了然尼(りょうねんに)は江戸時代前期~中期の尼僧
正保3年(1646)- 正徳元年(1711)
元治1年(1864)出版 歌川豊国(国貞)絵
了然尼
東福門院(徳川和子)の侍女だったが やがて宮仕えを退き
垂尼(たれあま)とななって禅法を勤め学ぶ
東都(えど)へ下り駒込の伯翁和尚に入門を願ったが
伯翁は了然が容顔(かおかたち)の麗しきを疎み寺にとどめず
了然、口惜しきことに思い近辺の家に入り
銅(あかがね)の器を熾火(おき)赤く焼きたるをして
顔面に押し当て押し当てして爛(ただ)らかし
忽ちのうちに醜婦(しこめ)となり 筆をとって一頌を書く
昔、宮裏に遊んで蘭麝(らんじゃ)を焼(た)き
今は禅林に入りて面皮を燎(や)く
四序の流行 亦(また)かくの如し
知らず誰れか是れ箇の中に移る
いきる身の 捨ててやく身ぞうからまし
終(つい)に薪(たきぎ)と おもはざりせば
爰(ここ)を立ち出で伯翁をも下目にみて自ら悟道の妙処を得たる
勇猛精進比類なき女菩薩なり 落合村に泰雲山了然寺の名を残す
(柳亭種彦記)
口真似草に
身をもやし 見てのる人も 蛍の船 安宅貞利