前回の続きです。
水道が一週間で復旧して、
我が家の思いもよらなかった被災者生活(といったら沿岸部の方に申し訳ないくらいの程度ですが)は
終了しました。
でも福島県民には原発事故、というこれまた思いもよらなかった大きな大きな影響がありました。
高校時代、修学旅行が京都・広島で、
広島では被爆者の体験談をお聞きする機会がありました。
そのお話の中で
「みなさんの住む福島県には原発がありますよね。
原発があると、攻撃されたり、もし事故が起こったりしたら、
いつ放射能の被害を受けるかわからないんですよ。」
といったお話があったのがずっと心に残っていました。
家に帰ったあと親にもそんな話をしましたが、
あまり心配していない様子。
私はそれ以降、電気は必要だけど、原発は反対だなぁ、という気持ちは
心の中でなんとなく持ち続けていました。
震災後は、家に帰ればニュースも見てたので、原発がだんだんヤバイのでは?と思いつつも、
目の前の仕事や水や食べ物のない被災者生活にいっぱいいっぱいでした。
爆発しないように給水うまくいって!と思いながら、仕事をして、
爆発の映像に驚きつつも70キロも離れてるから命に別状はないだろうと思いながら仕事を続け…。
でも次第に放射性物質がかなり飛んできていることがわかってきて
心配になり、テレビのアドバイスに従って、
通勤や外で作業するときはロングのダウンコートにフードをかぶって、
手袋、マスクとかなりあやしげなかっこう。
家に帰ればウェットティッシュで顔や服、バッグを拭いたりしてました。
(顔洗え、とかシャワー浴びろ、って言われても水出ないんじゃー、と思いながら…)
仕事とはいえけっこう外で作業したり、一番たくさん飛んできていた15日の夜も
帰りに雨に当たったことが(可能な限りバスでワープしましたが)
今でも気になってます。
当時はしばらく子供は考えないほうがいいかな、と思ったし。
ベクレルとかシーベルトとか、最初は何もわからなくて混乱しまくりでした。
不安をあおるマスコミとか、ネットの情報やら、
この現代でもデマって起きるんだな~とか…、
いろいろ経験して、本当に勉強になりました。
Eテレの「福島をずっと見ているテレビ」で箭内さんも言ってたけど、
避難した方に、心配しすぎだ、なんで避難するの、とか、
残った方に、被ばくし続けるのに、なんで避難しないんだ、とか
原発事故で福島県民同士が傷つけ合うのがとても悲しいです。
今、一番思うのは、それぞれの人が出した答えを否定しないこと。
それにしても、何もなければ悩まなくていいことをこんなにも悩み、
家族が離れて生活したり、子供が外で遊べなかったり、
食べ物など日々の生活をいろいろ注意する必要があったり、
精神的にも経済的にも多くの苦痛を強いられるのは、本当に切ないです。
何よりも原発周辺の方たちのふるさとを失った思いは、
いくら想像しても気持ちによりそうことはできないかもしれませんが、
本当に辛いです。
私は夫の仕事の関係で2年間別居生活中の震災、
余震やら業務上やら精神的にキツイ時期もあり、
いずれは退職も覚悟の上で決めた結婚だったので、
2012年3月での退職を決意し、去年の4月から首都圏に引っ越しました。
震災や放射能の不安がある意味背中を押してくれた一因ではあります。
そして原発について私が思うのは…、
むやみに原発再稼働反対デモにも違和感があって、
原発が再稼働しなければ安全なわけでもないし、
原発の代わりに火力発電をたくさん使うなら、地球温暖化とかCO2削減はどうなったんだろう?とも思います。
電気をまったく使わない生活はどう考えても無理です。
洗濯手洗いなんて相当手間ひまかかるし、冷蔵庫やらレンジやらのない生活も無理。
なので、本当に真摯に安全対策を施したうえでなら、
代替エネルギー(なるべく環境に優しいものを)が整うまでは、
再稼働もやむを得ないと思います。
先日のNHKスペシャル“メルトダウン”3部作とか見てると、
国も電力会社も事故の精査の上での安全対策はまだまだ不十分と思ってしまいましたが…。
ただし、これだけ危険なもの、暴走したら止められないものだとわかったのに、
原発の新設はありえないと思います。
廃棄物処理だってどうすればよいか決まらないのに。
そして私たち一人一人はなるべく電気を使わない生活を心がけていくべきではないかと…。
最近知った印象的な言葉「一人の100歩より100人の一歩」なら
次の一歩は「101歩ではなく200歩」
このブログでいろいろ書いてきた生活の中の食べ物を中心とした安心・安全に興味を持った要因も
いろいろありますが、原発事故後の内部被ばくに注意する生活をしたことも影響がありました。
当初は水もペットボトルにしたり、福島県産を避けたりしていましたが、
検査体制が整ってからは食べ過ぎなければいいかな、とか
よく洗ったり、皮を厚く向いたりとか
自分なりの判断で徐々に変わってきています。
今はむしろ完璧に検査されていた福島を離れ、関東の新鮮なもの嬉しいけど
検査体制が気になったりで、
食べ過ぎないようにとかいろいろ考えてしまいます。
そして生活習慣による発がんリスクとかいろいろ勉強になったので、
食べ物を含め健康について俄然興味が出たのかも。
…なんだかつらつらと書いてしまいましたが、
震災から二年たって原発について思うのは、そんなことです。
廃炉まで40年と言われますが、
まずは一日も早く事故が収束して放射性物質の放出が収まり、
除染などが進むことを願っています。
~2013.3.14追記~
新聞を相方が通勤のお伴に持っていってしまうので一日遅れで読むのですが、
昨日の日経新聞2~3面を読んでまたいろいろ考えちゃいました。
「石炭火力にアセスの壁」
東京電力が石炭火力発電所を作る計画に環境省が待ったをかけていることについて。
コストが低いからとそんな話が進んでるんですね!
CO2ばんばん出してでも電力安定供給優先ですか…
「なぜ福島なのか」
福島県沖の風力発電、福島での地熱発電構想にそれぞれ
漁業・温泉関係者反対の声。
再生可能エネルギーが漁業や温泉に損害を与える可能性についても
考慮が必要なんですよね、難しい問題です。
「メタンハイドレード、初の洋上算出」
ニュースでうまくいけば100年まかなえるかも、なんても行ってましたが、
これもCO2出ちゃいますよね…。
原発反対、って口で言うのは簡単だけど、原発の必要のない未来をどう作るのか
本当に難しい。
でも50年後、100年後…もっと先も見据えて、
電力の将来を計画していかないとですよね。
私にできるのはまずはなるべく電気を使わないようにすることだけですが、
100人の一歩で日本全体でまずは必要電力減らしていければいいのになぁ。
水道が一週間で復旧して、
我が家の思いもよらなかった被災者生活(といったら沿岸部の方に申し訳ないくらいの程度ですが)は
終了しました。
でも福島県民には原発事故、というこれまた思いもよらなかった大きな大きな影響がありました。
高校時代、修学旅行が京都・広島で、
広島では被爆者の体験談をお聞きする機会がありました。
そのお話の中で
「みなさんの住む福島県には原発がありますよね。
原発があると、攻撃されたり、もし事故が起こったりしたら、
いつ放射能の被害を受けるかわからないんですよ。」
といったお話があったのがずっと心に残っていました。
家に帰ったあと親にもそんな話をしましたが、
あまり心配していない様子。
私はそれ以降、電気は必要だけど、原発は反対だなぁ、という気持ちは
心の中でなんとなく持ち続けていました。
震災後は、家に帰ればニュースも見てたので、原発がだんだんヤバイのでは?と思いつつも、
目の前の仕事や水や食べ物のない被災者生活にいっぱいいっぱいでした。
爆発しないように給水うまくいって!と思いながら、仕事をして、
爆発の映像に驚きつつも70キロも離れてるから命に別状はないだろうと思いながら仕事を続け…。
でも次第に放射性物質がかなり飛んできていることがわかってきて
心配になり、テレビのアドバイスに従って、
通勤や外で作業するときはロングのダウンコートにフードをかぶって、
手袋、マスクとかなりあやしげなかっこう。
家に帰ればウェットティッシュで顔や服、バッグを拭いたりしてました。
(顔洗え、とかシャワー浴びろ、って言われても水出ないんじゃー、と思いながら…)
仕事とはいえけっこう外で作業したり、一番たくさん飛んできていた15日の夜も
帰りに雨に当たったことが(可能な限りバスでワープしましたが)
今でも気になってます。
当時はしばらく子供は考えないほうがいいかな、と思ったし。
ベクレルとかシーベルトとか、最初は何もわからなくて混乱しまくりでした。
不安をあおるマスコミとか、ネットの情報やら、
この現代でもデマって起きるんだな~とか…、
いろいろ経験して、本当に勉強になりました。
Eテレの「福島をずっと見ているテレビ」で箭内さんも言ってたけど、
避難した方に、心配しすぎだ、なんで避難するの、とか、
残った方に、被ばくし続けるのに、なんで避難しないんだ、とか
原発事故で福島県民同士が傷つけ合うのがとても悲しいです。
今、一番思うのは、それぞれの人が出した答えを否定しないこと。
それにしても、何もなければ悩まなくていいことをこんなにも悩み、
家族が離れて生活したり、子供が外で遊べなかったり、
食べ物など日々の生活をいろいろ注意する必要があったり、
精神的にも経済的にも多くの苦痛を強いられるのは、本当に切ないです。
何よりも原発周辺の方たちのふるさとを失った思いは、
いくら想像しても気持ちによりそうことはできないかもしれませんが、
本当に辛いです。
私は夫の仕事の関係で2年間別居生活中の震災、
余震やら業務上やら精神的にキツイ時期もあり、
いずれは退職も覚悟の上で決めた結婚だったので、
2012年3月での退職を決意し、去年の4月から首都圏に引っ越しました。
震災や放射能の不安がある意味背中を押してくれた一因ではあります。
そして原発について私が思うのは…、
むやみに原発再稼働反対デモにも違和感があって、
原発が再稼働しなければ安全なわけでもないし、
原発の代わりに火力発電をたくさん使うなら、地球温暖化とかCO2削減はどうなったんだろう?とも思います。
電気をまったく使わない生活はどう考えても無理です。
洗濯手洗いなんて相当手間ひまかかるし、冷蔵庫やらレンジやらのない生活も無理。
なので、本当に真摯に安全対策を施したうえでなら、
代替エネルギー(なるべく環境に優しいものを)が整うまでは、
再稼働もやむを得ないと思います。
先日のNHKスペシャル“メルトダウン”3部作とか見てると、
国も電力会社も事故の精査の上での安全対策はまだまだ不十分と思ってしまいましたが…。
ただし、これだけ危険なもの、暴走したら止められないものだとわかったのに、
原発の新設はありえないと思います。
廃棄物処理だってどうすればよいか決まらないのに。
そして私たち一人一人はなるべく電気を使わない生活を心がけていくべきではないかと…。
最近知った印象的な言葉「一人の100歩より100人の一歩」なら
次の一歩は「101歩ではなく200歩」
このブログでいろいろ書いてきた生活の中の食べ物を中心とした安心・安全に興味を持った要因も
いろいろありますが、原発事故後の内部被ばくに注意する生活をしたことも影響がありました。
当初は水もペットボトルにしたり、福島県産を避けたりしていましたが、
検査体制が整ってからは食べ過ぎなければいいかな、とか
よく洗ったり、皮を厚く向いたりとか
自分なりの判断で徐々に変わってきています。
今はむしろ完璧に検査されていた福島を離れ、関東の新鮮なもの嬉しいけど
検査体制が気になったりで、
食べ過ぎないようにとかいろいろ考えてしまいます。
そして生活習慣による発がんリスクとかいろいろ勉強になったので、
食べ物を含め健康について俄然興味が出たのかも。
…なんだかつらつらと書いてしまいましたが、
震災から二年たって原発について思うのは、そんなことです。
廃炉まで40年と言われますが、
まずは一日も早く事故が収束して放射性物質の放出が収まり、
除染などが進むことを願っています。
~2013.3.14追記~
新聞を相方が通勤のお伴に持っていってしまうので一日遅れで読むのですが、
昨日の日経新聞2~3面を読んでまたいろいろ考えちゃいました。
「石炭火力にアセスの壁」
東京電力が石炭火力発電所を作る計画に環境省が待ったをかけていることについて。
コストが低いからとそんな話が進んでるんですね!
CO2ばんばん出してでも電力安定供給優先ですか…
「なぜ福島なのか」
福島県沖の風力発電、福島での地熱発電構想にそれぞれ
漁業・温泉関係者反対の声。
再生可能エネルギーが漁業や温泉に損害を与える可能性についても
考慮が必要なんですよね、難しい問題です。
「メタンハイドレード、初の洋上算出」
ニュースでうまくいけば100年まかなえるかも、なんても行ってましたが、
これもCO2出ちゃいますよね…。
原発反対、って口で言うのは簡単だけど、原発の必要のない未来をどう作るのか
本当に難しい。
でも50年後、100年後…もっと先も見据えて、
電力の将来を計画していかないとですよね。
私にできるのはまずはなるべく電気を使わないようにすることだけですが、
100人の一歩で日本全体でまずは必要電力減らしていければいいのになぁ。
私は南関東にいたけど、揺れは怖かったし、計画停電とか不安だった。北関東の実家もひどいめにあった。
福島には学生時代にすごした四年間があったから、愛着があるし、友達のことも心配。
震災直後にちょっとだけ、避難してきた友達と一緒に暮らして思ったことは、みんな生きるために一生懸命。ななごんさんの言うように、お互いを否定しないこと。
ボランティアの覚悟が足りず、うまく共同生活ができなくて、結局、福島に帰ることになった彼女やその息子さんたちのことを思うと申し訳ない気持ちです。もう少し、私に理解力と包容力があったなら…
それぞれに傷ついて、不安とともに暮らしている日常。あの地震さえなければ…と思うけど、起きてしまったことはどうにもならない。
私ができることで支援を続けていけたら良いな。
涙出そうなほど嬉しかったよ~
実家も大変だったのに本当にありがとう。
親戚でもないのにかなりの月日お友達を受け入れてて
すごいな~と思ってたよ。
なかなかできることじゃないよ☆
関東のみなさんは計画停電も相当大変だったよね。
何も悪いことしてないのにこんなにも悩んだり傷ついたり不安に思ったりしなくちゃなのはほんと辛いよね。
それぞれの想いを尊重していくだけでだいぶ救われると思うんだ~。