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△アクロポリスの丘にて(左が私)
・アクロポリスの丘とパルテノン神殿の話
私はアテネに着いた翌日の11月29日、市内地図を片手に持ち1人パルテノン神殿を見に出掛けた。アテネはロンドンやパリの様な大都会と言う程ではなく、主な観光史跡や観光に関する施設は、殆んど歩いて行ける範囲にあり、バスを使う程ではなかった。そして、この都市はアクロポリスの丘を中心に形成され、何処からでもアクロポリスの丘とパルテノン神殿を望む事が出来た。
地図を頼りに街を散策しながら、アクロポリス方面へ向かった。その丘の少し急坂な小道と石段を上ると、忽然目の前に巨大な神殿が飛び込んで来た。しかし、2,000有余年の風雪の為か、ローマ帝国やトルコ帝国の略奪、破壊の為か、残っているのは屋根を支える一部の枠組みと建物を支える巨大な石柱のみであった。そして、神殿の周りには、崩れたか破壊されたのか、その建造物の多くの部位が雑然と、言い方を替えればゴロゴロと放置されているのであった。
そして私は大理石の階段を上り、その神殿の前に立つと唖然としたのであった。柱の始点上と建物の枠(破風)の間にある壁画は、古代アテネの姿が描かれていて、私の胸に迫る物を感じさせたのだ。全面の石柱と建物横の石柱の本数と柱間のバランスの良さ、それは離れて神殿を見た方が、その均整の取れた美しさが余計分る。
そして、何と言っても私の魂を圧倒したのが柱の高さと言い、その幅と言い、その巨大な白大理石柱が真っ青な空に向かって美しく雄大に建っていて、そして、その青と白のコントラストが見事であった。私は、古代ギリシャの建築技術の高さ、そして、美的感覚の豊かさに、改めて認識させられた。
パルテノン神殿をどんな表現で言い表したら良いのか、私には分らない。『ただ神殿の壮麗さ、荘厳さ』のみでは、物足りなかった。2,000年以上経ち、しかも、人為的に破壊されても尚且つ、アクロポリス神殿は人々の“心”(魂)を奪う程の美しさがあった。しかし、私はそれを伝える言葉が見付からなかった。
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△アクロポリスの丘からアテネ市街を望む
このアクロポリスの丘からアテネ市街が一望出来た。古代ギリシャの国王達も、私と同じようにアテネを見下ろしていたと思うと、2,000年以上の時空を飛び越えて、私も古代のアテネ人になった錯覚を覚えるのであった。私はいつまでも丘に立ち、アテネ市街を望みながら、古代ギリシャに想いを馳せた。
アクロポリスの丘の近くで昼食(日本の焼き鳥風の串焼きとパン、14ドラクマ)を取った。帰りは道に迷い大分、道草を食ってしまった。
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