~ 我死なば焼くな埋むな野に捨てて ~
「地獄太夫」
大蘇芳年画
室町時代、泉州堺高須の花街に「地獄太夫」と云う名高い遊女がいた。
彼女は武家の生まれでしたが(父親の梅津嘉門景春は応仁の乱で討死)
その後、養父母とも死別し善光寺に行く途中賊に捕らわれ
その美貌の為に遊郭へと売られてしまいました。
遊女として育っていった彼女は
この不幸は全て前世での行いの報いであると考え
この世は所詮地獄よ。という意味を込めて「地獄太夫」と名乗った
彼女はその美貌だけではなく、和歌も上手く
地獄変相図の衣を愛用するという変わった出で立ちで
非常に人気のある遊女でした。
そして、彼女の噂を聞きつけて、やってきたのは一休さんで有名な一休宗純
その美しさに『聞きしより見て美しき地獄かな』と歎賞すると
太夫が『生き来る人の落ちざらめやも』と見事に返した事から意気投合し
二人は師弟関係を結びました。
久しからずして、一休の教えにより地獄太夫は
地獄も極楽も一如であると悟ったと云う。
出典元:ブログ「いろはにほへと」
および 「本朝醉菩提」