「メゾン・ド・ヒミコ」
という映画を御存知だろうか。
とあるゲイの男性が銀座でゲイバーを経営して、その後引退してゲイ専用の老人ホームを立ち上げ、その入居者とそれにまつわる若者たちの人間模様を描いた映画。
祥一郎がまだ元気だった頃、ケーブルテレビで放映していたその映画を最近何度も何度も観ている。
別に自分の老後を重ね合わせているわけでもなく、ストーリーにさほど感動してるわけでもなく、なんとなく観ているわけだが。
しかしその映画の中で、そのゲイ男性に捨てられた女性の娘が言う一言が妙にいつまでも引っ掛かる。
要するに捨てられた女性はそのゲイ男性の妻だったわけだが、ある日カミングアウトされて夫だった男性は消えてしまう。そして妻だった女性は心労のためほどなくしてガンで死んでしまう。
その捨てられて死んだ女性の娘がゲイの父に言った一言、「お母さんがガンで死んだのは、不幸だったからよ。」
そのフレーズが妙に引っ掛かる。
私の周囲にも、ガンになるのは良い人ばかりよ。周囲に気を使ってばかりいたり、苦労の絶えなかった人がガンになりやすいのよ、という説をとなえる人が何人か居る。
私は親戚付き合いは殆ど無く自分から避けて生きてきたが、そこそこ仲の良かった同じ歳の女性の従姉妹が居た。
自己主張が強く我の強い従兄弟達の中で、唯一その同い年の従姉妹だけは毛色が違い、おっとりして周囲に気を配り言いたいことも控える人だった。33歳の若さで大腸がんで亡くなったが。
祥一郎が亡くなる何年か前、私にとってゲイの世界で唯一といっていい親友もそうだった。
苦労人だった上、八方美人で気配りばかりする人だった。その後骨髄腫というガンで亡くなった。
少なくとも私の周囲では、苦労人で良い人と言われる人、気配りの出来る人、言いたいことも堪える人がガンで亡くなっているケースが多いような気がする。
祥一郎はどうだったのだろう。
私には言いたい事を吐き出せていたのだろうか。
私の前では、素の自分で居られたのだろうか。
20数年一緒に暮らしてそんなこともわからないのかと言われても、何十年も連れ添ったカップルでも、本当の、心の奥底の本音まで理解し合えていたと自信をもって言える人はどれほど居るのだろう。
祥一郎・・・・あの子は極端な内弁慶だった。あまり接点の無い人や、関係性の薄い人には妙に外面が良かった。
そして私の元へ帰って来ては、本音を出して愚痴を垂れ流すところがあった。そういう面では私には素の自分を曝け出せていたのだろう。
でも、100パーセントそうだったのかと考えてしまう。
ひょっとして私にも言えない、愚痴れない、甘えられない事をいくつか抱えていたのではないか。
私に気を使って、本当は言いたいことがもっとあったのに、言えずじまいだったことは無かったのだろうか。
家族同然だったのにあんなに近くに居たのにいつも一緒だったのに・・・だからこそ言えなかったことを抱えていたのではないんだろうか。
それがストレスや精神的な重荷になっていなかったのだろうか。
あいつの死んだ原因がガンだとして、それが遠因になっていたのだとしたら・・・・・・
あのメゾン・ド・ヒミコという映画の女優の一言が妙に引っ掛かるのは、最近そんなことを考えるからなのだ。
あまりに近すぎて言えなかった、それはやはりある意味不幸な事だろうと思う。
そして言おうとしてもあまりに突然の別れだったために言えなかった、そこまで考えるのは穿ち過ぎだろうか。
そう、あまりに突然の別れ。
それが故に、お互いに伝えたかった事はもう無いと、誰が言えるだろうか・・・・・。
祥一郎・・・・
少なくともおっちゃんは、ここに書ききれないほどお前に伝えたかったことが山のようにあるよ。
だから少しずつでもここに書き残していくつもりなんだ。
でも、お前がおっちゃんにまだ伝えたかったことがあるのなら、それはおっちゃんがそちらの世界へ行くまで聞くことはできないね・・・・・・・・・
それが切なく、悲しい・・・・・
という映画を御存知だろうか。
とあるゲイの男性が銀座でゲイバーを経営して、その後引退してゲイ専用の老人ホームを立ち上げ、その入居者とそれにまつわる若者たちの人間模様を描いた映画。
祥一郎がまだ元気だった頃、ケーブルテレビで放映していたその映画を最近何度も何度も観ている。
別に自分の老後を重ね合わせているわけでもなく、ストーリーにさほど感動してるわけでもなく、なんとなく観ているわけだが。
しかしその映画の中で、そのゲイ男性に捨てられた女性の娘が言う一言が妙にいつまでも引っ掛かる。
要するに捨てられた女性はそのゲイ男性の妻だったわけだが、ある日カミングアウトされて夫だった男性は消えてしまう。そして妻だった女性は心労のためほどなくしてガンで死んでしまう。
その捨てられて死んだ女性の娘がゲイの父に言った一言、「お母さんがガンで死んだのは、不幸だったからよ。」
そのフレーズが妙に引っ掛かる。
私の周囲にも、ガンになるのは良い人ばかりよ。周囲に気を使ってばかりいたり、苦労の絶えなかった人がガンになりやすいのよ、という説をとなえる人が何人か居る。
私は親戚付き合いは殆ど無く自分から避けて生きてきたが、そこそこ仲の良かった同じ歳の女性の従姉妹が居た。
自己主張が強く我の強い従兄弟達の中で、唯一その同い年の従姉妹だけは毛色が違い、おっとりして周囲に気を配り言いたいことも控える人だった。33歳の若さで大腸がんで亡くなったが。
祥一郎が亡くなる何年か前、私にとってゲイの世界で唯一といっていい親友もそうだった。
苦労人だった上、八方美人で気配りばかりする人だった。その後骨髄腫というガンで亡くなった。
少なくとも私の周囲では、苦労人で良い人と言われる人、気配りの出来る人、言いたいことも堪える人がガンで亡くなっているケースが多いような気がする。
祥一郎はどうだったのだろう。
私には言いたい事を吐き出せていたのだろうか。
私の前では、素の自分で居られたのだろうか。
20数年一緒に暮らしてそんなこともわからないのかと言われても、何十年も連れ添ったカップルでも、本当の、心の奥底の本音まで理解し合えていたと自信をもって言える人はどれほど居るのだろう。
祥一郎・・・・あの子は極端な内弁慶だった。あまり接点の無い人や、関係性の薄い人には妙に外面が良かった。
そして私の元へ帰って来ては、本音を出して愚痴を垂れ流すところがあった。そういう面では私には素の自分を曝け出せていたのだろう。
でも、100パーセントそうだったのかと考えてしまう。
ひょっとして私にも言えない、愚痴れない、甘えられない事をいくつか抱えていたのではないか。
私に気を使って、本当は言いたいことがもっとあったのに、言えずじまいだったことは無かったのだろうか。
家族同然だったのにあんなに近くに居たのにいつも一緒だったのに・・・だからこそ言えなかったことを抱えていたのではないんだろうか。
それがストレスや精神的な重荷になっていなかったのだろうか。
あいつの死んだ原因がガンだとして、それが遠因になっていたのだとしたら・・・・・・
あのメゾン・ド・ヒミコという映画の女優の一言が妙に引っ掛かるのは、最近そんなことを考えるからなのだ。
あまりに近すぎて言えなかった、それはやはりある意味不幸な事だろうと思う。
そして言おうとしてもあまりに突然の別れだったために言えなかった、そこまで考えるのは穿ち過ぎだろうか。
そう、あまりに突然の別れ。
それが故に、お互いに伝えたかった事はもう無いと、誰が言えるだろうか・・・・・。
祥一郎・・・・
少なくともおっちゃんは、ここに書ききれないほどお前に伝えたかったことが山のようにあるよ。
だから少しずつでもここに書き残していくつもりなんだ。
でも、お前がおっちゃんにまだ伝えたかったことがあるのなら、それはおっちゃんがそちらの世界へ行くまで聞くことはできないね・・・・・・・・・
それが切なく、悲しい・・・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます