万治高尾(まんじたかお)は江戸時代前期の遊女。2代目高尾太夫
寛永18年(1641)- 万治3年(1660)
安政6年(1859)出版 歌川豊国(国貞)絵
万治高尾
元吉原なる三浦四郎左エ門が家の名妓二代の高尾は
下野國(しもつけのくに=栃木)下塩原郷塩釜村の産れで、父を長助という
高尾は万治三年庚子(かのえね)十二月廿五日江戸にて没す。
彼の故郷にあまたの紀念(かたみ)を送ったけれど
皆失って今は塵ばかりとなってしまった
只、高尾自筆の源氏、伊勢つれづれのたぐいのみ残っている。
これは彼が在世のとき送ったもので、真の筆蹟に疑いはなく
彼の俤(おもかげ)を今見るかの如くにかわるものである。
以上京傳の竒跡考
山谷橋の南西方寺(道哲庵)に墓あり。
(梅素亭玄魚記)
辞世に
『寒風に もろくもくつる 紅葉かな』