何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

嘘をついたの?違うよね、祥一郎・・・・・・・・

2016年03月22日 | 死別体験
逢いたくて逢いたくて この胸のささやきが

貴方を探している あなたを呼んでいる

いつまでもいつまでも 傍にいると言ってた

貴方はうそつきだね 心は置き去りに

やがて時は行き過ぎ 幾度目かの春の日に

貴方は眠るように 空へと旅立った

いつまでもいつまでも 傍にいると言ってた

貴方は嘘つきだね 私を置き去りに    (スターダスト・レビュー「木蓮の涙」)

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祥一郎・・・・・・ある人から教えてもらった曲の歌詞の一部だよ。

お前は知っていたかい?

おっちゃんは大分前に聴いたことが有ったような気がする。


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祥一郎・・・・お前は嘘つきだったのかい?おっちゃんに嘘をついたのかい?

おっちゃんには直接言ってくれなかったけれど、お前の友人には「おっちゃんはもう歳だから、僕が居てあげなくちゃダメなんだ。って言ってたと、以前にも書いたよね。

その言葉が真実ならば、やっぱりお前は嘘つきだ。

これから歳老いていくばかりのおっちゃんを、たったひとり置き去りにしていったのだから。

でも、でも・・・・その嘘には怒りは感じない。

感じるのは、とてつもない大きな悲しみだ。


結果的にお前は嘘をついたことになるけど、その嘘は、お前の本当の心からではないからね。
お前の本当の意志からでは無いからね。

だからこそ悲しい嘘なんだ・・・・・・

お前はこれからもおっちゃんと一緒にいるつもりだった。でも天に召されてしまったから嘘。

でも、お前は自分の意志で天に召されて行ったのではない。だから結果論としての嘘なんだろう。

何度も言うけど、おっちゃんは怒りは感じないよ。お前とあっちで再会しても怒ったりしないよ。

きっと喜んで涙を流して喜んで、嬉しくて嬉しくて小躍りしながら、お前を抱いてくるくる回るんだ、きっと。

そして泣き笑いの顔で、「この嘘つき。ずっと一緒に居るって言ったじゃないか。」なんて、お前の頭を軽くコツンと小突くんだろうな。

そしたら祥一郎お前は、「・・・・・・・・・おっちゃん、ごめん。」って言ってくれるだろうか。


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うちの近くにも一本木蓮の花が咲いている。

それを眺めたとき、お前のついた嘘を思って静かに見上げて、涙をこらえるおっちゃんの姿がそこから見えると思うよ。

祥一郎・・・・・・・・


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