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このお話は、
『夏だけの恋じゃない』
『夏だけの恋じゃない』2
『夏だけの恋じゃない』3
『夏だけの恋じゃない』4
の続編です。
『せめて大学に入るまでは、将来に何も約束のない交際じゃ駄目かしら』
そう言った母は、これ以上ないくらい哀しそうな顔をしていた。鏑木泉は今にも泣き出しそうな母の表情を見ていることしかできなかった。
そこは両親が若かりし頃、デートしたというジャズ喫茶。バックに流れる曲が耳に心地よかった。
「良い曲ね〜」
そう言った後に、承知することを伝えた。すると返事は曲に対するものだった。
「これはカーニバルの朝ね。黒いオルフェのサントラなんてあったかしら」
「黒いオルフェ?」
「映画で、元はギリシャ神話ね」
あ。オルフェウス。
そんな話の隙間を縫って、泉は約束をした。将来がない付き合い、普通なら猛反対されそうな言葉だった。でも今は、母の気持ちを和らげてくれるのだろう。
好きな人は三十五歳の子持ち、白城修和。その息子はまだ三歳の光流だ。別れろと言われないだけ良いのかな。
少しだけ風の匂いが変わったと感じる季節になった。見慣れた線路沿いにススキが一斉に開き始め、間もなく恒例の秋の七草の話を祖母がする。
学校も始まり、白城とも余り逢えなくなった。月に一度の約束も今月は行けない。テスト前になってしまうから。
こうなると交際そのものを反対された方が勢いに任せて突っ走っていけたかも。物分りのいい大人ってずるいな。
街まで出て歩いていると見知った後姿を見つけた。バイトが同じ人。一緒にいる女性が、あの年上の彼女だろうか。
つい後をつけてしまった。否、つけたわけじゃない。もともと映画でも観に行こうと思って出てきたのだから同じ方向を歩いている。そして何と目指す同じ建物に入った。
何をやっているんだか。
泉は観ようと思っていた映画のチケットを買い中に入った――。
約二時間。思っていたより面白かったなと思いつつ歩いていたら、二人に会ってしまった。
「泉ちゃんじゃないか」
「こんにちは」
バイト仲間の穂積遼一に挨拶を返し、女性には会釈をした。彼は泉のことを簡単に話している。
「じゃ、一緒にご飯食べましょう」
その人はとても六歳も上には見えない。そして大人の恋人同士ってかっこいいって思った。
「お話、聞いてほしいことがあるんです。いいですか」
「いいよ。でもまずご飯ね」
二人と一緒に行ったのはパルコのレストラン街だった。嫌いなものがあるかと言われたのでないと答えると、空いているからという理由から洋麺屋五右衛門に入る。和風スパでお箸で食べるお店だ。通されたのは一番奥の、人があまり行き来しない場所で、話をするにはいいテーブルだった。
彼女は村崎和音と名乗り、何でも聞くよと言ってくれた。
泉はここ暫くの出来事を話すことにした。
話を遮ることもなく、頷くでもなく、否定するでもない。ただ聞いてくれる。この人はどうしてこんなに人の話を聞いていられるんだろう。普通なら、もっと何ていうか、自分の話が始まりそう。
でも現在進行形の恋の話に結論はない。
「これで終わりです」
何とも間の抜けた終わり方だった。先に口を開いたのは穂積だった。
「俺、子供好きじゃないからまず手懐けるな」
「こら。そういうこと、言わないの」
ちょっと驚いた。あの穂積が叱られている。
「泉ちゃん。難しく考えなくていいと思うよ」
彼女はそう言った。
「好きって気持ちが一番大事で、家庭環境や学業や相手の事情、全部、後回しでいいと私は思う」
彼女の言葉に目から鱗の思いがした。
「相手の年の差だって、お子さんの年齢だって関係ないと思う。普通に人間対人間でしょ」
そして彼女は言ったのだ。どんなことを言っても、それは自分が考えて決めたのだから責任は自分にあると。後悔しないことが一番だと。
「私はもう五十を過ぎてるけれど、六歳下の人と付き合うのは勇気が必要だった。ただ後悔したくないと思ったから一緒にいることを選んだ」
「結婚はしないんですか」
「親のね、介護をしているの。だから今はしたくない」
そう言う彼女の背に、穂積が手を回しているのが見えた。もしかしたら、この話は聞いてはいけないことだったのかもしれない。それでも彼女は答えてくれた。
そして三人で食事を続けた。
「あの、また連絡したいんですが。あの……」
「いいよ。携帯の番号とメアドでいいかな」
思わず泣きそうになってしまって、必死に頷くだけしかできなかった――。
彼女の言葉は簡潔で、心に響いた。
誰にも振り回されてなんかいない。自分が勝手に良い子でいたいと思っただけだ。
その足で白城の家へ向かった。約束の日ではなかったが、土曜日なのでいるはずだ。
「お話があります」
余計な話は要らない。
「光流君に」
えっという口の形で修和が固まっている。いつものように上がるとまず仏間に行く。光流が気づき、近寄ってくる。こんばんはと声をかけると、光流もこんばんはと返してくる。
「光流君。お話があるの」
「なあに」
少し甘えたような問いかけだ。
「私、光流君の家族になれるかな」
少し難しいかもしれないと思う。でも他に浮かばなかった。自分が望む一番なこと。修和と家族になりたい、それは譲れない。なら光流にもそれを聞く。
「家族って、僕のおねえちゃんになるの?」
さあ、きた。ここが正念場だ。
「違うよ。お父さんのお嫁さんになりたいの」
後ろで、修和の狼狽えたような声がする。でも今はあえて無視する。
「お嫁さんってママのこと?」
「う~ん。ちょっと違う。光流君のママにはなれない。ただママの代わりに一緒にいたいかな」
見つめ合ったまま、時が流れた。
この子はまだ三歳で、きっと判断する経験は少なすぎる。それでも今、この子は自分の全てを使って泉のことを考えている。それだけでいい。
「ママはここにいるよ」
いつもの光流の言葉だった。
「うん。そうだね」
修和がやってきた。
「光流。泉おねえちゃんがここに一緒に住んで、光流の新しいママになったら嬉しいか」
光流が修和のひざに乗る。
「こうへい君のおとうさんは、あたらしいんだって。前のおとうさんは遠くに行っちゃって、今のおとうさんをおとうさんって呼ぶんだって。おねえちゃんもあたらしいおねえちゃんになるの」
思わず笑って、修和と目が合ってしまった。
公平君とは同じ保育園に通う男の子だ。たぶん再婚するのだろう。光流なりに考えたんだね。
「光流君には理解できないね。それが分かった」
泉は修和に向き直った。
「ありがとうございました。私、帰ります」
その言葉を最後に、三年の月日が流れた。
高三になったら受験勉強の為、バイトは辞めた。穂積と村崎とは時々食事をすることもあるが、ふたりは相変わらず仲良しだ。二人と一緒にいると、時間があっという間に過ぎる。そういう時間を修和とも過ごしたいと思った。
彼からの連絡もメールが殆んどだったから、その数も少しずつ減っていき、メールが減ると電話をすることも減っていった。
父が勤めている学習塾に通い、浪人することもなく大学に合格し、あっという間に二年生になった。
面白いもので父はあれからずっと光流と会っている。男の約束なのだそうだ。
彼は来年、小学校入学だ。決心が鈍るといけないから、と父が撮ってきた写真は見ていない。気持ちに無理矢理フタはしない。気持ちは自分の思い通りにはならないものだから、いつか忘れられたら終わり。でも忘れることができなかったら、どうしよう……。
「泉。明日、白城さんのお宅へ行くよ」
「それは、ちょっと」
突然の父の言葉に、もうずっと会っていないとは言い難い。
「もう充分だよ」
お母さんも納得してる。
そして白城さんが待っている、という言葉を聞いたら涙があふれてきて止まらなくなってしまった――。
【了】 著 作:紫 草
by 狼皮のスイーツマンさん
ニコッとタウン内サークル「自作小説倶楽部」2019年9月小題:ススキ
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