も~さんブログ

日常の出来事や旅日記を書いています。

1月14日 久し振りの自遊旅

2020-01-14 18:30:54 | 日記
今日は自遊旅に行く。
何日も行かないと水道の凍結が気になる。
町は舗装路が出ていて快適に走れる。
着いて直ぐに元栓を開ける。
水が出た。
直ぐに洗濯をする。
薪ストーブにも火を入れる。

先ずはレンジの移動をする。
台所のコンロを移動して排気システムを設けたので、レンジを移動せざるを得なくなった。
移動先はキッチンテーブルにしたが、テーブルが狭くなった。
今回の改造の目玉が狭くて使いにくい。

そこで左側に新たにレンジ台を設けた。
全て廃材で間に合った。

ここにレンジを移動したので、キッチンテーブルは元のスペースを確保できた。

冷蔵庫は空っぽだ。
鮭の切り身とホッケが少し。
そう言えば正月の餅があった。
これにしようと中を開けたら切り餅が2枚入っていた。

何か不満だな。
底上げと同じやり方だ。

午後から執筆に必要な情報を集める。
箱館戦争の戦死者名簿一つとっても、資料によりまちまちでどれが正解かは分からない。
戦死者名簿を見て、意外と死傷者は少ないと感じる。
旧幕府軍は銃で3万5千発撃っていて、新政府軍に7、8人の戦死者を出したに過ぎない。
如何に当たっていないかが分かる。
これを多いと言うのか、少ないと言うのか。






1月13日 焔硝の倉、佐藤安之助の墓調査

2020-01-13 17:12:31 | 日記
昨日は早く寝すぎて、2時過ぎに目が覚めた。
youtubeで和裁の勉強をしていたら、そのまま朝になってしまった。
やはり寝不足気味である。
しかし家でぼんやり出来ない。
今執筆中の本に載せる場所の取材に行く。
まずは焔硝の倉。
ここは箱館戦争の旧幕府軍の弾薬庫だ

仙台額兵隊が築いたもので、この近くには方形台場である、四稜郭と五稜郭があった。
ここ10年くらいは焔硝の倉に行っていない。
藪や木々の枝が密集していて歩きにくいのだ。
でも今の季節なら歩き易いだろう。
箱館戦争に関する本で史跡巡りの本が五稜郭タワーの売店に有ったので覗いて見たら、説明文は有るのだが、写真の部分は白い四角で、辿り着けず撮影は出来なかったと書いてあった。
それほどの事も無いのだが、藪をやっていない人にとっては大変な事なのだろうか。
入口に有った家は廃屋になっていた。
土方隊も通った鶉山道は笹が延び放題だった。
最初の道はまあまあだった。


その内大きな木の倒木が沢山道を遮っていた。
跨いだりくぐったりして進む。
やがて道は無くなり沢を歩く。

しばらく沢を歩いたら左手に弾薬庫が出てきた。



下二股口台場の弾薬庫と全く同じ作りだ。
床には石が敷き詰められている。
湿気を防止するためであろう。
当時のミニエー銃は紙にくるまれて装薬と弾丸が入っていた。
湿気には弱いのだ。
下二股の戦いは雨になったので 
皆着ているものを脱いで覆い湿気対応をしていた。

調査を終えて、次は佐藤安之助の墓に行く。
新政府軍の戦死者の墓が一基だけある。
他の亡くなった人は江差の護国神社にある。
何故この人の墓だけがあるのだろう。
彼は津軽藩なのだが薩摩藩の夫卒として出仕していたのだ。
彼の墓は函館護国神社の薩摩藩の合同慰霊碑にも名がある。



写真を撮って戻る。



墓の前には新政府軍の仮埋葬地もある。

今日はこの程度にして実家に戻る。
家で焔硝の倉を纏めた。











1月12日 室内パークゴルフ場で練習

2020-01-12 17:53:18 | 日記
パークゴルフの仲間に誘われて室内練習場(ビニールハウス)に行く。
男性1名と女性2名で行っていたが、男が一人なので、少しつまらなかったようだ。特に夫婦が一緒であれば難しいようだ。
9時に迎えに来てくれた。
舗装路の出た国道5号線を峠下まで行き右折。
人気のラッキーピエロ峠下本店に隣接している。
受付するが3人は会員になっていた。
私は一般で700円になる。
早速スタート。
ここのコースは短いのでOBが出やすい。
パターも少し強くて入らないと直ぐにOBになってしまう。
結構ストレスの溜まるコースなのだ。
私以外の3人は毎週来ているのでコースは知り尽くしている。
私は1年ぶりでコースの癖は忘れてる。
1ラウンドを回ったが調子は今一つ。
2ラウンド目は大分良くなり、皆と互角になった。
夫婦は何時も言い合い。
旦那が良いスコアでホールアウトしても、悪スコアを言うものだから 
、旦那がそうでないと怒る。
それが何度もあるので言い合いになる。
やっぱり夫婦だな。

ラウンドの途中で七飯アルペンの荒木氏と合う。
6、7年振りだろうか。
昔同じスキーのレーシングチームで競った仲なのだ。
彼の娘さんはクロススキーのワールドカップの選手だった。
彼自信はスキー場で滑走中、ジャンプして来たスノーボードが脚部に落ちて、足が不自由になってしまった。
しばらく会っていないので懐かしかった。
「毛利さんお願いがあるんだけど」と言う。
聞いたら8mm映写機が壊れて動かなくなったそうだ。
見てくれないかと言うので後日伺う事にした。
車はキャンピングカーを持っていたが手放して軽四に変わったようだ。
昼食後3ラウンド目。
段々調子は良くなり、まあまあの成績で終わった。
久しぶりのパークゴルフで結構疲れたな。


1月10日 妻の通院送り迎え

2020-01-10 15:16:37 | 日記
今日も天気が良い。
雪も1cm位の積雪しか無く毎日舗装路の上を走っている。
スタッドレスタイヤの磨耗が気になるこの頃だ。
病院に送っていってから自遊旅に行く。
水道を数日止めておくと凍結してくる。
今日も少し凍結していた。
氷があると水道が断続的に出るので直ぐに分かる。
しばらく出しておけば氷は無くなってしまう。
毎日使っていれば問題は無いのだが。20日頃には自遊旅に戻りたい。

年賀状が2枚来た。
1枚は宛名間違い。
他の1枚は旅人から。
追加で2枚買って直ぐに出す。

後は特にすることもなくだらだらしてた。

昨日の函館の駅前活性化のテレビで、高校の同級生だった森君が出た。
高校時代の席は私の前で、森、毛利と並んでいた。
一度本州に就職したが、その後、戻ってきてお父さんの経営していた喫茶店をついで、現在に至っている。
その喫茶店の名前は「モーリ」と言う。






















1月9日 ぶんぽ研新年会

2020-01-09 16:23:02 | 日記
昨日の夜から今日の朝にかけて10~15cmの積雪予報だったが、雪も雨も降らなかった。
気温も最低0度で最高4度と3月並みの天気だ。
寒さは全然感じない。
一体どうなってるんだろう。

今日も妻の通院の送り迎え。
10時半には終わって、北斗市に向かう。
今日はぶんぽ研の新年会だ。
参加は11人と寂しい限りだ。
司会役のSさんが高齢化で、ぶんぽ研の先々はどうなるんだ、との心配する言葉があった。
例会が平日の午前中だから仕事のある人は来られない。
何年も前から言われているが、未だに若い人を受け入れる体制にはなっていない。
今日は骨折で長期入院している、前会長も1年ぶりに参加した。
現会長は参加予定だったが急遽入院して当初居なかったが、途中で病院を抜け出して参加した。
こんな具合なので何か精力的にやろうと言うような事は出来ない。
昼食が出た。

結構なボリュウムだった。
他にご飯が付いたが量も多かった。
皆さん余しぎみだ。
私は完食。まだまだ食べる力はある。
最後にビンゴゲーム。
これは運だから仕方がない。
参加賞だった。
次にクイズ。
これは良い。
最北の酒蔵である国稀の焼酎をゲットした。
創業者 本間泰蔵は、日本酒とともに酒粕を原料とした粕取り焼酎の製造にも力を注ぎました。(明治33年から昭和18年頃まで)
 当時「日の出」という名で売られた焼酎は、地元増毛はもとより宗谷・樺太地方にまで流通し、鰊場のヤン衆に広く親しまれました。
  永く途絶えていた國稀の焼酎が半世紀の時を越え、現代の嗜好にあわせ復活致しました。

会の途中に電話が来た。
家を解体したので柱を持って行くと言う。
まだまだ貰った木材はあるが、貰っておこう。
春になったら薪作りで忙しくなりそうだ。
日曜日のパークゴルフにも誘われた。
久し振りに行こう。

新年会が終わって天狗岳の様子を見に行く。
例年より雪は少ない。
天狗岳の説明看板は現在の天狗岳の麓にある。

しかし箱館戦争当時の天狗岳は今の天狗岳では、戦いの状況が合わない。
近くにある533mの三等三角点「湯ノ先」が当時の天狗岳なら、ぴったり状況が合うのだが、それを裏付ける物が必要だ。
今日病院に行った時、暇だから大野町の本を持っていた。
その本の中に明治18年に沢田雪渓が書いた絵が載っていた。
じっくり見ていたら、天狗岳の字が見える。
(中央上の尖った山)
下には写真も載っている。
間違いない。
533mの「湯ノ先」だ。
早速行ってみる。
国道は車を止めるスペースが無く、ダム入り口まで行く。



角度は違うが間違いない。
後は3個ある塹壕を探せば良い。
相当難しそうだが、挑戦しなくては。