も~さんブログ

日常の出来事や旅日記を書いています。

1月8日 久し振りの自遊旅

2020-01-08 16:41:03 | 日記
実家の生活は暖房面では最高だ。
全室電気暖房が入っているので暖かい。
半袖シャツにパンツで寝ている。
掛け布団は無く、寝袋を広げたものと、毛布1枚である。それでも暖かく、足を出して寝ている。
自遊旅は毛布2枚に掛け布団だ。
長袖シャツにタイツも履いている。
トイレに起きるときは、実家では暖かいまま行けるが、自遊旅では暖房が無いから、外の気温より少し暖かいくらいだ。
起きて一気にトイレに行き、即戻ってきて布団に潜り込む。
そんな生活なので寒さにも強くなったのであろうか。
冬山に行った時でも、一瞬に裸になって汗をかいたシャツを着替える。
その方が暖かいのだ

今日は妻が白内障の手術を受ける。
そこで病院まで送っていく。
その後、久し振りに自遊旅に行く。
水道は凍結がなく無事出た。
それならと、洗濯をする。
しばらくしたら動いていない。
排水が出来ない。
濡れた洗濯物を出す。
これが超冷たい。手がちぎれそうと言うのはこの事だ。
溜まった水もすくいだし、最後は雑巾に吸い込ませて取る。
薪ストーブを炊いているのでお湯はある。
洗濯機に熱い湯を入れる。
10分くらい経って、お湯が減っていた。
排水パイプの方に行ったのだろう。
再び最初から洗濯する。
やがて排水の所に来た。
出来た! 見事排水が出来た。
洗濯も終わりストーブの側に置き、火力を上げる。
あっという間にほぼ乾いた。

その後、函館護国神社の官修墓地に行き、佐藤安之助の墓を探しに行く。
6日に行った時は分からず、インターネットの写真を持っていく。
写真と同じ場所に行ったが、佐藤安之助の墓では無かった。
インターネットでは駒越村安之助と読める。

この墓は御親兵の方の墓だった。
位置は間違っていない。
この墓の左右も見たが違う。
墓は一体どうなったのだろうか。

1月7日 どんど焼き

2020-01-07 18:45:52 | 日記
2日前から北海道人を読んでいたが、今日読み終えた。

各地を旅した松浦武四郎だが、北海道が北からの防備に甘いことを気になって、情報集めに北海道各地を回るのであるが、その中で松前藩のアイヌ虐待に怒り、ありのままを書にしるしたので、松前藩から狙われる事になる。
日本の山にも随分登っており、富士山も登っている。
道南の恵山も登っている。
日本に開国を迫る外国船に対する防備も気になったが、結局は蝦夷が心配で北海道に何度も来ては北海道の様子を記にした。
同じ時期に吉田松陰もいた。
彼は海外に渡航したかったが叶わなかった。
そんな折、ジョン万次郎が日本に10年振りに戻ってきた。
普通の漁師だったのだが、遭難してアメリカの捕鯨船に助けられる。
戻って来た万次郎は政府に雇われ帯刀を許される。
海外に行ったことで多くの情報を手に入れたからだ。

孫達とケーキを買いに行く。
今日はばあちゃんの誕生日なのだ。
最初の店は定休日だった。
直ぐ近くにに不二家があったのでそちらにする。
玄関ではペコちゃんが着物姿で迎えてくれた。

プレゼントはいつも迷う。
昨日イオンに行った。
入って直ぐバッグの店が有った。
何となく見ていたらおばちゃんが出てきて、私がこれが良いと思うと言ったら、これは使いにくいのでこちらが良いよと進められた。
牛革のバッグだった。
包みながら、私は一度も貰った事がないと言う。
その方が気楽で良いのだが。

娘の勤務が終わるのを待って、皆でどんど焼きに行く。
正月の注連飾りを焼いて無病息災を祈願するのだ。




焼いた煙を体に付ければ良いと言われるので、頭に随分付けた。
ボケにならないように。
長男の孫も煙を全身に付けたあと、戻ってきたがまた行った。
どうしたのか聞いたら指に付けて来たと言う。
ゲームが上手くなるようにとの事だった。

帰ってプレゼントを娘と私が渡す。
娘のプレゼントは帽子とセーター。
 
私はバッグ。

誕生会はジンギスカン初め焼き肉パーティ。
終わってろうそくケ消して皆でケーキを食べる。





1月6日 眼鏡の検査

2020-01-06 17:57:37 | 日記
今日は眼科で眼がどの程度のレンズで適正なのか検査し、それと現在の眼鏡が合っているか判断してくれる。
結果は今の眼鏡でも殆ど同じ視力なので眼鏡は変えなくて良い事になった。
次回は3週間後に眼の検査をする。
視力が変化していないかを調べるそうだ。

自遊旅に寄って、スノーシュー他山の道具を持ってくる。
天狗岳付近の塹壕を調べたい。

函館護国神社の側にある新政府軍の墓地に行く。
二股口台場の近くに、佐藤安之助の墓があるのだが、他に護国神社に2基あることが古い本で分かった。
その確認に行く。




一基は薩藩の合同の碑なので大きい。

プレートが埋め込まれていて、佐藤安之助の名前は確認出来た。

実はこの佐藤安之助は津軽藩で、現在の岩木町の出身なのだ。
津軽藩は大量の兵を、各藩に送り込んでいた。
その一人が薩摩藩に送り込んだ佐藤安之助だったのだ。
夫卒と言う事なので武士では無かった。

他に59基並ぶ墓にも安之助の墓があると書いてあったが、それは発見できなかった。
朽ちて全く読めないい墓があったのだが、位置が少し違う。

これ以外は全て確認出来た。

帰る途中久し振りにリサイクルショップに寄る。
Canonの純正インクが390円で売っていた。
ラッキー。


帰って作成して佐藤安之助の墓を資料に纏める。

夕方函館検定会から4月19日に20名の下二股口台場ガイドが入った。
高齢者も多いので3時間位で、全体の様子が分かれば良いとの事だった。






1月5日 親戚の子供を送りに空港へ

2020-01-05 16:31:03 | 日記
今日で早いもので5日が過ぎた。
正月モードも少しずつ解消されてきた。
朝から「下二股口台場」の改訂版の出版に向けて力が入ってきた。
11時になって、台湾から遊びに来ている二人を空港に見送りに行く。


妻の妹の娘が子供二人を連れて台湾から里帰りしていた。
娘は台湾東海大学に留学中、現地の人と結婚して台中に住んでいる。
娘はマラソンでは有名で、台湾では何時も入賞していた。


私とは礼文島の愛とロマンの8時間コースをMTBで踏破したこともある。
途中にあるウニ丼の店でMTBで来た人は初めてだと言われた。
そんな思い出が残っている。

搭乗手続きで時間がかかっていた。
理由はLCCのタイガーエアーは18歳未満の子供二人連れでは乗せられ無いそうだ。
来るときはエバー航空だった。
そこで色々な書類を作成して、何か有った時の承諾書の様な物に親がサインを求められた。


その書類作成に時間が掛かっていた。
子供達は男の子が年齢が近いので、楽しく話したり遊んでいた。


女の子は年が離れているので、それほど一体感は出来ない。
ようやく書類が出来て搭乗。
出発の5分前だった。

家に戻って再びパソコンに向かう。
今日は随分調べた。


1月4日 年賀状を作成

2020-01-05 16:06:52 | 日記
年賀状の裏面は出来ていたが、火事で住所録を失い、皆さんの年賀状が来てから出す事になった。
結局来た年賀状は80枚だった。
何時も年末に出すときは130枚になっていた。
50枚も減った事になる。
難しいのは旅人である。
一度自遊旅に泊まると年賀状が来る事が多い。
しかし翌年はどうかと考えてしまう。
出すべきか出さないか。
毎年出せばどんどん数量が増えてくる。
今年は火事により住所録が失なってしまったので、来た年賀状に対して出す事になった。
そうしたら大幅に減ったのである。
寒中見舞いとして出さなければならないが、郵便局が開いているのか。
まあ本局なら開いているだろうと行ったら開いていた。
予備も含めて90枚購入した。
家に帰って印刷をする。
夕方にまで終えた。

娘は同居なので手渡ししたら 
お爺ちゃん2002年になっているよと言われる。
に来たか。
修正インクで消してボールペンで書いてようやく終えた。
明日には出そう。

テレビも正月3ヶ日を過ぎると面白い番組が減る。
貰った本を読み漁る。


まだまだある。
当分楽しめる。

9日に持って行く投稿の書類も印刷した。
これで今日の仕事は終わり。


そろそろ正月モードから脱皮しなくては。