加賀千代(かがのちよ)は江戸時代中期の俳人。千代女・千代尼とも呼ばれる
元禄16年(1703) - 安永4年(1775)
安政6年(1859)出版 歌川豊国(国貞)絵
加賀の千代
千代は加賀の國松任にある福増屋六兵衛といえる旅店(はたごや)の娘で
幼き時より風雅の志ふかく 行脚の俳人を家に止宿させて俳諧をたしなむ
廿三才の時京にのぼり 勢刕(せいしゅう=伊勢國)にいたり
麥林舎乙由(ばくりんしゃおつゆう)の門人となり 廿七才のとき再び上京する
そののち薙髪(ちはつ)して千代尼、又素園と云う。
容貌美にして常に閑静を好む
画を北越の呉俊明に学びて草画をよくす
廣く俳士に因みてその名天下に芳ばし
干時(ときに)安永四年九月八日寂す 年七十四 金沢専光寺に葬す
松任の駅聖興寺に碑あり
(楳素亭玄魚記)
辞世の句に
『月も見て我は此の世をかしくかな』