△トラファルガー広場にて(折角イギリスへ行ってシーラの写真は
これ一枚だけ、しかもピンボケ、非常に残念であった)
・昭和43年11月6日(水)曇り(シーラ、ジャネットとの永遠の別れ)その1
イランの査証が出来ているので、大使館へ取りに行った。その帰りに、誰もいないHyde Park(ハイド パーク)を散策した。
もうすっかり晩秋になっていた。公園内の落ち葉は深く、ザックザックと歩くと音がした。公園脇の道路は車が忙しそうに往来しているが、ここは別世界、まるで山奥に居るように静寂であった。
ロンドンは毎日重苦しい厚い雲に覆われ、時には咽び泣く様な小雨が続いた。太陽は昨日か一昨日拝んだ以外、何ヶ月も拝んでいなかった。そんな天候が影響してか、孤独な生活と相乗して、寂しさが一層込み上げて来る今日この頃であった。
思えば、旅を通して色々な国を訪問し、多くの経験・体験をして来た。あと数日でロンドンを去り、遠いシンガポールまで陸路伝いに旅をしようとしている私。それは途方もない苦労・困難が待っているであろう。私はそれを思うと、心が押し潰されそうな、気が遠くなりそうな感じがするのであった。
イギリスまでの旅は、どちらかと言えば旅行に近かった。これからの旅は、強いて言えば「放浪の旅に近い旅」になるであろう。そんな事を考え、悶々としながら公園を散策していたら、一つの詩が頭に浮かんで来た。と言いますのは、ここ毎日夜になると、『旅とは何なのか』と言った事を考えていたので、この公園の状況と最近の私の心境から突然、詩が頭に閃いたのだ。その詩を書き留めて置く事にした(P○○参照)。
晩秋の誰も居ないハイド パークを散策し、これから最後のシーラに会う為に駅へ向かおうとした際、フット湧き出た『旅とは』に、何か自分に哲学的なものを感じた。
所で、今の私の服装はジーパンにカーキ色の暖かい大き目のジャンパー、そして茶色いズックであった。頭髪は、アムステルダム(8月17日)で床屋に行って以来、床屋へ行っていなかった。したがって、髪の毛は伸び放題、髭も伸ばしっぱなしであった。それでも髭は余り伸びていなかったが、その格好はまるでヒッピー スタイルの様であった。貧乏生活、そして貧乏旅行をするのに格好なんて気にしていられない。しかも、自然に生えて来るものを、敢えて切る必要もなかった。私は、自由人であり、全くその方も自由であった。
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その2に続く
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