俳句誌「麦」2016年2月号に掲載した文章です。
小麦句会は続く 中山宙虫
あれから十五年がたった。
一九九九年。僕が俳句を始めるきっかけとなった年である。それまでは俳句は僕の世界に入り込む余地のないものだった。近くに俳句をやっているものもいなかったし、新聞の俳句欄も目にすることもなかった。それが五七五と季語というふたつの基礎知識だけで投句した職場の俳句大会で一等賞になったことがきっかけで俳句の世界をのぞくことになったのだ。
もともと俳句をやっているわけではなかったので、句会も結社の存在なども全く知らなかった。突然、足を踏み入れた俳句の世界は僕にとって驚愕の世界。公民館の稽古ごとのひとつという認識では理解しがたいものだった。
そもそも俳句について知識を得ようとするといまひとつ理解しがたい世界が多い。自分が俳句を作っているのに他人の俳句を理解できなかったりもする。
右も左もわからずになんとか俳句作りを始めた僕だったが、先生と一対一での指導という形で続けていくことになる。地方にいると句会の情報もはいってこない。あったとしても平日の昼間だったりして、仕事を持つ身には参加するのは難しいものだった。
ちょうどその頃、我が家にもインターネットがつながった。俳句を検索すると様々な情報が手に入る。ところが、この情報は簡単には整理のつかない混とんとしたものだということに気づくのにそう時間はいらなかった。俳句の基本から実作まで、初心者もベテランも皆同じ立ち位置でパソコンの画面に登場してくる。当時から炎上する掲示板などもよく見かけた。小さな諍いが、いろいろな人を巻き込んで一気に大きくなってしまい、収拾がつかないことになってしまうのだ。見も知らずの人間同士のこういうトラブルがネットの世界で頻繁に起きている。実際、この問題は俳句の世界だけではないし、携帯・スマホと誰でも簡単に繋がれる時代の到来で、子供たちの世界でもいじめや犯罪の温床になっている現実がある。
しかし自分以外の俳句愛好者たちと接することは大きなメリットだった。暗い問題を抱えながらも、いろいろな人たちと接することができることは大きな魅力であり、ネットでなくても実社会でもいざこざはたくさん抱えている。参加する句会などを持たないものにとっては手軽に時間を気にせずにコミュニケーションをとれる便利なものなのだ。さらに携帯電話でネットがつながるようになり、片手にネットの世界が収まる時代がやってきて、どこでもいつでもネットで俳句の世界へ入っていけることになった。それまで参加する句会が見つからずにいた自分にとって、これは驚きの世界だったし、重要なアイテムのひとつとなっていったのである。
こうしたインターネットの世界は、それまでの紙媒体の俳句の世界とは別格のスピードで俳句を世に送り出していく。毎月投句用紙に書き込んで編集部へ送り、二ケ月以上かかって雑誌に掲載されるという時間の流れは一気に短縮された。短縮されたというよりそういう時間がなくなったというのが正しい。自分でネット上に書き込めばその時点から誰かの目にとまる。句会にしても、決まった日時に交通機関を使って集合する時間の短縮ができるわけで、極端に言えば俳句を打ち込む時間さえ確保できれば句会に参加できる。
もちろん、この便利さにはもろい点もたくさんあって、紙媒体をすべて超えているとはいえない。ほとんどが横書きであったり、俳句の作者も選者もネット上の人で、ある日忽然と姿が消えたりする。回線ひとつ切ればすべてが消えてしまう危うさも持っている。
ネットのなかで様々な付き合いも生まれたし、顔も見ないまま消えていった「友人」もいた。それでも、ネットは自分を助けてくれるアイテムのひとつだと思いながら今日を迎えている。
「麦の会」のネット仲間と自然発生的に始めた「小麦句会」は二〇一五年一一月現在開催数三二三回を数えている。月二回の開催なので単純に計算しても一四年近く続いていることになる。自分が俳句を始めて二年足らずでこの句会が動き出したことになる。当時は自分にとっての句会はネットのなかのものでしかなかった。毎月十名前後の句会参加者だったように記憶する。スタート当時のメンバーも随分入れ替わり、現在も投句を続けている当時のメンバーは三名ほどではなかろうか。
句会スタートは、単なるノリだけで、これほど長続きするものと誰も想像していなかった(と言っても当時からの参加者は限られているが。)。毎月二度ほど投句を掲示板で呼びかけ、句会をする。この繰り返しである。少しずつ参加者が増えていき、投句者も二〇名を超えるようになっていった。当時は、ほかにもネット句会があることはあったが、どこも試行錯誤しながらのもので、立ち上がっては消えていくものも多かった時代だった。
わずかな歳月だが、急速に広がっていくインターネットの世界で「小麦句会」にも一時参加者の激減などのピンチが何度か訪れた。そこを乗り越えて「小麦句会」の現在がある。
そんな「小麦句会」は、ここのところ理由はわからないが参加者が増え始めている。実際のところ、二〇名を超えると投句や選句の整理に手間取ることになってしまうが、今後もいままでと変わらずに単純作業を繰り返していくことになりそうである。
結局、この「小麦句会」は、句会の場の提供というスタイルを崩すことなく続けている。自分自身がネットを使いこなすことができているとは決していえないが、句会に参加できない愛好者や初心者がふらりと立ち寄って一句置いていってくれるだけでも小さなこの句会が存在している価値があるのかもしれないと思うこの頃である。
※この句会は俳句誌「麦」の句会のひとつです。
句会に投稿された皆さんの句を一句ずつ「麦」の「句会報」に掲載させていただいています。
ご了承ください。
小麦句会は続く 中山宙虫
あれから十五年がたった。
一九九九年。僕が俳句を始めるきっかけとなった年である。それまでは俳句は僕の世界に入り込む余地のないものだった。近くに俳句をやっているものもいなかったし、新聞の俳句欄も目にすることもなかった。それが五七五と季語というふたつの基礎知識だけで投句した職場の俳句大会で一等賞になったことがきっかけで俳句の世界をのぞくことになったのだ。
もともと俳句をやっているわけではなかったので、句会も結社の存在なども全く知らなかった。突然、足を踏み入れた俳句の世界は僕にとって驚愕の世界。公民館の稽古ごとのひとつという認識では理解しがたいものだった。
そもそも俳句について知識を得ようとするといまひとつ理解しがたい世界が多い。自分が俳句を作っているのに他人の俳句を理解できなかったりもする。
右も左もわからずになんとか俳句作りを始めた僕だったが、先生と一対一での指導という形で続けていくことになる。地方にいると句会の情報もはいってこない。あったとしても平日の昼間だったりして、仕事を持つ身には参加するのは難しいものだった。
ちょうどその頃、我が家にもインターネットがつながった。俳句を検索すると様々な情報が手に入る。ところが、この情報は簡単には整理のつかない混とんとしたものだということに気づくのにそう時間はいらなかった。俳句の基本から実作まで、初心者もベテランも皆同じ立ち位置でパソコンの画面に登場してくる。当時から炎上する掲示板などもよく見かけた。小さな諍いが、いろいろな人を巻き込んで一気に大きくなってしまい、収拾がつかないことになってしまうのだ。見も知らずの人間同士のこういうトラブルがネットの世界で頻繁に起きている。実際、この問題は俳句の世界だけではないし、携帯・スマホと誰でも簡単に繋がれる時代の到来で、子供たちの世界でもいじめや犯罪の温床になっている現実がある。
しかし自分以外の俳句愛好者たちと接することは大きなメリットだった。暗い問題を抱えながらも、いろいろな人たちと接することができることは大きな魅力であり、ネットでなくても実社会でもいざこざはたくさん抱えている。参加する句会などを持たないものにとっては手軽に時間を気にせずにコミュニケーションをとれる便利なものなのだ。さらに携帯電話でネットがつながるようになり、片手にネットの世界が収まる時代がやってきて、どこでもいつでもネットで俳句の世界へ入っていけることになった。それまで参加する句会が見つからずにいた自分にとって、これは驚きの世界だったし、重要なアイテムのひとつとなっていったのである。
こうしたインターネットの世界は、それまでの紙媒体の俳句の世界とは別格のスピードで俳句を世に送り出していく。毎月投句用紙に書き込んで編集部へ送り、二ケ月以上かかって雑誌に掲載されるという時間の流れは一気に短縮された。短縮されたというよりそういう時間がなくなったというのが正しい。自分でネット上に書き込めばその時点から誰かの目にとまる。句会にしても、決まった日時に交通機関を使って集合する時間の短縮ができるわけで、極端に言えば俳句を打ち込む時間さえ確保できれば句会に参加できる。
もちろん、この便利さにはもろい点もたくさんあって、紙媒体をすべて超えているとはいえない。ほとんどが横書きであったり、俳句の作者も選者もネット上の人で、ある日忽然と姿が消えたりする。回線ひとつ切ればすべてが消えてしまう危うさも持っている。
ネットのなかで様々な付き合いも生まれたし、顔も見ないまま消えていった「友人」もいた。それでも、ネットは自分を助けてくれるアイテムのひとつだと思いながら今日を迎えている。
「麦の会」のネット仲間と自然発生的に始めた「小麦句会」は二〇一五年一一月現在開催数三二三回を数えている。月二回の開催なので単純に計算しても一四年近く続いていることになる。自分が俳句を始めて二年足らずでこの句会が動き出したことになる。当時は自分にとっての句会はネットのなかのものでしかなかった。毎月十名前後の句会参加者だったように記憶する。スタート当時のメンバーも随分入れ替わり、現在も投句を続けている当時のメンバーは三名ほどではなかろうか。
句会スタートは、単なるノリだけで、これほど長続きするものと誰も想像していなかった(と言っても当時からの参加者は限られているが。)。毎月二度ほど投句を掲示板で呼びかけ、句会をする。この繰り返しである。少しずつ参加者が増えていき、投句者も二〇名を超えるようになっていった。当時は、ほかにもネット句会があることはあったが、どこも試行錯誤しながらのもので、立ち上がっては消えていくものも多かった時代だった。
わずかな歳月だが、急速に広がっていくインターネットの世界で「小麦句会」にも一時参加者の激減などのピンチが何度か訪れた。そこを乗り越えて「小麦句会」の現在がある。
そんな「小麦句会」は、ここのところ理由はわからないが参加者が増え始めている。実際のところ、二〇名を超えると投句や選句の整理に手間取ることになってしまうが、今後もいままでと変わらずに単純作業を繰り返していくことになりそうである。
結局、この「小麦句会」は、句会の場の提供というスタイルを崩すことなく続けている。自分自身がネットを使いこなすことができているとは決していえないが、句会に参加できない愛好者や初心者がふらりと立ち寄って一句置いていってくれるだけでも小さなこの句会が存在している価値があるのかもしれないと思うこの頃である。
※この句会は俳句誌「麦」の句会のひとつです。
句会に投稿された皆さんの句を一句ずつ「麦」の「句会報」に掲載させていただいています。
ご了承ください。
① 自分が俳句を作っているのに他人の俳句を理解できなかった。
② 初心者もベテランも皆同じ立ち位置でパソコンの画面に登場。
③ 炎上する掲示板などもよく見かけた。作者も選者もある日忽然と姿が消えたりする。
④ ネットは自分を助けてくれるアイテム
の4点でした。
私の俳句会でも入れ替わりが激しいのですが、よく見ていると初心者は初心者同士で「点の取り合い」をしている。上級者は常に【広い解釈の句作り】に心がけているが、そこのところが初心者には分からない。だからチューリップが咲いた、薔薇が咲いた、雲雀の声、鶯が鳴くと句を作る。梅の枝が髪に「そっと触れた」・・そう表現をしている句にしか共鳴できないのですね。
小麦句会には沢山の方々が出入りして、賑やかで羨ましいですが、ここには大きな【垣根】が無いから賑わっているのです。 グー ですね。
ともかく忙しいもんだっす。 慶弔や祭り、区の会議、小学校(2校)行事への参加、交通安全立哨、防犯の夜間パトロール、運動会、区民展、敬老会、慰霊祭、防災訓練、町内のごたごた処理、盆踊り、町内ソフトボール大会、ゲートボール大会、ボーリング大会・・・・・・ それらに関係する相次ぐ会議 次から次へと【町内会長が出席】というケースが多い。区の会議だけで13回もあり、365日のうち、約半分が町内会長の仕事に追われる! 俳句どころじゃないよ~~ これじゃ定例の、自分ところの俳句会はビリが定位置になっちゃいそうだ。 体が幾つあっても追いつかない状態なので任期中は小麦さんのほうも屡々お休みするかも知れませんので 宜しく!