七つの短編が連続する時代劇アンソロジーです。枝流に流されぬ人々の逞しい心を通して、悲喜劇を乗り越える主人公達の寓話に起承転結のプロットが紡ぎ出される。そして、ひと雫の悟りが小川から大河へと流れ込む。果てしなき滄海に漕ぎ出す様なプロットの作品群です。
「寒山寺の鐘」(KINDLE本電子書籍 Amazon )名邑呑舟
プロローグ 【カントと良寛の禅問答】
第一話 【臨済和尚のざる問答】
第二話 【武士道】
第三話 【笹の葉】
第四話 【げんこつ和尚と玉獅子】
第五話 【寒山寺の鐘】
エピローグ 【袁了凡】
プロローグの【カントと良寛の禅問答】には、西洋論理哲学と禅思想の根本的な違いが描かれる。ラストの可笑しな台詞に禅のエッセンスがあります。カントの問い掛け自体に執着がある為、良寛の意外な言葉で終わる。それが、連続する禅物語の入口となります。
第一話【臨済和尚のざる問答】は純粋な禅物語であり、唐代の真禅(南禅)が描かれる。武道の影響を受けた日本の禅とは根本の想念から異なります。本来無一物 無為無処無住天我一体。留まる事のない一即多の全景を見渡す放下禅の妙味を、味わって頂けるかと存じます。ざるに水を満たす事が出来るか。或いは、ざるに水を垂れ流すか。それは、禅慧禅定の捉え方次第と云えるでしょう。難しい論理ではありません。余りにも単純に過ぎる明快な摂理です。
第二話【武士道】は、明治以降学者の形式主義から誤解され世界に広まった「武士道」の本質を描いています。ひと言で云えば、真の武士道は兵法ではなく平法なのです。その精神が、長威斎から塚原卜伝他多くの武芸者に伝わり、幕末の英雄群に大きな影響を与えています。学者諸氏が喧伝する様な武家社会のシステムではありません。武士道の始祖たる飯篠長威斎は「殺戮は武士道平法に非ず」という名言を遺しています。日本の心を伝えた武士道の本質は、決して勝ちに拘る心でも、主君の命に順ずる盲信でもないのです。
第三話【笹の葉】のほっとする様な恩返し譚から、武士道が別な観点から捉えられる事でしょう。この寓話には、人の真心が脈々と流れています。路頭に迷う子供達を救う露天の握り飯屋も、その恩を返そうとする千葉周作と茜の兄妹も、喜怒哀楽や情の域を超えた人の世の大極を捉えています。
第四話【げんこつ和尚と玉獅子】は禅の悟りとは何ぞやという物語です。武田物外は実在の人物で、拳骨和尚と云う異名を持つ僧侶です。投獄され禅の真意を見失った少年物外は、放免後山奥で出逢った玉獅子に威圧感を覚えます。己を罪人と決め付けた城役人、詰まりは神の威を借りる傀儡化身と勘違いするのです。怪力に任せ、大きな石像を谷底へ投げ落としてしまう。が、わらべ地蔵の群れから伝わる妙気に導かれ悟りを得ます。そして、谷底から巨像を運び上げようと決心する。人の力では不可能な難行に挑む少年が、如何にその意志を貫き通すか。終幕は、この世の大極から無極の摂理に至る寓話です。
第五話【寒山寺の鐘】は、随の時代の悲劇です。鐘に籠められた怨みから随は殺戮に遭い滅びる。しかしながら、鐘造りの少年太陰は復讐心を昇華して遥か彼方へと旅立ちます。
寒山寺に纏わる有名な詩があります。「寒山寺の鐘」には、その作者である張継が、亡霊を執着怨念から解き放つ旅人として登場します。張継から「恨みなど、人の心だけに生じる虚妄である」と諭された少年の心に、清らかな覚醒感が生じる物語です。
楓橋夜泊 【楓橋に泊まる夜】
月落鳥啼霜満天 【月は落ち烏が啼く 満天を巡る幾星霜】
紅楓漁火対愁眠 【紅楓と漁の灯 眠る愁いに相対す】
姑蘇城外寒山寺 【古き蘇州の戦跡 城の外には寒山寺】
夜半鐘声至客船 【夜半の鐘の声 客船に至る】
この有名な詩を、旅の心を詠んだ抒情詩と捉える誤訳が多々存在します。が、中国本土に伝わる真説はかなり異なり、恐ろしい程に深い覚醒感が込められています。寒山寺は、単なるお寺ではありません。何代もの間、戦が起こる度に狙われた権力の象徴だったのです。寒山寺という名称自体、固有の寺ではなく寒山…詰まり凍て付く様な人々の不幸を呼ぶ山…という寓意があり、そこに神仏の威を示す寺の総称というあやも含まれています。「姑蘇城外」とは、古き蘇州の戦場を見下ろす山を示しています。詩人は船で都落ちした旅人であり、戦を逃れて楓橋に辿り着きました。城は、村や街とは異なります。敵を遮断する砦です。その外にある寒山寺は、殺戮の歴史を俯瞰しているのです。
この船は、何処にも向かっていない。だからこそ、遥か遠くまで辿り着く。月も烏も霜も分離した小極ではなく、相対する要素として大極を導きます。そして、紅楓や漁のともしび、人のうれいや戦の哀しみ、遠くへ旅立つ魂の群れが、無極に溶け合う無相の世界を描いている。その全景を包み込むのが、寒山寺から響き渡る夜半の鐘の音なのです。
通常平和な時代に、夜半の鐘は鳴らされません。殺戮の時代に、闇討ちの征服者により威嚇攻撃…或いは勝利の報として打ち鳴らされました。ゆえに、李太白の詩風と並び称される名作として永く伝わっているのです。
短編集のエピローグは、中国の故事で有名な【袁了凡】の寓話です。占翁に「選ばれし者」と云われ富貴名声を得た袁少年は、禅僧から占いや命運の虚なる事を諭される。齢を重ね、この世の誤解を放下した袁老人は、絶望から真理に至り数々の奇跡を起こす。そして、遥か西の国へと永遠の旅を続けます。「全てを放下すれば悟りを得られるのでしょうか」と問われた老僧は「捨てるものなど何もない」と云い切ります。
*
七つの寓話に流れがあり、何処にも向かっていない主人公達が真理に至る大団円となります。文学の醍醐味は心に芽生える感銘ゆえ、各々独自の読後感がある筈です。詰まりは、自分自身を発見する様な感動があるものかと存じます。著者としては、子供達に読んで貰いたい。そういう風に仕上げる癖がございます。
何かを文学から学ぼうとするのではなく、自分自身の世界観に根差してそれなりに愉しむのが文学の面白さです。己自身を発見しようとなさる読者諸氏は、予想もしない読後感を得るかも知れません。文学作品には物理的な音も画像も、味も香りもありません。が、想念の中に五感と思考を含んだ六道、更にはそれら全てを統べる正しい心が甦る。詰まりは、読者の皆様一人ひとりが自分の思想を生み出すのです。禅の言葉では「伝は覚」と云います。
「寒山寺の鐘」(KINDLE本電子書籍 Amazon )名邑呑舟
プロローグ 【カントと良寛の禅問答】
第一話 【臨済和尚のざる問答】
第二話 【武士道】
第三話 【笹の葉】
第四話 【げんこつ和尚と玉獅子】
第五話 【寒山寺の鐘】
エピローグ 【袁了凡】
プロローグの【カントと良寛の禅問答】には、西洋論理哲学と禅思想の根本的な違いが描かれる。ラストの可笑しな台詞に禅のエッセンスがあります。カントの問い掛け自体に執着がある為、良寛の意外な言葉で終わる。それが、連続する禅物語の入口となります。
第一話【臨済和尚のざる問答】は純粋な禅物語であり、唐代の真禅(南禅)が描かれる。武道の影響を受けた日本の禅とは根本の想念から異なります。本来無一物 無為無処無住天我一体。留まる事のない一即多の全景を見渡す放下禅の妙味を、味わって頂けるかと存じます。ざるに水を満たす事が出来るか。或いは、ざるに水を垂れ流すか。それは、禅慧禅定の捉え方次第と云えるでしょう。難しい論理ではありません。余りにも単純に過ぎる明快な摂理です。
第二話【武士道】は、明治以降学者の形式主義から誤解され世界に広まった「武士道」の本質を描いています。ひと言で云えば、真の武士道は兵法ではなく平法なのです。その精神が、長威斎から塚原卜伝他多くの武芸者に伝わり、幕末の英雄群に大きな影響を与えています。学者諸氏が喧伝する様な武家社会のシステムではありません。武士道の始祖たる飯篠長威斎は「殺戮は武士道平法に非ず」という名言を遺しています。日本の心を伝えた武士道の本質は、決して勝ちに拘る心でも、主君の命に順ずる盲信でもないのです。
第三話【笹の葉】のほっとする様な恩返し譚から、武士道が別な観点から捉えられる事でしょう。この寓話には、人の真心が脈々と流れています。路頭に迷う子供達を救う露天の握り飯屋も、その恩を返そうとする千葉周作と茜の兄妹も、喜怒哀楽や情の域を超えた人の世の大極を捉えています。
第四話【げんこつ和尚と玉獅子】は禅の悟りとは何ぞやという物語です。武田物外は実在の人物で、拳骨和尚と云う異名を持つ僧侶です。投獄され禅の真意を見失った少年物外は、放免後山奥で出逢った玉獅子に威圧感を覚えます。己を罪人と決め付けた城役人、詰まりは神の威を借りる傀儡化身と勘違いするのです。怪力に任せ、大きな石像を谷底へ投げ落としてしまう。が、わらべ地蔵の群れから伝わる妙気に導かれ悟りを得ます。そして、谷底から巨像を運び上げようと決心する。人の力では不可能な難行に挑む少年が、如何にその意志を貫き通すか。終幕は、この世の大極から無極の摂理に至る寓話です。
第五話【寒山寺の鐘】は、随の時代の悲劇です。鐘に籠められた怨みから随は殺戮に遭い滅びる。しかしながら、鐘造りの少年太陰は復讐心を昇華して遥か彼方へと旅立ちます。
寒山寺に纏わる有名な詩があります。「寒山寺の鐘」には、その作者である張継が、亡霊を執着怨念から解き放つ旅人として登場します。張継から「恨みなど、人の心だけに生じる虚妄である」と諭された少年の心に、清らかな覚醒感が生じる物語です。
楓橋夜泊 【楓橋に泊まる夜】
月落鳥啼霜満天 【月は落ち烏が啼く 満天を巡る幾星霜】
紅楓漁火対愁眠 【紅楓と漁の灯 眠る愁いに相対す】
姑蘇城外寒山寺 【古き蘇州の戦跡 城の外には寒山寺】
夜半鐘声至客船 【夜半の鐘の声 客船に至る】
この有名な詩を、旅の心を詠んだ抒情詩と捉える誤訳が多々存在します。が、中国本土に伝わる真説はかなり異なり、恐ろしい程に深い覚醒感が込められています。寒山寺は、単なるお寺ではありません。何代もの間、戦が起こる度に狙われた権力の象徴だったのです。寒山寺という名称自体、固有の寺ではなく寒山…詰まり凍て付く様な人々の不幸を呼ぶ山…という寓意があり、そこに神仏の威を示す寺の総称というあやも含まれています。「姑蘇城外」とは、古き蘇州の戦場を見下ろす山を示しています。詩人は船で都落ちした旅人であり、戦を逃れて楓橋に辿り着きました。城は、村や街とは異なります。敵を遮断する砦です。その外にある寒山寺は、殺戮の歴史を俯瞰しているのです。
この船は、何処にも向かっていない。だからこそ、遥か遠くまで辿り着く。月も烏も霜も分離した小極ではなく、相対する要素として大極を導きます。そして、紅楓や漁のともしび、人のうれいや戦の哀しみ、遠くへ旅立つ魂の群れが、無極に溶け合う無相の世界を描いている。その全景を包み込むのが、寒山寺から響き渡る夜半の鐘の音なのです。
通常平和な時代に、夜半の鐘は鳴らされません。殺戮の時代に、闇討ちの征服者により威嚇攻撃…或いは勝利の報として打ち鳴らされました。ゆえに、李太白の詩風と並び称される名作として永く伝わっているのです。
短編集のエピローグは、中国の故事で有名な【袁了凡】の寓話です。占翁に「選ばれし者」と云われ富貴名声を得た袁少年は、禅僧から占いや命運の虚なる事を諭される。齢を重ね、この世の誤解を放下した袁老人は、絶望から真理に至り数々の奇跡を起こす。そして、遥か西の国へと永遠の旅を続けます。「全てを放下すれば悟りを得られるのでしょうか」と問われた老僧は「捨てるものなど何もない」と云い切ります。
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七つの寓話に流れがあり、何処にも向かっていない主人公達が真理に至る大団円となります。文学の醍醐味は心に芽生える感銘ゆえ、各々独自の読後感がある筈です。詰まりは、自分自身を発見する様な感動があるものかと存じます。著者としては、子供達に読んで貰いたい。そういう風に仕上げる癖がございます。
何かを文学から学ぼうとするのではなく、自分自身の世界観に根差してそれなりに愉しむのが文学の面白さです。己自身を発見しようとなさる読者諸氏は、予想もしない読後感を得るかも知れません。文学作品には物理的な音も画像も、味も香りもありません。が、想念の中に五感と思考を含んだ六道、更にはそれら全てを統べる正しい心が甦る。詰まりは、読者の皆様一人ひとりが自分の思想を生み出すのです。禅の言葉では「伝は覚」と云います。