一般的に分かり易い傑作は「フィツカラルド」でしょう。主役のクラウス・キンスキーが光りますが、クラウディア・カルディナーレの歴史に残る名演も心に残ります。ブラジルのジャングルで何年間も撮影した為、ジャック・ニコルソン、ジェーソン・ロバーツ、ミック・ジャガーという主演候補が様々な事情で降りました。仕方なく選んだわがままですぐ切れてしまうクラウス・キンスキーを制御したのは、クラウディア・カルディナーレでした。キンスキーが笑顔を見せた映画は、この一作だけとも云われています。キンスキーはクラウディア・カルディナーレに心酔しており、どんな希望にも従ったのです。クラウス・キンスキーが名優である事は間違いありません。悪夢が様式化され、まざまざとした真実が描かれる傑作映画ですが、スクリーン上の存在感が抜きん出ています。
ブラジル、マナウスにオペラ・ハウスを建てたい無謀な夢想家がいます。既にジャングル横断鉄道で破産していますが、その失敗を伏線に使う処に現実味がある。河を遡ると強暴な原住民がいます。山を挟んだ河岸に向けて大きな船が山を越える話です。この映画では特撮技術が一切使われていません。映画の為に、本当に船が山を越えるのです。
資金不足、製作を止め様と邪魔したキンスキー、2度に渡る飛行機事故、船の移動時の事故、船が動かずクレーンの手配に3ヶ月掛かったトラブル、干上がった河に水が戻るまで7ケ月待った困難、ピラニアに足を噛(か)まれる、毒蛇に噛まれた男の足を切る、軍事政権に拠る逮捕、保釈金の手当て、「キンスキーを殺せ」と要求した原住民、船が急流を下るシーンでカメラ・マンが肋骨を3本折る、完成後の人権侵害裁判など正にサスペンスだらけですが、これらは映画の物語ではありません。全て映画製作上の実話です。ちなみに人権侵害の事実などありません。全て好い加減なマスコミと政治絡みの、根拠の無い非難でした。
へルツォーク監督は、この困難な映画の為に3隻の船を準備しました。魚がお札を食べる僅か5秒間のシーンに11日間費やすプロ意識からも分かる様に、どんな事態が起きても撮影を続けます。4回に1回の割りでOKを出さないと、どんな危険に遭うか想像を絶した撮影現場だったそうですが、執念で撮り続ける。電話もなく、雨が降り出すと撮影本部は水浸しになりました。
一体激情とは何でしょうか。へルツォークを駆り立てる情熱は映画製作の常識を超えています。ジャングルを描いた大作は幾つかありますが、「フィツカラルド」に比較し得るのは「ミッション」などごく稀な例しか存在しませんし、「フィツカラルド」の藝術性には比べるべくもありません。この映画の主役は、ジャングルと原住民です。そこを行くおんぼろ船と、蓄音機から流れるエンリコ・カルーソの古びたオペラ。一体何の話かと戸惑う観客もいる事でしょうが、これこそ本ものの映画なのです。こんな傑作はハリウッドの映画システムからは想像さえ出来ません。この製作チームの様に藝術と激情を兼ね備えた撮影隊は、奇跡としか云えません。山を越えた船が、河に着水した時のヘルツォークの言葉があります。
「私の人生で、尤も美しい瞬間だった。船が山を越えた時、喜びは無かった。興奮も無く感情が奪われていた。全てを超えた思い。何年間にも渡る苦労や困難、屈辱の末の言葉にならない思いだった」
他にも、「カスパー・ハウザーの謎(なぞ)」という名作があります。「アギーレ」は深層心理の流れが映像になった様な技巧と執念の映画です。オイル火災に包まれた中近東を描いたTV映像も半端ではありません。現在も存命中の映像作家 No.1と云って間違いないでしょう。ヘルツォーク監督の様な人物と、たとえ一晩でも藝術談義をする機会があれば、お聞きしたい事が山ほどあります。個人的に知りたいだけの事ですが、本当の思想家、真の藝術家が少なくなった昨今、ベルナール・ヘルツォークは二度と出現し得ない伝説の映像作家と云えます。
ブラジル、マナウスにオペラ・ハウスを建てたい無謀な夢想家がいます。既にジャングル横断鉄道で破産していますが、その失敗を伏線に使う処に現実味がある。河を遡ると強暴な原住民がいます。山を挟んだ河岸に向けて大きな船が山を越える話です。この映画では特撮技術が一切使われていません。映画の為に、本当に船が山を越えるのです。
資金不足、製作を止め様と邪魔したキンスキー、2度に渡る飛行機事故、船の移動時の事故、船が動かずクレーンの手配に3ヶ月掛かったトラブル、干上がった河に水が戻るまで7ケ月待った困難、ピラニアに足を噛(か)まれる、毒蛇に噛まれた男の足を切る、軍事政権に拠る逮捕、保釈金の手当て、「キンスキーを殺せ」と要求した原住民、船が急流を下るシーンでカメラ・マンが肋骨を3本折る、完成後の人権侵害裁判など正にサスペンスだらけですが、これらは映画の物語ではありません。全て映画製作上の実話です。ちなみに人権侵害の事実などありません。全て好い加減なマスコミと政治絡みの、根拠の無い非難でした。
へルツォーク監督は、この困難な映画の為に3隻の船を準備しました。魚がお札を食べる僅か5秒間のシーンに11日間費やすプロ意識からも分かる様に、どんな事態が起きても撮影を続けます。4回に1回の割りでOKを出さないと、どんな危険に遭うか想像を絶した撮影現場だったそうですが、執念で撮り続ける。電話もなく、雨が降り出すと撮影本部は水浸しになりました。
一体激情とは何でしょうか。へルツォークを駆り立てる情熱は映画製作の常識を超えています。ジャングルを描いた大作は幾つかありますが、「フィツカラルド」に比較し得るのは「ミッション」などごく稀な例しか存在しませんし、「フィツカラルド」の藝術性には比べるべくもありません。この映画の主役は、ジャングルと原住民です。そこを行くおんぼろ船と、蓄音機から流れるエンリコ・カルーソの古びたオペラ。一体何の話かと戸惑う観客もいる事でしょうが、これこそ本ものの映画なのです。こんな傑作はハリウッドの映画システムからは想像さえ出来ません。この製作チームの様に藝術と激情を兼ね備えた撮影隊は、奇跡としか云えません。山を越えた船が、河に着水した時のヘルツォークの言葉があります。
「私の人生で、尤も美しい瞬間だった。船が山を越えた時、喜びは無かった。興奮も無く感情が奪われていた。全てを超えた思い。何年間にも渡る苦労や困難、屈辱の末の言葉にならない思いだった」
他にも、「カスパー・ハウザーの謎(なぞ)」という名作があります。「アギーレ」は深層心理の流れが映像になった様な技巧と執念の映画です。オイル火災に包まれた中近東を描いたTV映像も半端ではありません。現在も存命中の映像作家 No.1と云って間違いないでしょう。ヘルツォーク監督の様な人物と、たとえ一晩でも藝術談義をする機会があれば、お聞きしたい事が山ほどあります。個人的に知りたいだけの事ですが、本当の思想家、真の藝術家が少なくなった昨今、ベルナール・ヘルツォークは二度と出現し得ない伝説の映像作家と云えます。