紋次郎と日々の出来事

骨肉腫と闘った紋次郎と保護犬の正次郎との日々

忘れない為にⅫ

2008年05月06日 23時48分53秒 | 父のこと
ドカベン先生はまず、瞳孔が閉じてきている事と、自発呼吸が出てきている事を教えてくれました。この二つのことの重大さをそのとこはわかっていませんでしたが、とても喜びました。お父さん!!がんばっているんだって!
だから『脳死状態ではありません』っと言いました。
今朝、撮ったレントゲン写真を見せてくれて、「ここに肺気腫があります、心臓が止まった原因がこれではないかと肺に穴を開けて空気を出していますが、どうもこれが原因ではないようです」・・・・・
私だったか姉だったか、先生に「今朝の先生は肺気腫はないって言っていたんですが」 「普通の先生が見ても肺気腫は確認できます」本当に申し訳なさそうにドカベン先生が言った。ただ無言の私たち。涙だけが出てくる。「今朝の心電図にも心筋梗塞の波形が出ているけど、これだけでは何もいえません、肺がんもわずらっている事ですし・・」

このあたりから記憶があいまいに・・・ただただ涙ばかりが出てしまった

先生が今肺がんの事よりこの状態を脱する事が一番大事です。
っと言った事は覚えています。でもこの状態を脱しても、お父さんの癌は進行が早いのにそのままでいいのか?と質問したと思う。肺がんについては呼吸器科の先生と相談して決めましょうとなった。

私はただ、悔しくて悔しくて、午前中に病院に行った意味がまったくない!!医療ミスだった!!!怒りより悔しさが出てきて涙ばかりが出てきた。

母は先生に、持ち直したら呼吸器科の病棟に行きますか?あそこには本当にお世話になったので、先生は『個室になりますよ』っとちょっと暗い顔で言っていた


忘れない為にⅪ

2008年05月06日 23時32分21秒 | 父のこと
GW中、お父さんの書類を整理していると今までの入院時の領収書が出てきました
その中で2月6日、倒れる4日前に高額医療請求を区役所にしていました。倒れるまで多少体調が悪くても元気だったんです



姉に呼ばれて救急科のお父さんが入院している場所に行きました。
そこは当然ながら普通の病棟とは違い、入り口に自動であく扉(よくドラマで手術室に行く場面があると思いますがそんな感じの入り口)。そして入り口にはマスクと消毒用のスプレーがありました。
お父さんを見ると・・・口からは人工呼吸器がつながれ、鼻からはチューブが出ていて。腕には点滴。尿管、肺からは肺気腫のため、空気を抜くための管がつけられていました。

まるでドラマのようでした

目をつぶっているお父さんに、がんばったねっと声をかけると、姪がここに運ばれるときに目を開けていたといっていました。
救急科の主治医(この時点で主治医が呼吸器科の先生から救急科のドカベン先生に代わりました)から説明がありますからと救急科の隣の別室へ行きました。
家族は無言・・・先生が来る前にお父さんが救急車に運ばれるときに所持していた服などの返却がありました。
大きいビニール袋に入ったお父さんの服。運ばれるときに救急隊に渡した毛布2枚。着ていたセーター、これは運ばれたときにはさみで切ったのでぼろぼろでした。肌着、ステテコ。これらもはさみで切られていました。ズボン、財布。すべて確認しなければなりません。突然のことで何を持っていたかなんてわかんないです。はい、はいと答えるしかありませんでした。
その中で女物のハンカチが出てきました。お父さんは口の周りに食べ物がつくのが嫌いで、よく口を拭いていました。そのためのハンカチだと思いますが、古い母のハンカチでした。こんなもの持っていたなんて・・・いったいいつ??初めてのお父さんの“なぞ”でした。
救急科の病棟はいろいろ制限が厳しく(当然ですが)面会時間の確認、そして必要なものを教えてもらいました。歯ブラシ、(歯茎が磨けるもの)歯磨き粉、よく寝ている人に水を飲ませるための器具(名前、忘れました)、ティッシュ、タオル大小、髭剃り、成人用オムツ・・・とうとうオムツか・・・っと思っていましたが尿管が入っているのでいったい何に使うのか不明でした。すべてに名前を書いてください。との事でした。

しばらくして、ドカベン先生がやってきました