・昭和44年3月9日(日)晴れ(アボリジニとの相部屋の様子)
今日は日曜日、エイジェンシィは休みで仕事にあり付けず、店も休みで食料は買えず、私は一日中、腹をすかした状態であった。
夜、港の方へ散歩に出掛けた。この港は小さいので中型、小型の漁船が数隻停泊しているだけで、大型船は1隻も停泊していなかった。静かなもので、誰一人いなかった。
あれから原住民のアボさんとは話をしていないし、どうも彼は薄気味が悪かった。私の部屋の様子は、裸電球が部屋の中央からぶら下がっていたが、本が読める明るさでなかった。ベッドがあるだけで、テーブルや洋服ダンス等の家具類は無かった。本当に殺風景な、人が生活する部屋ではなかった。私は警察に御厄介掛けた事がないが、例えて言うなら『監獄部屋』の感じであった。部屋の壁板を足で蹴った跡が3ヶ所、パカッと割れていた。まるで囚人が暴れて壊してしまった、そんな感じであった。この部屋にいつまで居なければならないのか、出来れば他の部屋へ移りたい、と言う心境であった。
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