2019年7月18日に起きた、京都アニメーション
放火事件。死亡者36名、負傷者34名を出した
戦後稀に見る凶悪な事件から、今日で丸3年が
経つが、今なお公判すら始まっていない。
京都アニメーションの火災のニュース
テレビをつけニュース番組にチャンネルを
合わせると、小麦色の建物からもくもくと
黒煙が立ちのぼる映像が流れていた。
2019年7月18日午前10時半過ぎ。京都府
京都市伏見区の住宅街に位置する
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』や
『涼宮ハルヒの憂鬱』など数々の人気
アニメ作品を世に送り出してきた、
京都アニメーションの第1スタジオ。
地上からの映像のあと、やがて中継は
空撮に切り替わった。
ブルーシートの隙間からストレッチャーで
運ばれる人々。消防隊は必死に消火活動
を続けているが、それを嘲笑わらうかの如く
炎と煙は衰えを見せない。
のちに判明するのだが、建物1階に侵入し、
バケツからガソリンを撒いて放火し、アニメ
クリエーターら36人の命を奪った加害者、
青葉真司(当時41歳)である。
男の両腕はヤケドで皮膚がめくれ、ジーパン
の右足部分からは小さな炎と煙が出ている。
火事の被害者に違いないとばかりにホースで
水をかける近隣住民。
男はこのとき、9割以上の皮膚が焼け瀕死
の状態だった。
「話しかけんな、ふざけんな!」
駆けつけた警察官や住民たちから心配の
声があがるなか、青葉は叫んだ。
やがて放火は青葉の仕業だとわかり、
警察官が身柄を確保すると「俺の作品を
パクりやがったんだ!」と怒りに声を震わせた。
青葉が何のために放火し、多くの命を奪った
のか、その動機は事件から3年が過ぎた現在も
裁判が始まっていないため、はっきりとは
していない。
ただし、京都アニメーションに対して強い
憎悪があったことは、奇跡的に生き延びた
彼が明確に話している。
「ガソリンを使えば多くの人を殺害できる
と思い、実行した」
単なる放火ではない。同社で働く社員たちに
殺意を抱いていたうえでの犯行と供述したのだ。
果たして盗作の事実などあったのか。
たったそれだけで悪逆非道の限りを尽くす
ものなのか。
ある種の違和感を抱かせたのは、事件直前、
騒音を巡って隣室の住人と衝突した際に
青葉が「黙れ! うるせえ、殺すぞ。こっち、
失うもんねえから!」と吐き捨てていたからだ。
この言葉。作品をパクられた以外に大きな挫折
があったに違いない。 事件に至る青葉の心情
を突き詰めようとする報道はなく、
被害者を実名で報じるべきか否かの議論が
過半を占める。
青葉真司とは何者か。何に支配され世間を
震撼させる大事件を起こしたのか。
埼玉県さいたま市緑区(旧・浦和市)に、
青葉が両親と兄、妹の5人で住んでいた
木造アパートはあった。
古びた外観に、錆びついた手すり。
近所には新築一戸建てもあるせいか、
どこか異様に見える。
生まれたばかりのおよそ40年前、
彼はここに住んでいた。
一家5人で暮らしていた、さいたま市緑区
のアパート
家族は青葉が小学校卒業の頃までこの
アパートで過ごし、その後、同じ緑区内の
アパートに引っ越した。
一家が暮らすには手狭な住まいである。
郵便受けには溢れんばかりの郵便物が
ねじ込まれていた。念のためインターホン
を鳴らしてみたが、応答はない。
周囲を取材して回っていると、まず青葉と
同級生の息子を持つ主婦に話を聞くこと
ができた。彼女は、青葉が小学生時代の
写真を見せてくれた。
「(大阪拘置所に収監される)ストレッチャーに
乗ってるときの、あのギラってした目。
あまりにもこの写真とかけ離れてる。だから
同一人物とは思えません。
この顔見ると、別の世界の出来事が起き
ちゃったみたいでね、いろんなことが起き
すぎちゃったね。
なんて人生なの……」
天真爛漫だった小学校低学年の頃の青葉
小学校の卒業文集。6年生の運動会の
100メートル競走で1位になったことを
誇らしげに記している
主婦は幼い頃の青葉をよく覚えていた。
「小学校のときは明るい元気な子。うちの
子供とも遊び仲間でした。
親として、最初の子供に友達ができるって
すごく嬉しいじゃないですか。
近所に遊ぶ子もいなかったから、 それで
すごく嬉しくて。ここの小学校は学区が
細長いんですよね。
うちは南のいちばん外れで、長男がまだ
友達があんまりできていなかったときで、
この端っこの学区まで見たことのない子が
遊びに来たので、すごく印象に残って
いたんです」
“そういう環境”とは主婦は続けて苦悩を語る。
「長い間にいろんなことがあったんだね。
事件を起こす前までは同情の余地があるけど、
あの事件を起こしたら、全く同情の余地は
ないよね。
そういう環境でも、あんな事件を起こさない人は
いっぱいいる。そうでしょ。そういうふうに生きて
きたんだよ、みんな。
どんな苦しいことがあったって。変な言い方
だけど、自分で死んでしまったほうが。
逆恨みみたいなことはしちゃいけないよね」
主婦が言う“そういう環境”とは青葉の複雑
な家庭環境である。
付近で暮らす、青葉の父親を知る元食料品
店経営者は言う。
「親父さんとは何回か会ったことあるけどよ、
普通の人だよ。別に印象も何もねえよ、
単に普通の人。
仕事はタクシーの運転手。
羽振りは良かったよ。
結構、稼いでたみたいで」
日を置いて、父親の地元・茨城県常総市
を取材すると、彼の奔放な性格が
見えてきた。
「あそこに父親の実家があったんだよ」
大きな田畑の中に建てられたアパートを
指差し教えてくれたのは、青葉家と縁戚に
あたる初老の男性だ。
「青葉の親父が家を出て、奥さんと6人の
子供はそこに暮らしていたんだけど、
なんか勝手に土地を売っちゃった
みたいでね。
急に立ち退きさせられてこの地からいなく
なりましたよ。それから見てないですね。
もう40年近く」
青葉の父親は青葉の実母と結婚する前、
前妻との間にできた6人の子供がいた。
農業を営む傍ら、幼稚園のバス運転手
もしていたらしいが、生活に困窮していた
ことは容易に想像できる。
不倫の末に駆け落ちした父と母
取材を進めるうち、青葉の実母は、
父親とは子供を通じて知り合った幼稚園
の教諭で、不倫の末に駆け落ちしたこと
がわかった。
2人はほどなく結婚し、やがて青葉を含めた
3人の子供が誕生。家族5人で件の古びた
アパートで暮らすようになる。
前妻との間に生まれた兄弟の1人にも
話を聞くことができた。
「事件が起きて、義理の弟が起こした事件
と言われても何もピンとこなかったです。
自分は父親の記憶もないし、父親が生き
ているのか死んでいるのかも知らない。
関係ないというのが感想です。
そうやってずっと生きてきましたから。
兄弟で父親の話をすることもないです」
母が女手一つで6人を育てるのは相当
に無理があったようで、養子に出された
兄弟もいたという。
果たして父親は、前妻や前妻の子に対し、
支援の類はもちろん、会いに行くことすら
なかったそうだ。
親が離婚、父親は人身事故を起こし大けが
青葉が、さいたま市緑区内の2軒目の
アパートで暮らしていたとき、両親は離婚。
実母と長男、青葉と父親と妹に分かれ、
それぞれ別々で暮らしはじめる。
やがて青葉は、さいたま市内の中学に入学。
当時まだ天真爛漫だった彼に変化が起きた
のは1991年のことだ。
「親父さんが事故やっちゃってから、
収入がなくなったんだよね」
近所で暮らす初老の男性が言うには、
タクシーの運転手をしていた父親が
勤務中に人身事故を起こし大けがを
負ったそうだ。
「事故が原因で会社をクビになって、
一時フラフラしていたみたいね。
私が印象に残っているのは、よく親子
喧嘩をしてましたよ。うちのほうまで
聞こえる大声で怒鳴り合うような」
収入が途絶え、生活は荒れた。
親子間での衝突も絶えない。こうした家庭
環境は青葉の学校生活にも影響を及ぼす。
中学では孤立、しかし定時制高校で平穏
な日々を取り戻し…
「別に挨拶をするわけでもないし、ただ
黙って暗かったよ。暗かった」
「明るいことはないね。いつも下向いてね。
そうかといって遊びに出るわけじゃないし、
友達だっていなかったんじゃないかな」
中学の同級生たちから語られたのは、
学校での孤立である。青葉の心はこの
頃から殺伐としていく。
ところが、中学を卒業して埼玉県内の定時制
高校に通いはじめると、埼玉県庁での文書
集配アルバイト仲間の、同じ高校の同級生
2人と仲良くするなど、一見、平穏な日々を
取り戻す。
職場の上司は 「とても真面目な好青年で、
トラブルは全然なかったですし、職場でも
仲良く働いていました。
その仕事ぶりとかを見ている限りでは、
素直ないい大人になっていくのでは
ないかなと」
“真面目な好青年”になった青葉が、
上司の見立てどおりの人生を歩んでいれば
問題はなかったのかもしれないが……。
author:YouTubeチャンネル「日影のこえ」
社説「クレージーな夢」を叶える意味
子どもの頃は『夢』に満ちあふれていた。
もともと夢見勝ちな子どもだったのだが、
宇宙飛行士にもジャイアンツの選手にも
なれると信じていた。
それから半世紀が経ち何者でもない平凡な
大人になったのだが、平凡な大人になる難しさ
があるのでそれはそれで我ながら頑張っている
なと思う。
「人は誰しも夢を持っている」という書き出し
で始まる社説には、夢には色々な種類がある
として盲目のヨットマン岩本光弘さんのことが
紹介されている。
13才で視力が衰え始めて16際の時に完全
に視力を失った岩本さんは、叔父の言葉に
救われ、盲学校で出会ったアマチュア無線
がきっかけでアメリカに留学した。
その後、35才の時に奥さまから誘われて
乗ったヨットに魅せられて、ブラインドセー
リングの世界大会に出場するほどになる。
そして岩本さんは、ヨットで太平洋を横断
したいという夢を描き始める。
そして、キャスターの辛坊治郎さんとの
太平洋横断チャレンジや、チャレンジ
失敗後の数々の試練、
再チャレンジして成功するまでのことが
書かれている。とても興味深く読ませて
いただいた。
この社説は、「クレージーな夢を叶える者が
社会や時代を変えてきた」と結ばれるのだが、
なるほどそのとおりだなと、感じ入った社説
だった。
クレージーな人を支える人も必要だ
社説で書かれているとおり、クレイジーな
夢を持った人が世の中を変えていくと
いうのはそのとおりだろう。
そのすべてが世の中を変えるとは思わ
ないが、そのすべてが大なり小なり世の中
を揺るがし変化を与えていることは容易
に想像がつく。
また、そのクレイジーな夢にチャレンジして
いることを知り、新たなクレイジーな夢を
叶えたいと思う人も出てくるのではない
だろうか。
「夢を実現しようと取り組み始めた時、
『夢』は『目標』に変わる」
夢にチャレンジするというのは素晴らしい
ことだし、その多少にかかわらず意味の
あることだと思う。
一方で、夢を叶える人、夢を叶えるため
にチャレンジしている人には必ず支えて
くれる人がいる。
それは身内であったり友達であったり、
時には見ず知らずの他人であったり
するのだろうが、大なり小なり誰かに
支えてもらわないと実現できないだろう。
一方で誰かの夢を叶える助けにもなりたい。
自分ができる範囲でできることをやらせて
もらうということだ。
それも誰かのために集中的に行うのではなく、
できる範囲のことをできるだけ多くの人に
対してやっていきたい。
椅子の組み立てに例えるなら、
椅子全部を組み立てるのではなく、
背もたれ部分のネジを止めるだけ
というような、…
決して感謝されることもなく、それでいて
役に立っているというようなさりげない
感じが良い。
いまの自分にはそういう立ち位置なら
できるし、そういうことをこれからは
やっていきたいなと思わせてくれる
記事だった。…
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