月岡芳年 月百姿
『弓取の数に入るさの身となれは おしまさりけり夏夜月』 明石儀太夫
明治二十三年四月印刷
弓取り:弓矢を用いることを務めとすること。またその人。すなわち武士。
さの身:そのような身分
『武士に数えられる身となったからには 夏の月を見るこの命さえも惜しまないのだ』 と
辞世の句を前に切腹を行おうとする明石義太夫。
明石儀太夫は明智光秀の家臣らしいのですが
太閤記以外にはほとんど資料が見当たりません。
国立国会図書館デジタルコレクション 064
屏風の虎は加藤清正を暗示しているのでしょうか?
明智光秀の命により明石儀太夫は四王天但馬とともに尼ヶ崎で
羽柴秀吉を待ち伏せするのですが、秀吉が逃げ込んだ広徳寺門前にて
加藤清正により討たれた四王天但馬の屍をみて、もはやこれまでと
此のこと光秀に伝えるべく 田の中を赤裸で逃げ去るなり。
と、絵本太閤記にはあるのがですが。。。
月岡芳年と一恵斎芳幾は歌川国芳に師事した兄弟弟子なんですね。