名、商船学校生2名、攻玉社生徒1名、済々黌生徒5名、数学院生及び鵬翼舎生徒5名、凡て30名の生徒が、非常なる意気込ヲ以て漕いで来た者である。
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その後の話になると久太郎一行が回送に際して途中の港の宿屋で100円を超える借金を作ったということだけは特に取り上げられているが、・・・・・・
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