YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

スケベなフレッド~心残りでオーストラリアを去る

2022-04-22 16:09:30 | 「YOSHIの果てしない旅」 第12章 船旅
・昭和44年6月21日(土)晴れ(スケベなフレッド)
 一昨日夜から昨日、船はかなりローリングしたので気持が悪かった。お陰で昨日の昼食は、喉を通らなかった。
 チルワ149号は、今日の朝方の早い時間にブリスベンに入港した。昨日知り合ったFread Kelly(私は「フレッド」と呼んでいた)と共に朝食後、バスでブリスベンの街へ出掛けた。
 ブリスベンは、クィーンズランド州の州都。ここはシドニーよりとても温かく(少し暑いぐらい)、通りに椰子の木の繁るのが見られ、南国の風情を感じた。今日は土曜日で、街は静かであった。特に何処かへ行った、或は見学したと言う事ではなく、我々はブラット街を一回りして、再び船に戻って来だけであった。
 クィーンズランド州に足を踏み入れたのは、これで2度目であった。地図を見ると、このブリスベンから真っ直ぐ西へ約700km行った所にチャールヴィルと言う町がある。オーストラリア縦断ヒッチの途中、私を一宿一飯の持て成しをしてくれた、親切なスコットさん若夫婦が住んでいるのだ。私に羽があったら飛んで行って、もう一度会って見たい、お礼が言いたい、そんな気持で一杯であった。余談だが、それから1年後、否もっと早かったかな、スコットさんから「元気な赤ちゃんが生まれた」と写真を同封した手紙が届いた。スコット家に幸多かれと祈る。
 夜、フレッドの個室の部屋へ遊びに行った。彼は60歳位のタスマニアの酪農家、背が高く少し腰を曲げて歩いていた。彼は人を使って牧場を経営し、過去に日本へ3回も遊びに行き、家族なし、と言う事が分った。2人でベッドに座って話をしていると、どうも彼の様子がおかしかった。彼の手が私の腰や太股を撫でる様に触れてくるのだ。その触れ方、摩り方が、どうもホモのような感じがした。『やばい』と思い、私は早々部屋を出て、2度と彼の部屋へ行かなかった。
そして後日の事であるが、彼は助平で女の話もよくしていた。又、「以前(赤線があった)、日本は安く遊べて非常に良かった。」と言っていた。彼は女にも飢えている様で、二刀流使いであった。


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