オオカミになりたい(遺言)

ずっとそばにいるよ

古今名婦伝 「了然尼」

2018-06-07 | 豊国錦絵

了然尼(りょうねんに)は江戸時代前期~中期の尼僧

正保3年(1646)- 正徳元年(1711)

元治1年(1864)出版  歌川豊国(国貞)絵

 

了然尼

東福門院(徳川和子)の侍女だったが やがて宮仕えを退き

垂尼(たれあま)とななって禅法を勤め学ぶ

東都(えど)へ下り駒込の伯翁和尚に入門を願ったが

伯翁は了然が容顔(かおかたち)の麗しきを疎み寺にとどめず

了然、口惜しきことに思い近辺の家に入り

銅(あかがね)の器を熾火(おき)赤く焼きたるをして

顔面に押し当て押し当てして爛(ただ)らかし

忽ちのうちに醜婦(しこめ)となり 筆をとって一頌を書く

昔、宮裏に遊んで蘭麝(らんじゃ)を焼(た)き

今は禅林に入りて面皮を燎(や)く

四序の流行 亦(また)かくの如し

知らず誰れか是れ箇の中に移る


いきる身の 捨ててやく身ぞうからまし 

終(つい)に薪(たきぎ)と おもはざりせば


爰(ここ)を立ち出で伯翁をも下目にみて自ら悟道の妙処を得たる

勇猛精進比類なき女菩薩なり 落合村に泰雲山了然寺の名を残す

                (柳亭種彦記)


口真似草に                    

身をもやし 見てのる人もの船  安宅貞利