ネットでは、中国や韓国の女たちのエキセントリックな言動を取り上げている記事を結構見かける。これまで私が見た限り、その多くは悪口や嘲笑、揶揄目的であり、弁護するのは少数だった。この種の記事が受けるのも、日本のメディアが隣国の女たちの不都合な情報を伝えないからである。
虚偽なら論外だが、その類の書込みは全く問題ない。中韓のサイトでも日本女性への誹謗中傷が溢れており、隣国の女どもの異常性や奇矯さを知らしめるのは結構なことだ。
しかし、何事にも上には上があり、エキセントリックという点では中東の女たちの方が、ひょっとすると中韓よりも上回っているのではないか?中東関連の書物を読むほど、そう思えてくる。そこでイラン、イラク、トルコのケースを挙げてみたい。
反米を国是としているイランだが、イラン・イスラム革命前までは中東一の親米国として知られていた。トランプのイスラム圏7カ国からの入国禁止という大統領令とその影響は先週からトップニュース扱いであり、紙面を飾るのは入国拒否された人々の嘆き。彼等の中で特にイラン人の声が多かったのが印象的だった。
確かにイランでのマイノリティは人権など全く考慮されず、たとえムスリムでも、宗教指導者から不信仰者呼ばわりされれば、身体生命の保障は無きに等しい。『バハイ教』(P.R.ハーツ著、青土社)には、バハーイー教徒への苛烈な迫害が載っている。
特に19世紀半ば、ガージャール朝時代下でのバーブ教(バハーイー教の前身)信者への迫害は凄まじい。いかに金曜礼拝で聖職者が、「バーブ教徒を殺した者は、善行が増す」と煽動したにせよ、全土で約4万人の信者が犠牲になったと云う説もある。さらに迫害や虐殺に加担したのは男だけではなかった。
幹部信者の若者が町で捕らわれた時、彼は鎖に繋がれ町中を引き回される。その後を全住民が付いて回り非難の声を浴びせるが、群衆は怒号や罵倒、唾棄しただけでは済まなかった。身体への暴力も公然と行われ、包丁や斧で攻め立てた女たちもいたという。若者の身体は刺し貫かれ、切り刻まれ、最後は火に投じられる。日本のキリシタン迫害で、果たして包丁や斧で攻め立てた女たちがいただろうか?
ガージャール朝イランは内憂外患で混迷を極めていたため、迫害が全土で広く行われたと研究者は見ている。19世紀は欧米諸国でも人権は確率されているとは言い難い時代だったし、ましてイランにおいては。
但し、バハーイー教に対する迫害は20世紀にも行なわれている。イラン革命時、モナ・マフムードニジャードという若いバハーイー教徒女性は、拷問を受けても棄教しなかったため、他の9人の信者女性とともに死刑宣告を受け、絞首刑にされた。
イラクの7月14日革命(1958年)で君主制は崩壊、王族は殺害された。国王の叔父でもある摂政アブドゥル=イラーフも射殺されるが、その後の死体損壊は言葉を失う。裸にされた遺体はトラックに括り付けられ、広場に引きずられた。広場でアブドゥル=イラーフは街灯の柱に吊るされるが、先ず死体を傷付けたのはナイフを手にした若い女だったそうだ。
女は死体の手を切りつけ、切り裂いたその手にナイフを突き刺してから、勝ち誇ったように群衆に手を振る。その後は男たちが次々と死体を切り刻む。wikiにはさらし者にされたアブドゥル=イラーフの遺体の画像が載っており、顔を潰され手足をもがれた状態で写っている。
この女にどれだけ王族への遺恨があったのかは不明だが、イラクの女はここまでやるのか……と絶句されられた。しかも、この出来事は20世紀半ば、7世紀のムハンマドの時代ではない。これをもって、「日本の戦国時代でもマシじゃないかと思うレベルです」というコメントを頂いた。
池内恵氏はイラク近代史では、「イラク政治の変動局面において、陰惨な暴力で社会を恐慌状態に陥れ人心を制圧しようとする「テロの政治」は、周期的に生じてきた」と述べている。陰惨な暴力が繰り返される社会なら、女子供もその影響から逃れられない。もしかすると先の女は、担がれただけだったことも考えられるが、拒めば自身に禍が降りかかるのは想像に難くない。
その②に続く
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