YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

ホテル(ドミトリー)の値引き交渉~シルクロードの旅その1(イラン・バスの旅)

2022-01-18 15:31:43 | 「YOSHIの果てしない旅」 第9章 イラン・パキスタンの旅
・昭和44年1月22日(水)晴れ(迷路の様なケルマーンの街)
 昨夜、バスの中で一睡も出来なかった。大分南に下って来たが、ここケルマーンも朝方、とても寒かった。我々はバスターミナル広場で露天商いしている店へチャイを飲みに行った。まだ5時過ぎたばかりだが、バスの乗客目当てか、既に店は営業していた。     
 イランに来る前まで、イランはイスラム諸国の一つであり、当然お茶はコーヒーで、パリ滞在中、マサオに連れて行って貰ったアラブ風の喫茶店で飲んだ、あの粒々がカップに残るアラビアン・コーヒを飲んでいるとばかり思っていた。所がパキスタンやインドと同様にイランは、イギリスの植民地であった影響からか、チャイ(お茶)はイギリスのティーと同様、紅茶にミルクと砂糖入りであった。
  『バスは11時に発車』と言うので、我々はその店でゆっくり、ゆでたまご、ナン、チャイで朝食を取った後、街へ散策に行った。ケルマーンは南部でも地図に「◎」の印が付いた大きな町の表示であったが、テヘランの様な近代的建物は見当たらず、泥やレンガ、或は石を削って作った家々と土塀で、街は迷路になっていた。私1人であったなら、悪い男達に迷路の奥に連れ込まれ、身包みを剥がされる、そんな雰囲気を感じさせられる所であった。
  全ての女性は黒のチャドルを被り、そしてほとんどが黒の網目で目を隠していた。私はそんな女性達に怖さと近寄り難さを感じた。テヘランではチャドルを纏っていても多少、女性としての美的感覚が見られた。チャドルの色は黒だけでなく、水色であったり白色や茶色であったり、中にはチャドルに刺繍を施しているのもあった。しかしここは違っていた。黒の世界、闇の世界、そして保守性の強いイスラムの世界の様であった。 
イスラムの社会では、「チョッとお嬢さん、お茶でも飲みに行きませんか」と声を掛ける、そんな雰囲気は微塵も無かった。イランの男性は、女性と知り会う機会が全く無いのだ。親が決めた相手と結婚するので、結婚するまで相手の女性の顔を見られない。イランの男性も女性も、理に合わないイスラムの教えに縛られている彼等に、私は理解できない部分もあった。しかしイスラムの教えを守っている彼等は、そんな邪推な気持が無いのかもしれません。中には、テルアビブのユースで会ったイラン人のガブリエルの様に、「イランは嫌いだ、帰るつもりもない」と言っていた人もいた。こんな現状を見るとイランを嫌いになった理由も分かるが、彼は本当のムスリムではないのかもしれません。

  
△チャドルを覆った女性。この外に目の部分に黒の網目で覆っているのが普通で、また素手さえも見せないようにしているか、手袋の様なもので手隠しもしている。イラン以外は「ブルカ」と言う。

 ザーヘダーン行きのバスは、予定時刻より1時間遅れの12時頃発車した。乗客はケルマーンで殆んど降りてしまい我々以外、イラン人2~3人だけであった。砂漠は行けども、行けども変化無く続いた。昼食抜きで腹は減るし、喉も渇くし、乗りっぱなしで疲れるし、砂漠の旅2日目で既に嫌になって来た感じであった。我々は我慢の連続で無口が続いた。ザーヘダーン到着は夜の10時頃であった。この間は約600km程、時速約60キロの計算となり、意外と早く走行していた。 
 我々は何処か泊まる所を探さねばならなかった。5人で探し回るのも大変なので、私とジェーンが暗闇の街へホテル探しに行った。あるホテルを探し当てた。そこの主人は全く英語が分らず、英語が分る別の男を連れて来た。
その男は、「1泊150リアル」と言った。テヘランでは50リアルで泊まったのだ。こんな所で150リアルとは余りにも高い、吹っ掛け過ぎであった。「高い」と私は言った。
「130リアル」と男。「高い」私。「100リアル」と男が決めていて、主人は黙っていた。「高い。帰る」とジェーンが言った。「70リアル」と男。とうとう半分以下になった。『イランの宿泊代は、どうなっているの』と言う感じであった。彼等は相手を見て、相手の弱みに付け込んで値段を決めていた。「Yoshi、ここは止めよう」とジェーンは言って、そそくさと外に出てしまった。
私とジェーンは他の所を探し、先程と同じく交渉を始めて今度、彼らは100リアルから吹っ掛けて来た。ジェーンが粘ってやっと50リアルにして、泊まる事に決めた。そして待っていてくれた他の仲間3人を迎えに行った。                                                                    我々はリックを下ろし、寝る準備をしていたら、主人が入って来た。50リアルで決まったにも拘らず、彼は「60リアル」と再び値段を上げて来た。時刻はすでに11時近く、私は疲れていたので60リアルでも良いと思った。しかし他の仲間は妥協を許さなかった。「こんな嘘つきなホテルは泊まれない」と言って、そこのホテルから躊躇なく退去した。
 この辺の感覚が我々日本人と欧米人とでは、違っていた。状況を考えると『たかが10リアル、50円もしないのだ。それに既に夜も遅い、疲れているし、早く休みたい。10リアル位、仕方ない。』と考えるのが普通の日本人だと思うのだ。所が、彼等は違うのだ。「50リアル」と言う事で約束(契約)し、その約束違反に対して、彼等は妥協しなかった。『たかが10リアル、されど10リアル』なのだ。今後、私は『この1円単位、10円単位に拘(こだわ)る事が大事である。』と言うことを知り、形相を変えて言い合いする事が多くなるのであった。
 我々はさらに他の所を探し、やっと50リアルの〝ホテル〟(ベッドが複数ある相部屋。以後、「ドミトリー」と言う。)に泊まる事が出来た。そして私の交渉下手が皆に分ってしまった。
  寝たのは午後11時30分過ぎであった。疲れた。お休みなさい。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿