今日は2月も26日、ふと思ったのであるが2月26日は226事件が起きた日であった。あれから何年になるだろうか、たしか事件が起きたのは昭和11年であったようで俺が生まれる一年前の年であった。丸々七七年の昔である。
この事件については色々書かれた物があるがウイキペリアをひもといて見ると、二・二六事件は、昭和11年2月26日から2月29日にかけて、日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件であるとある。事件後しばらくは「不祥事件」「帝都不祥事件」とも呼ばれていたともある。直接的に五高の歴史とは関係はない様であるが、高等学校の生徒にはこれまで社会の特権的存在として社会的に絶縁されて何も社会の批判的なことも蒙らなかった五高生に対しても社会の眼が注がれ始めた、
いわゆる学生狩である。これをなさしめた者には学生自体の堕落もあった。この時代剛毅木訥を誇った五高生はカフエーに遊び麻雀に耽るのが常であった。寮の弁論大会、座談会等ではしばしば論争されたが、経験主義をもってこれを擁護し学生の品位をかざして時局を説いてはこれを否定した。この時代の学生は退廃的な享楽的な傾向に流れていたことは否めないことであろう。この傾向が頂点に達したのがまさに「非常時」であった。緊縮が要求され確信が望まれ、これらの享楽に対して弾圧が加えられたのは当然であった。五高生に対して警戒の目を向けていた、警察や憲兵隊等の当局者は学生狩という表面的な現象で五高生全体への反感を凝集させて行った。
この時の寮報第三号には「去る二月末以来引き続き行われている不良学生狩りの結果は今さらのように世人をして学生の堕落に眼を醒らしめた。そしてこの問題の根源は実に遠く且つ深きものがあろう。これは単に学生の無ならずインテリゲンチャ一般の浮動性無目的性乃至思想の混迷性等に帰し得よう。しかし沈滞乃至未来の希望を阻まれたインテリの選ぶ唯一の途があのデカダンス、エロイズムであろうか、それらは2者択一的関係のあるものであろうか、そのいずれも否である。これまで「世論を知る」という茫洋な言葉を口にして退廃の生活にまことしやかなこじつけをする人が多かったのではないか」と、ともあれ孤高独断高踏は五高生活には許されない時代に突入して行ったのである。
この事件については色々書かれた物があるがウイキペリアをひもといて見ると、二・二六事件は、昭和11年2月26日から2月29日にかけて、日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件であるとある。事件後しばらくは「不祥事件」「帝都不祥事件」とも呼ばれていたともある。直接的に五高の歴史とは関係はない様であるが、高等学校の生徒にはこれまで社会の特権的存在として社会的に絶縁されて何も社会の批判的なことも蒙らなかった五高生に対しても社会の眼が注がれ始めた、
いわゆる学生狩である。これをなさしめた者には学生自体の堕落もあった。この時代剛毅木訥を誇った五高生はカフエーに遊び麻雀に耽るのが常であった。寮の弁論大会、座談会等ではしばしば論争されたが、経験主義をもってこれを擁護し学生の品位をかざして時局を説いてはこれを否定した。この時代の学生は退廃的な享楽的な傾向に流れていたことは否めないことであろう。この傾向が頂点に達したのがまさに「非常時」であった。緊縮が要求され確信が望まれ、これらの享楽に対して弾圧が加えられたのは当然であった。五高生に対して警戒の目を向けていた、警察や憲兵隊等の当局者は学生狩という表面的な現象で五高生全体への反感を凝集させて行った。
この時の寮報第三号には「去る二月末以来引き続き行われている不良学生狩りの結果は今さらのように世人をして学生の堕落に眼を醒らしめた。そしてこの問題の根源は実に遠く且つ深きものがあろう。これは単に学生の無ならずインテリゲンチャ一般の浮動性無目的性乃至思想の混迷性等に帰し得よう。しかし沈滞乃至未来の希望を阻まれたインテリの選ぶ唯一の途があのデカダンス、エロイズムであろうか、それらは2者択一的関係のあるものであろうか、そのいずれも否である。これまで「世論を知る」という茫洋な言葉を口にして退廃の生活にまことしやかなこじつけをする人が多かったのではないか」と、ともあれ孤高独断高踏は五高生活には許されない時代に突入して行ったのである。