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祥一郎…………
言って無かったけど……伝えない内に、お前は逝ってしまったけれど………
去年の秋、10月頃だったかな、初めて日光に行って来たんだよ。
とあるSNSで知り合った、同じ在日コリアンの社労士をやっている女性と逢いにね。相談も兼ねて。
もうかなり長くやりとりはやっていたんだけど、初めて宇都宮で会う事が出来た。
その人に「日光に行ってみたいな。」と言ったら、
「案内しましょうか?」って言ってくれて、一度も言ったこと無かったから御好意に甘えることにしたんだ。
日光の社寺や華厳の滝は、平日だというのにけっこうな人だかりで、色々見て回ったけど、まあやっと「けっこう。」と言う事が出来ると、その時は思ったんだ。
本宮というのかな、そこでお祈りしたんだ。
「…………どうか贅沢は言いません。平穏な毎日が続きますように………。」って。
お守りの鈴も買った。
帰りの車の中で、その社労士の女性に色々相談したんだ。
仕事が大変で、生活が苦しい事、
お前が病気がちで、なかなか働けないこと、
もう20年以上一緒に住んでるから、今さら別れられないこと等々。
そしたらその女性が、「もういっそのこと、養子縁組したらどうですか?」
って言われた。
お前と養子縁組………
今までときおり考えたこともあったけど、くわしく手続きや条件などはまだ調べて無かった。
「養子縁組なんて複数の人とも可能だし、扶養家族として税金も控除されるし、安い都営住宅にも申し込めるし、けいさんの職場の社会保険にも入れるでしょ。そのパートナーの方、身体が弱いならなおさらじゃないかしら。」
なんて話になった。
その提案を受けておっちゃんは、ちょっと本気で考えてみようかなとその時思ったんだ。
それから数日してからお前に「養子縁組って、この際だから考えてみない?本籍地から戸籍謄本取り寄せることから始めない?」
って言って、女性から言われたメリットも含めてお前に話したよね。覚えてると思うけど。
まあお前の養父(実は実父だったけど)の事も有るし、すぐには決心つかないだろうから、おっちゃんは少しずつお前を説得して、少しずつ動いてみようかなとも思っていたんだ。
だって、おっちゃんはお前とこの先もずっと暮らすはずだと確信していたんだもの。
まさか、それから二か月後にお前があんなことになるなんて……………
その社労士の女性から、「あの時車中で話したことが思い出されて大変残念です………」
っていうメールがきたよ。
その後うちに来て、御線香も上げてくれた。
もっと早くにお前と養子縁組してたら、お前とおっちゃんの人生はどうなっていたかな。
たいして違わなかったかもしれないし、少しは生活しやすくなっていかもしれない。お前の身体に使う費用も少しは確保できたかもしれない。
それはもう今更わからないけれど…………
ただ、おっちゃんとお前は家族だけれど、法的には何の保証もない関係だったからね。
そう言う面では不安が無かったと言えば嘘になるかもしれない。
でももう、法的どころか、お前はこの世に居なくなってしまった………
小さな壺に入って、小さな箱のような仏壇に座って………おっちゃんに毎日線香を上げられる存在にお前はなってしまった………
そしておっちゃんはその前で、来る日も来る日も泣いている…………
様々な後悔や自責の念にかられながら………
祥一郎………
あの時日光で、「平穏な生活が続きますように………」っていうお祈りは、結果的に最悪の形で叶わなかったことになってしまったね………
祥一郎……
やっぱり…………俺たちには、神も仏も無かったのかな………
悔しいよ、切ないよ…………悲しいよ………………
言って無かったけど……伝えない内に、お前は逝ってしまったけれど………
去年の秋、10月頃だったかな、初めて日光に行って来たんだよ。
とあるSNSで知り合った、同じ在日コリアンの社労士をやっている女性と逢いにね。相談も兼ねて。
もうかなり長くやりとりはやっていたんだけど、初めて宇都宮で会う事が出来た。
その人に「日光に行ってみたいな。」と言ったら、
「案内しましょうか?」って言ってくれて、一度も言ったこと無かったから御好意に甘えることにしたんだ。
日光の社寺や華厳の滝は、平日だというのにけっこうな人だかりで、色々見て回ったけど、まあやっと「けっこう。」と言う事が出来ると、その時は思ったんだ。
本宮というのかな、そこでお祈りしたんだ。
「…………どうか贅沢は言いません。平穏な毎日が続きますように………。」って。
お守りの鈴も買った。
帰りの車の中で、その社労士の女性に色々相談したんだ。
仕事が大変で、生活が苦しい事、
お前が病気がちで、なかなか働けないこと、
もう20年以上一緒に住んでるから、今さら別れられないこと等々。
そしたらその女性が、「もういっそのこと、養子縁組したらどうですか?」
って言われた。
お前と養子縁組………
今までときおり考えたこともあったけど、くわしく手続きや条件などはまだ調べて無かった。
「養子縁組なんて複数の人とも可能だし、扶養家族として税金も控除されるし、安い都営住宅にも申し込めるし、けいさんの職場の社会保険にも入れるでしょ。そのパートナーの方、身体が弱いならなおさらじゃないかしら。」
なんて話になった。
その提案を受けておっちゃんは、ちょっと本気で考えてみようかなとその時思ったんだ。
それから数日してからお前に「養子縁組って、この際だから考えてみない?本籍地から戸籍謄本取り寄せることから始めない?」
って言って、女性から言われたメリットも含めてお前に話したよね。覚えてると思うけど。
まあお前の養父(実は実父だったけど)の事も有るし、すぐには決心つかないだろうから、おっちゃんは少しずつお前を説得して、少しずつ動いてみようかなとも思っていたんだ。
だって、おっちゃんはお前とこの先もずっと暮らすはずだと確信していたんだもの。
まさか、それから二か月後にお前があんなことになるなんて……………
その社労士の女性から、「あの時車中で話したことが思い出されて大変残念です………」
っていうメールがきたよ。
その後うちに来て、御線香も上げてくれた。
もっと早くにお前と養子縁組してたら、お前とおっちゃんの人生はどうなっていたかな。
たいして違わなかったかもしれないし、少しは生活しやすくなっていかもしれない。お前の身体に使う費用も少しは確保できたかもしれない。
それはもう今更わからないけれど…………
ただ、おっちゃんとお前は家族だけれど、法的には何の保証もない関係だったからね。
そう言う面では不安が無かったと言えば嘘になるかもしれない。
でももう、法的どころか、お前はこの世に居なくなってしまった………
小さな壺に入って、小さな箱のような仏壇に座って………おっちゃんに毎日線香を上げられる存在にお前はなってしまった………
そしておっちゃんはその前で、来る日も来る日も泣いている…………
様々な後悔や自責の念にかられながら………
祥一郎………
あの時日光で、「平穏な生活が続きますように………」っていうお祈りは、結果的に最悪の形で叶わなかったことになってしまったね………
祥一郎……
やっぱり…………俺たちには、神も仏も無かったのかな………
悔しいよ、切ないよ…………悲しいよ………………
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