カテゴリー;Novel
師走の慌ただしさのなか、その電話はかかってきた。
最早、恒例といってもいい母からのものだ。家を出たのが高校卒業と同時だから、これで十回を数える。そう思うと感慨深いものがある。しかしそれは決して楽しい思い出などではなく、過去への扉を開けてしまう辛い出来事に違いなかった。
母とはいっても疎遠な親戚のようなものだ。ぎこちない時候の挨拶をされると、何と答えていいのか分からなくなってしまう。結局は年末年始の予定を聞くことだけが目的で、無理して帰ってこなくてもいいと添えられる。あくまで娘の用事を優先させてくれるような言い方だが、実はそうじゃない。帰ってくるな、と言えないだけの方便だ。
何故なら、母にとって南條花音は愛する夫を奪った憎い仇だ。その後母は、花音が小学二年の時に父の弟である叔父と再婚した。やがて弟妹ができると明らかに区別され育てられた。
中学の頃から母と話をすることはなくなった。反抗することもなく、ただ互いに無視し合う間柄は思春期の女の子には苛酷な生活だった。
そんなふうだから初潮を迎えた時、母には言えなかった。自分でドラッグストアに行き、説明書きを読んで必要なものを揃えた。妹の時はケーキを買ってお祝いをした。花音には言葉をかけることもない。
春、和紗と出逢った墓参に今年も出かけ、そこで母たちと会った。家を出て以来、初めての遭遇だった。
母は和紗という存在を知ると、早く結婚したらいいと言う。叔父は黙ったままだ。弟は来ておらず、妹は高校生になっていた。彼女は母ではなく叔父に似たようだ。可愛いというより、健康的な女の子に見える。彼女も何も言うことなく花音に背を向けた。
和紗は一緒に食事でもどうか、と誘ってくれた。普通はそういう感覚だろう。しかし私たちに共有したい時間はない。
「お忙しいでしょうから、お構いなく」
母が和紗の言葉を奪い、会釈と共に去った。
何の説明もしなかった。
全員、血のつながりがある家族なのに、花音だけは分厚い壁に阻まれている。どんな顔をしていたのだろう。無言で見送った花音の背を、ぽんぽんと叩く和紗がいた。
あれから彼は何も言わなくなった。腕を失った女は、家族も失ったことを知った瞬間だったろう――。
電話の最後はいつも決まっていた。花音は丈夫で助かる。要は、何かあっても行かないということだろう。
しかし今年は違った。彼氏と別れては駄目だと。あんな素敵な彼を手離したら、もう誰もつきあってなどくれないと言う。そこには隻腕のハンデを暗に突きつけられていた。そして結婚を決めても挨拶は必要ない、と告げられ電話は切れた。
情けなくて誰にも言えない。
こんな女が母親なのかと思う。でもこういう人間にしてしまったのは自分なのだと自身を責める。幸せになることは許されないのだと再認識する暮れの挨拶である――。
和紗は優しい。
花音の心の闇を知って尚、離れることはなかった。兄弟を亡くしている彼は、同じく父を亡くした花音の気持ちも分かってくれる。ただ、それだけじゃない。
心の奥底で、人なんて全員いなくなればいいと思っている。否、違う。自分自身が消えてしまえばいいのだと分かってる……。
植えつけられた被害者遺族の憎しみの感情。父を亡くしていても、花音は加害者だ。
いつしか母は花音を殺人者として扱うようになっていた。
優等生でいることが唯一生きる術だった。少しでも我が儘ととれるような行いをしたら無視される。息を潜め小さくなって暮らす子どもに天真爛漫という言葉は存在せず、花音は孤独のなかで育ったのだった――。
「今度の正月休み、俺んち行こうか」
独りの世界に浸っていたら、和紗の言葉を聞き損ねた。
「え?!」
「お正月の話」
ん? 予定ができたのだろうか。
「あ。出かけるならいいよ。私、ここにいるから」
そう言ったら、和紗が聞いてなかったなと笑う。
「正月に俺んちに行かないか、と誘ったんだよ」
え!? そうだったの?
「ごめんなさい。えっとえっと、でも私が行ったら迷惑になると思うから、やっぱり遠慮しておく」
お正月って特別よ。私みたいな隻腕の女がいたら、みんな気を使ってしまう。
でも和紗はそんな理由を許してはくれない。そして、後から思えばこの決心が花音の人生の転機となるのであった――。
一言でいうと、和紗は花音を宣伝しまくっていた。
御両親も妹さんも、花音を歓迎してくれた。何より自然にしていられた。
何を着ていこうかと思ったものの、悩むほどの服がない。結局、仕事で着ている濃紺のスーツを選ぶしかない。だからといって新しく買うというのも変な話だと思ってやめた。
妹さんは振袖を着ていて、三枝家という所は凄く華やかな第一印象になった。新年の挨拶を玄関で済まし、部屋に上がる。広いリビングにキッチンは隣接し、食卓にはお節料理が入っているであろうお重が置いてある。
そこにはTVドラマで見るような団欒が在った。和紗はこんなお家で育ったんだと思ったら、目頭が熱くなってきてしまう。
そして、この日から花音は度々三枝家を訪れるようになり、気づけばプロポーズもされていないのに結婚するという雰囲気になっていった。
いつ、切り出そう。
家族との確執は隠し通せる筈もない。和紗は呑気に言ってくれるけれど、そんなに簡単じゃないと思う。
隻腕を受け入れてくれる家族でも、殺人者となれば話は違う。結局、ご両親に、
「花音さんの親御さんに会いたい」
という当たり前の言葉を聞いてしまって、初めて腕を失くした時のことを話すことになった――。
当然のことながら、その後、彼の実家からの連絡は途絶えた。それまで送られてきていたメールもなくなった。妹さんだけは偶に連絡してきてくれて、三人で食事にいこうと誘ってくれる。ご両親から聞いていることもあると思うのに、彼女は全く変わらず接してくれた。
同棲を解消するように言われないだけマシだろうか。別れを告げられたら、どうしたらいいだろう。
和紗は何か言われていると思うが、花音には何も言わないし、怖くて聞くこともできない。
やがて瞬く間に一年が過ぎた。
それまで年末にしかない母からの電話がかかってきた。驚きの余り、断る理由を考える前に空いていると答えてしまった。
約束の日。街は枯れ葉が道を覆った。花音は気まずさを通り越し、如何にキャンセルするかしか考えていなかった――。
To be continued. 著 作:紫 草
HP孤悲物語り 色香8 男Ⅰ